10話 ラベンダーの勧誘 前編

 新学期も始まって1週間程が経過した4月15日木曜日午前8時15分。


 学校に到着すると、正門は数多くの生徒でごった返して活気に満ちていた。それを形成しているのは制服姿の学生だけではない。ユニフォームや体操着に身を包んだ運動部も一緒だ。彼らは目に付いた1年生に片っ端から半ば強引にチラシを押し付けたりなど忙しない様子で……何というか、去年の自分を思い返すと同情せざるを得ない光景だった。部活の勧誘活動、チラシ配りの季節が今年もやってきたらしい。本当に我が校の生徒は朝っぱらから元気一杯のようで見ていて和む。まあ、僕にはもう関係の無い話になってしまったのが少し悲しいな。2年生の学年章を付けている僕にはチラシなど渡してくれないだろうし。


 そんな僅かな寂しさを胸に校門を通過して、集団の中を歩けば予想通り道が開いた。何人かは間違えて近寄って来るもんだからドキっとした、けど彼らは僕を見るなりすぐに引き返して、また何処かへ新入生を漁りに向かって行く。何だか肩透かしを食らった気分……だがその、あまりに血気迫る様子はまるで『新入生を獲得出来なければお前らは廃部だ』と悪徳生徒会や教頭に脅されながらも奮起する物語の登場人物のようで、ちょっと楽しそうで、思わず見入って足が止まった。あーあー羨ましいなあ。僕もやっぱり今年からでも部活入っちゃおうかなあ。凄い青春っぽい。友情努力勝利って感じで僕も混ざりたい。でもなあ、


「あの、すみませんっ」


 などと葛藤していたら今度は遂にちゃんと背後から誰かに声を掛けられ、しかも肩をポンポンと叩かれてしまった。


「いや悪いけど僕はもう2年しぇ」


 青春を存分に謳歌する彼らに無駄な時間を取らせてはならないと振り返りながらで即座に断ろうとしたら……どうしてか僕の頬に人差し指が突き刺さって甘噛みした。頬から伸びた指先、腕、顔へと視線を動かせば、


「おはようございます、優太先輩っ」


 そこには朝日に照らされた髪の紫がより一層鮮やかに映え、見知った微笑みが僕を見つめて『えへへ』と。片手にはチラシの束を抱えているから、どうやらこの愛らしい後輩は何かしらの部活動に入ったらしい。良かった。これで彼女も無事、我が校の青春の仲間入りというわけか。羨ましいし微笑ましい。


「おはよう、祝。部活決まったんだ?」


「はいっ。文芸部があったのでとりあえず入ってみましたっ」


 とりあえずなのかと苦笑いを浮かべる僕に、彼女はチラシを一枚差し出す。受け取って目を通して……これは凄い。縦書きで原稿用紙風に丁寧に線を引かれた状態でプリントされていて、タイトルに該当する右端箇所には『文芸部』との表記があり、一段空けてから本文には推理小説風に部の紹介と、やたら手の込んだ作り。著者は部長か? それとも顧問が優秀なのか。


「優太先輩もどうですか文芸部。入りませんか? 入りましょうよ」


 夢中になって読んでいると、どうやら興味があると判断されてしまったようで彼女から何度答えたか分からない質問が飛んで来た。


「いやあの、前にも言ったと思うけど、僕は部活に入るつもりが無いんだ。というかもう2年生だしね」


「学年なんて誰も気にしませんよー、ね?」


 共に映画を見に行ったあの日からというもの、臆病だった彼女は何処へやら、こうした状況下では押しがかなり強くて、以前からずっと『同じ部活が良い』とせがまれていた。というよりこっちが本来の姿だったのかも。慣れた相手には遠慮しないタイプだったとか……まあそれだけ慕ってくれているって事なのかな?


 そんな複雑な内心の処理に困っていたら、彼女は「だって」と続ける。


「優太先輩が一緒だったら、もっと楽しくなると思うんですっ」


 若干15歳にして上目遣いで『お願い』をするその姿に、僕は心を持っていかれそうになった。きっと彼女の祖父や祖母などはこの魔力に逆らえずに何でも買い与えているに違いないな。だが僕はまだおじいちゃんではないので、きっぱりと断る事が出来る。


「う、うん……えーっと、ううん。いやでも……ごめん。やっぱり無理」


 そうして危うく全世界の孫を持つ人間の気持ちが分からせられそうになりつつ、僕が拒否すると、彼女はこれまた心を揺さぶるように肩を落とした。


「そう、ですか」


 恐らくこのまま付き合っていたらこの沈んだ表情を晴させる為に何でもしてしまいそうになったので、僕は奥歯から血が滲む程に噛み締めて別れを決心する。


「じゃあ、僕はもう行くよ。今日は日直なんだ」


「……はい」


 本当にごめんと呟いて、内心でも頭を下げて僕は下駄箱に向かった。当然後ろ髪を引かれたが、過去の記憶がどうしても僕を離さない……どうしても僕には部活に入りたくない、入れない、避けたい理由があった。そしてそれは恥ずかしくて人には決して話せない理由。ありふれていてきっと笑われる類のもの。


 靴を履き替えて階段を上っている間も、残して来た祝の表情が頭から離れなかった。こんなに重い足取りで教室へ向かうのはいつ以来か。新しい朝、希望の朝の筈なのに、踊り場に差し込む斜陽が冷たい。付随する影が絶望の象徴のように思える。背負った鞄の重さは罪、上履きの汚れは穢れか。


 悔いは杭となりて咽頭より貫き刺さり、我が腑の命脈を断ち切らんとする中、


「おっはー、優太っ」


 背後より聞こえたる溌剌とした少女の声に振り返ると、迫り来る紅蓮の頭髪は友の象徴。


「ってどしたん、そんな暗い顔して……何かあったの?」


 理夢がどうやら凄く心配してくれているのでふざけるのを大概にした僕は、とりあえずと相談を持ちかけてみる。


「おはよう、理夢……孫にプレゼントを贈りたいんだけどさ、手元にお金が無い場合はどうしたら良いと思う?」


「は? 孫? プレゼント? 何言ってんの?」


「いやごめん、さっきちょっと嫌な事を思い出してね。頭を切り替える為に色々試行錯誤してたんだ。悩んだ時は一度馬鹿になるとスッキリするよ。今度試してみると良い」


「……よくわかんないけど、大丈夫ってこと?」


 普段の様子からは想像出来ない程真剣に聞いてくる彼女に、僕はまた心が痛んだ。やはり気を落としていても碌な事が無いな。


「うん。もう平気だよ。心配してくれてありがとう」


 二度と不安にさせまいと誓って感謝を伝えると、まだ完全に疑念は晴れていないようだが、一応は納得してくれたらしい。


「んじゃ良いけど、でも何かあったら話してよ? ウチだって……話を聞くくらいなら出来るし」


 口先を尖らせたちょっといじけたような表情で告げられた有難い提案に、僕は思わず頬が緩んだ。もしも自分だけで解決出来ない問題が起きたなら迷わず頼ってみようと……しかし今は、この話題は変えたい。


「理夢も何かあったら話してね。そうだ、学校はどう? 美央子とはかなり仲が良いみたいだけど」


 まあまあ強引な手法だったがとりあえず気は逸らせたようで、彼女は「それな」と僅かに声を大きくする。


「もうあの子さ、超絶良い子過ぎない? 可愛いし一緒に居ると癒されるっていうかなんていうか……あ、そういえば今日、美央っちと放課後駅前に遊び行こうってなってるんだけど、優太も来ない?」

 

 美央っち、ね。どうやら僕が考えていた以上に交友は深まっているらしい。


「いや今日は僕バイトが……」


 そうして僕が二人の友情に胸を躍らせながら予定を思い返した瞬間、切り替わっていた頭が一気に引き戻される事実に気が付いてしまった。勿論アルバイトで遊びの誘いを断るのは心苦しい……が、一番の問題は今日のシフトにある。事務所に張り出された一覧に確か『新人研修』という表記があった筈で、研修者は僕、そして対象の新人の名前は、


「祝、だったかぁー」


「へ?」


 と、ここでようやく僕は自分が馬鹿になっている場合でも、友人関係を気遣っていられる身分でも無い事を知った。

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