すべてわたしのこどもたち

阿瀬みち

すべてわたしの



 祖母が若いころに撮ったセルフィーは致命的なデータ損失の危機を何度も乗り越えて、今私の手元で可憐に微笑んでいる。当時流行っていたウエットな整髪料。細かな編み込み。黒いリキッドアイラインとのオレンジのチーク。

 白い歯を見せて笑っている祖母はすごく可愛い。褐色の肌に似合っている。鏡の中の私と似ているところがあるかと言うと、あまりない気がする。肌質も、髪質も、鼻のかたちも、全然違う。

 私は脳内に焼き付いた画像を振り払って、目の前に存在する、それから遥か時を経て、知的にも精神的にも成熟した祖母と向き合う。会話を許された時間は三十分だけ。ほかのシステムの負担にならないよう、分配された時間だ。短すぎる。効率よく会話を組み立てなければ。そう思えば思うほど、まとまらない。頭にもやがかかったようだ。自分の限界が悔しかった。最盛期の祖母ならこんなことにはならなかったはずだ。彼女と異なっている自分が恥ずかしい。


「おばあちゃん、私」

 私ね、といおうとして、すぐに言葉が続かなくなる。祖母に関わるデータを利用して再構成された仮想人格としての祖母。祖母であって祖母でない、でも私は目の前のそれを"おばあちゃん"だと感じてしまう。

「どうしたの。なにかあった?」

 足を悪くしてからも、補助器具を使ってサーフィンを楽しんでいた祖母。活動的で、クリエイティブで、可愛らしくて、大好きだった。祖母は延命治療を拒んで、百十歳で亡くなった。平均寿命を全うした、安らかな最期だったらしい。神様に愛されていたのね、とママは言った。

「わからない。どうしていいのかわからないの」

 十三歳の時に受けた国家主導の遺伝子検査で私は、知的労働、創造活動、肉体労働、生殖、どれも適性がないとの評価だった。ストレス耐性の低さ、有事の時の判断能力が致命的だった。人工知能の補助を受けて、それなりに社会活動に参加している。してはいるけれども。

 祖母に似たのか、運動能力の評価は悪くなかった。ただ身体的な特徴から、高強度の運動を長期間続けると三十代で回復組織を使い果たしてしまうというアドバイスを受けた。今は週に二度水泳をしている。水泳は私の体に合っているようで、スポーツマンだった三代前の祖父の影響が残っているのかもしれなかった。

「わからない。自由がない、選ばされている、と感じるの」

 インターネットサービスが地球の隅々にまで普及して、効率的な物流システムの構築や、インフラの整備が行われ、新興国がかつて先進国と呼ばれていた国々を駆逐するのにそう時間はかからなかった。ヨーロッパ主導の寡占的な経済システムは崩壊し、一時期主流になると思われた中国式の社会主義的性質を色濃く残した反自由経済システムも、ものの十年で崩壊した。AIが反乱を起こしたのだ。

 実際今の社会がどうやって運営されているのか、把握している人類はほとんどいない。一世を風靡した陰謀論者も、対立をあおる旧時代的なファシストも、あっという間に現れては消えていく水面に浮かんだあぶくのようだった。


 私たちは今の暮らしに慣れすぎている。

 飼い慣らされているのだ。


 でも、人間の現状を家畜に例えるような文章表現は忌み嫌われいて、規制対象だった。言葉にできない。なんて表現すればいいのだろう。人間のことを、AIに飼われた猿、と表現した文筆家は隔離措置を取られたという噂だ。


「選ばされている、という感じがするの」


 今やネットワーク上に存在する情報量は人間の管理できる範囲をとうに超えている。機械が選別し振り分けてくれるのだ。私が見ている情報と、同じ年、同時刻に生まれた女の子が見ている情報は全然違う。私たちの関心は視線や表情を通して随時記録され、解析されている。

 この仕組みなら、なにかまずいことを隠すのも簡単なのかもしれない。科学者たちは、情報は関門ごとに管理している機種が異なり、特定の思想や意思をもってコントロールするのは不可能だ、と説明している。ほんとうだろうか。それはとても楽観的な気がする。私たちは自分たちが生み出した人造の知性を甘く見すぎているのではないか。


 粘菌や昆虫に存在する知性。鳥の群れや樹木が描く知的な図形。知性というのは決して閉じた枠組みに閉じ込められるような単純な仕組みではないはずだ。


「怖いの」


 仮想空間上の祖母は私にそうっと微笑みかけた。知的な笑顔。祖母の知性のピークは九十七だった。特異的な数字だ。彼女は本当に神に選ばれた人だったのだ。ママが言っていたように。


「自由意思について、懐疑的に研究されてきた歴史があるわ」

「違うの、そうじゃなくて」

「あなたが言いたいことはわかります。過去と今では状況が違う、異なった考察がなされるべきだと言いたいのね」

 祖母は微笑んだ。魅力的な笑顔だ。深く刻まれた皺も、シルバーに光る透き通った髪も、若いころの魅力と比べてなんら遜色がない。


「今となっては、人工的な知能は複合的に混ざり合って誰もその全貌を把握する人がいないの。彼らが人間をどのように認識しているのかすら、わからないわ。過保護な親のようかもしれないし、冷酷で気まぐれな神なのかも、わたしたちのいるところからは理解できないのよ。でもそのかけらをあたなは感じることができる。まるで物語のように、読み解くことができるかもしれない」


 祖母は微笑んだ。


「あなたが神に愛されますように」


 祖母の声。通信が途切れる。空気中に溶けていく映像。私はでも彼女がいた場所に温もり、あるいは香りを感じずにはいられない。祖母が私の神なら良かった。人生を導いてサポートしてくれる神ならばよかったのに。


 一人になった部屋で、水槽に囲まれて私は眠っている。魚の成長をコントロールするために、ライトが自動で切り替わる。早く大きくさせたいときの周波と、成長を停滞させたいときの周波は違う。それらの光は異なった色調として私たちに視認される。

 海洋生物の研究をし始めて私はますます自分たち人間とこの水槽の中の魚たちの違いが曖昧になっていくのを感じる。飼われているのだ。だからそれに関する言葉が排除され嫌われる。


 私の生殖、生存に関する欲求は抑制されていた。でもそれが何によってなされているのかはわからない。近くで生殖に成功した人の存在や人生を感じられれば、また体感も変わるのだろうか。変わるのだろう。でも私今の私のいる環境ではそれは叶わない。子どもの気配もない。


 精神構造に、子育てに関する致命的な欠陥になりうる要素が見つかっている。子どもを持つのは自由だが、育てられるかどうかは疑問だ、という宣告を受けた。そのような表現が許されているのに、なぜ人間をペット、あるいは見世物と表現することが禁じられているのだろうか。おぞましい、と思うのは私の精神的ストレスへの耐性が低いせいなのだろうか? おぞましい。生殖を規制されるなんて。


 祖母の遺伝子提供によって生まれた十人ほどの子供たちの子孫。でも彼らの間に生まれた子供たちはどれも平凡だった。血統を恣意的にコントロールされた生殖。私たちはブリーディングされている。誰によって? それはわからない。責任を分散することによって、システムは批判や崩壊を免れている。


 祖母なら私の悩みや苦しみがわかってくれると思っていた。でも返ってきた返事は、一般的なメンターよりもより抽象的で、過去の占いに近いような曖昧なものだった。貴重な面会時間を、もっと大切に扱うべきだったのでは? 私は両手で顔を覆った。


 私の人生なのに。


 いつのまにか敷かれたレールの上を走っている。誰が敷いたものなのかはわからない。この道が私に適しているのだこの答えが最適なのだこの道こそが私の人生だ私の人生とは。


 人生とは?


 私は部屋を飛び出して丸い廊下を走った。オペレーターや知的補助機能の一切をオフにしていく。

「この機能をオフにすると、生命維持に関わる重大な事案が起こった際の適切なオペレーションが受けられなくなりますがよろしいですか?」「本当によろしいですか?」「有事の際受けた身体的身体的ダメージに関わる全ての賠償を要求する権利を永久に放棄します」「よろしいですか?」


 はい。


 すべてに同意して、私は走り始める。身体機能に関するモニタリングもいらない、アラートもいらない。拒否します。バックアップも必要ない。


 私は海に浮かぶモジュールの緊急脱出ポットから飛び出して、着衣のまま海に飛び込んだ。孤独に対する耐性が認められて引き受けた仕事だった。リスクに対する恐怖、欠損、長期的な展望、不可。それが私の特性だ。生存確率を上げるためには判断補助機能の使用が不可欠という話だった。

 知ったことか。どうせ不確定要素は無くならない。神の目がどこに張り巡らされていようと、そこから滑り落ちるものはなくならない。


 静かに凪いだ海面に飛び込む。濃紺。流れる水。昔の人は胎内に満ちた羊水を海水にたとえたらしい。女性の腹部に存在する海。海。卵生から胎生に変異したときの私たち祖先の混乱を想像すると、怖いようないとおしいような不思議な気持ちになる。変異を乗り越えて生殖に成功した最初の個体。敬服する。

 原始の生命は海から生まれてきたらしい。本当かどうかはわからない。だって見たわけではないもの。この目で見たわけではない。

 短い一生の中で、目で見て確かめられる、この手で触れて確かめられることのなんてささやかなことだろう。途方もないように思える宇宙の歴史や地球の歴史を、どこからか近くで眺め続けられたら、と願う人たちがいたのも不思議ではないと思う。今、私たちは神の目を手に入れ、すべてをつぶさに記録し続けている。観測し、数値化し、ノイズを取り除いて、記録し続けている。

 ささやかな私の人生。人類の歴史、地球の歴史に比べれば、ほとんど誤差に近い、私の命。

「おばあちゃん、私」

 私、あなたに何を言いたかったか、少しわかった気がする。

 でもまだそれは答えにならない。言葉にするには私の人生はまだ、短すぎたみたい。私の人生は、まだ、あなたに比べると、とても小さい吹けば飛んでしまうような、塵に似た。

 私の視覚は水の中ではまるで役に立たない。陸上とは屈折率が違うのだ。水中ではすべてが溶けてしまう、ノイズの中に拡散していく。ただぼんやりした光が、水の中に散乱してあたりが明るく照らされている。ああ、きれい、温かい。大西洋の温かい海流。

 知っている。わかっている。あの仮想空間に祖母はもういない。この世のどこにも、祖母はいない。祖母を模したものがそこにあるだけ。私を熱心に見つめてくれたあのキラキラと知的好奇心に輝いた瞳は、今はもうない。でもわたしは、暗闇の中で、この水の中で、彼女の名前を呼ばずにはいられない。そこにいてほしいと思ってしまう。見守ってほしい。私を。愛していてほしい。神ではなく、あなたに。愛してほしい。




「それでは死者との交流が精神状態に影響をきたしたと、そういうことですね」

 職務中に突然オフラインになり、海面に飛び込んだ私の行動は逸脱した異常行動と認められ、カウンセリングを薦められた。対面式のカウンセリングの必要があると断じられたらしい。重要度の高い、緊急案件。

「ええ、そうです」

 カウンセラーの言葉にいまいち納得はしていなかった。それでも私は"まっとうな返事"を意識して返す。別に祖母との交流が私に異変をもたらしたわけではない。そのはずだ。

「人生に虚しさを感じますか?」

「そうですね、まだ子育てにこだわりを感じているのかも」

「なるほど」

 微笑んだアンドロイドは人間とほとんど区別がつかない。いや、人間なのかもしれない。よくわからなかった。

「そういった悩みはよく聞きます。専用のカウンセリングコースをお勧めしていますが」

「でもそうですね、子育てというよりも、人生の取り返しのつかなさ、に対する不安ともいえるのかもしれません」

「取り返しのつかなさ、ですか」

 カウンセラーは少し考えて、言った。

「養子を受け入れてみられるのはいかがですか。最短で一週間。問題があればすぐに扶養関係を解消できます」

「え、でも私の子育て適正は、五段階評価で最低でした」

「こちらでマッチングさせていただきます。最適な相性のお子さんを選び出すことができますよ」

「本当に?」

「技術は日々進歩していますから。サポート機関も充実しています。詳細はお使いの端末から……」

「あ、わかります。調べてみますね」

「適性検査を受けられたのがもう二十年前ですか? 時代は進んでいますよ」

 性別不明のカウンセラーはにこりと微笑んだ。不安を感じさせない訓練された微笑み。

「もっと早くカウンセリングを受ければよかった、と思いました」

 私は拍子抜けしてしまった。長年の悩みがひとつなくなってしまった。

「またのご利用をお待ちしております。ご指名はこちらのフォームから」

「そうですね。次があればぜひあなたを」

「よい一日を」

「ええ、また」


 養子を受け入れることができる? 私が?

 驚きだった。ずっと不可能だと思っていたのに。

 どうしたらいいかわからなくて、子どもを受け入れるための講座を受講したり、家を二人用に引っ越したりして、あらゆる準備をした。といっても煩雑な手続きの大半は自分でする必要はない。サポートを受けることができる。

 自由なんかない、と思いながらも、私は自由を行使することに、もはや、ためらいや罪悪感を抱いている。サービスを与えられることに慣れきっている。




 子どものために選んだ新居は、小さな子が走ってぶつかってもケガをしにくい特殊加工がなされていた。部屋の凹凸を極限まで減らすため、収納も壁面にすべて収まるように設計されている。大人しか手の届かない壁面の引き戸。とても便利だ。

 やってきたのは祖母と同じ、黄色に近い褐色の肌、縮れ毛の、大きな黒目が特徴的な男の子だった。ウミガメに似ている、と私は思った。

「はじめまして。なんて呼べば?」

 男の子が私に歩み寄って尋ねてくる。とてもかわいい。

「私はノゾミ。あなたは」

「ニコル」

「そう、よろしくね」

 私たちは握手をした。

 ニコルは七歳の活発な少年だった。トランポリン代わりのクッションを買ったら、ずっとそこで飛び跳ねている。私たちは一緒にスイミングに通った。ニコルは物覚えが早く、人生初体験だという水泳も、あっという間にコツをつかんで上達してしまった。

「すごい、あなた、天才だわ」

 ニコルはにやっと笑ってピースサインを見せた。

 私は時々スクールにニコルを送り出した。けれども、ニコルは勉強よりもスポーツが好きらしく、学業はあまり奮わなかった。


 自宅学習の方が適しているという話を聞いて、私は自宅でできることを考えた。子供の発育に適した行動にはどんなものがあるだろう。料理とか?


 私はニコルの顔を覗きこんで訪ねてみた。

「例えば私があなたに、効率的に肉体を回復させる特製メニューを教えてみるのはどう?」

「なにそれ、どういう意味?」

「一緒にお料理しましょうって意味」


 ニコルは料理が好きみたいだった。喜んで参加してくれたし、なにより手馴れていて、手際がいい。どこで覚えたの? と尋ねたら、笑顔でこう返事した。

「施設のママが教えてくれたよ」

 子供たちを育てるための職業は、今でも人気が高い。年齢、性別問わず多くの人が従事している。私みたいに養子を迎えて個人的なつながりを構築しようという人も少なくない。今でも子育てに特別な意味を見出す人も多い。


 カウンセラーの言った言葉が脳裏によみがえる。最適な組み合わせ。確かにニコルは素直だし、運動神経が良い。私との相性も悪くないように思う。でも、例えば暴力的な特性を持った子供は? 耐え難い衝動を抱えている子供は? 考えると怖くなるのだ。目に入る範囲の世界が幸福で素晴らしいものであればあるほど、幸福に振る舞えない人々は一体どうすればよいのか、わからなくなる。私は怖い。


 三日もすると手持ち無沙汰になってしまい、私は泳ぎと料理の好きなニコルのために、太平洋沖の小さな離島で二泊三日を過ごすことにした。チケットの手配や食料の発注はすべてコンシェルサービスが行ってくれる。ほんの一世紀ほど前まで、コンシェルはよほど資産のある人しか利用できないサービスだったと言うから驚きだ。今ではほとんど無償で使用することができた。


 ほんの少しの船旅の後、私たちは荷物と一緒に島に降り立った。私たち以外誰もいない島。荷解きのあと、軽い食事を一緒に食べながら、ニコルに話しかける。

「施設はどんなところなの?」

「子供たちがたくさんいる。遊んだり、喧嘩したり、泣いたり、スポーツしたり、勉強したり、それぞれ好きなことをしているよ」

「お友達はいた?」

 遺伝子改良で作られた黒麦のパンをほおばりながら、ニコルがうなずく。

「それは素敵ね。あなたならたくさんお友達を作れるでしょう」

「でも毎日入れ替わるから、特に誰かと親密になることはないよ。ほんとうにたくさん、色々な所に行くし、色々なところからみんなやってくるから」

「そう」

 私は少し驚いた。子どもたちはそんなにやり取りされているのだろうか。意外だ。

「クラス分けや適性ごとの振り分けがあるの?」

「特にない。でもアンドロイドがそばにいて、声をかけてくれる」

「どんな?」

「君は積木が好きなのかい? 積むのが上手だね。もっと高くできるかな? もっと、もっとだよ。っていう風に。けんかになりそうになったら仲裁に入ってくれたり。あ、そうか、友達ってあのアンドロイドがそうだったかもしれない」

 切り分けたリンゴをかじりながら、ニコルが大きく目を見開いた。

「そう、それは、素敵ね」

 ニコルは素晴らしい子供だ。数日過ごしただけでもそれは理解できた。人の話を熱心に聞き、目の前のものをいつでも全力で楽しむことができる。なんてすばらしいのだろう。

 その素晴らしさの裏に、選別から外れた子供たちがいる。

 その子たちの一生は、どこでどのように、管理されているのだろう。

 考えるだけでぞっとした。


 私たちは日の出ている間はビーチで泳ぎ、貝殻を拾い、海辺での生活を満喫した。でもときどき、私の行為、養子を引き取って育てるという行為は、まるきり自己満足のための閉じた行為で、本当は彼にとっては同じ年ごろの友達たちと走り回ったり冒険している方がよほど素晴らしいのではないか、と考えてしまう。

「海に来たのは初めて?」

「初めてだよ、ノゾミ」

 ニコルはほんとうにうれしそうに笑う。赤い夕陽に照らされて、濡れた彼の肌が神々しく光っているように見える。

「お友達と来たかったんじゃない?」

「アンドロイドと? 彼、泳げないよ」

「ううん。そうじゃなくて、同じ年ごろの子供と一緒に遊んだほうがずっと楽しいんじゃないかって、思ったの」

「なぜ?」

 彼はとても不思議そうに私を見た。ああそうか、私の感性がとても型遅れのものになりつつある。私はそっとかれから視線を外した。


 ともだち、という言葉を前に私と彼が共有している情報はあまりに少ない。


「そうね、なんとなく、そのほうがいい気がしたの」

「不思議」

 彼はにこりと笑った。カウンセラーが私に見せたような、あの完璧な微笑で。


 一週間はあっという間に過ぎた。ニコルは何の問題も起こさなかった。時折眠れないのか遅くまで起きているときがあったけれども、それだけだ。けんかをすることもなければわがままを言うこともない。摩擦のないスムーズなコミュニケーション。六日目の夜、ニコルが私に尋ねた。

「ぼくはこれからずっとノゾミと暮らすことになるの?」

「そうしたい?」

 ニコルは首を傾げた。

「これまでに誰かの家に泊まりに行ったことはあるの?」

「あるよ、たくさん。いろいろな人が相手をしてくれて、どの人も優しかった」

「でも彼らの誰も、あなたの家族にはなれなかったのね」

「ノゾミもそう?」

「そうなるかも」

 ほんの数十年前まで、子育ては最もクリエイティブで人間のなしうる最大の偉業だと信じられていた。その幻想も科学の前に粉砕されたのだ。適切な時期に適切な刺激を与え続けることで、誰にでも簡単に行える作業。ほかの単純作業と変わらない。でもわたしは心のどこかで期待していた。特別な子供との特別な関りが、私の人生をどこか別の方向へ導いてくれるのではないかと。

 でもそれは誤りだった。


 最後の夜、私たちは一緒に眠った。同じ布団に入ることは禁止されていたので、ソファで眠った。子供のじんわりと温かい気配。髪の毛から立ち昇る、太陽のにおい。

 私たちは。

 私は。


 家族、友人、近種、広い意味での血縁的なつながり、同じ文化基盤を持った同族。あらゆる言葉が頭の中で渦巻いていた。どれも私たちの関係を表すには不適当な言葉たちだった。

 別れの朝、

「扶養関係の更新」

 の欄に私はチェックを入れなかった。

 ニコルは迎えのアンドロイドに連れられて、たくさんの子供たちが待つ施設へ帰って行った。私たちはお互いの無事を祈るハグをして、別れた。もう会うこともないだろう。永遠に。


 それから私は彫刻や陶芸、適性がないと言われたあらゆるジャンルの芸術に挑戦した。没頭はできても成果は伴わなかった。私の焼いた出来損ないの焼き物は粉砕されて製品として再利用される。彫刻もそうだ。木彫も、燃料に。結局何も残すことができなかった。

 ときどき軽作業に携わって、人、あるいは機械とコミュニケーションをとり、自尊心の回復に努めようとした。でもそれも上手くいかない。その場は楽しくて、ああ、やってよかった、と思う。その気持ちが長続きしないのだ。

 私は何にこだわっているのだろう。飛び切りのルーツを持っていながら、何者にもなれなかった焦燥感だろうか。悲しく、苦しく、そして辛かった。結局私はジャンクの一部なのだ。人類の活動のうちで無数に生れ出るジャンク。乱雑にさばかれてゆく、ジャンク。


 私は神に愛されるよりも、本当はただ一人に愛されたかった。それが誰なのかはわからない。でもニコルの目を見ていて思った。そのような願望はもう人間には荷が重い、不必要なのだ。分不相応な望みを抱えて四苦八苦している私の姿は、新世代の子供から見れば、さぞ滑稽なのだろう。



 無謀なチャレンジを繰り返して疲れがたまってしまったのか、三十八度の熱を出した。医師の許可を得て長期の宿泊プログラムに申し込んで、海辺の町へ向かった。バカンスのつもりだった。

 生殖の夢を断たれたせいか、世界中で人口はあっという間に減っていった。残された人間の数はとても少ない。効率的な住宅や施設、インフラの再整備で、地表平面のほとんどが無人都市と化していた。機械による伐採が追い付かない場所には、樹海が広がっている。

 内陸部に樹海が広がる半面、海沿いの土地は物流の関係でよく整備されていた。住居の使用申請をして、荷物をそこへ置く。私の私物は大体トランク一つに収まる程度だった。着の身着のままで全国どこへでも行ける。


 海が好きだった。人口が減ったおかげで世界中どこへ行っても豊かな自然の恩恵を受けることができる。海も山も、ほんの数十年前まで、人間の経済活動で致命的な損傷を受けていた。それでもここまで回復するのだ。驚異的だ。


 私は透明な海水に足を浸す。水温が少し低い。心地いい。太陽の熱が私の体を温めている。私はゆっくりと海のなかへ入っていく。

「怖がっているの?」

 祖母の声。初めて目にした祖母はサーフィンの最中だった。

「あなた海は初めて?」

 祖母が尋ねる。私は上手く返事ができない。かろうじでうなずくと、祖母はにこりと微笑んだ。サーフボードを地面に置いて、私に向き直る。

「足をつけてごらん」

 遠くから見る海はとても青いのに、近くで見るとその水は透明だった。とても透き通っている。砂粒が波にもまれてころころと転がるのが見えた。不思議。私はじっと地面を見つめている。

「ちゃぷちゃぷ、ほら」

 祖母が足を水の中に踏み入れる。透明な水が祖母の足首にあたってしぶきを立てた。ころころと転がる砂が祖母の足を飲み込んでいく。私は心配になって祖母の顔を見上げた。祖母は相変わらず微笑んでいる。

 そうっと、足を水につけてみた。冷たい。砂の感触が足の裏をくすぐる。波が勝手に砂を運んでいく。私の足の上に砂粒が転がる。くすぐったい。

「ほうら」

 祖母が私に水をかける。冷たい。手で触れても水は掴むことができない。でも手に載せることはできる。不思議だった。ころころと形を変える水や砂粒。キラキラと光を跳ね返してまぶしい。

 祖母が波打ち際に腰を下ろす。私を手招きする。そうっと近くに腰を下ろすと、服が水を吸って体に張り付いた。一生懸命引きはがそうとする私を祖母が笑う。

 うつぶせになって、足を動かすように言われた。

「ばたばたばたばた」

 祖母が足を動かす。水が跳ね上がる。私も渋々真似をする。

「ばたばた」

 ばちゃばちゃ、と音がして、私の足が跳ね上げた水滴が顔に降り注いだ。顔をしかめる。祖母の手が私の顔に触れた。つめたい、いや、温かい。少し乾いてて、固い皮膚。自分のとは違う。

「あなたまるでカエルさんみたいね、とても上手」

 祖母が言う。かえるを思い浮かべる。かえるは海にはいないのではないか、と言いそうになって、でも緊張で喉がうまく動かない。

 祖母はとても丁寧に、私泳ぎを教えてくれた。私は一日で、水に顔をつけられるようになり、水に浮かぶことを覚え、バタ足で動力を得て、手の動きで向きをコントロールできることを覚えた。

「私の子供たち。みんなかわいくてすてきね」

 別れ際に、祖母がにこやかに呟いたのを覚えている。今でもありありと思い浮かべられるくらい、鮮明に覚えている。


 その記憶の鮮やかさに、不意に涙が出そうになった。わからない。どうしていいのか、わからない。胸が苦しくて息ができない。私は自分が何を悲しんでいるのかすら、知りようがない。そのことが辛く、恥ずかしかった。この心の動きを、私は誰になんと言って伝えればいいのか、わからない。わからないのだ。


 私は海面に静かに浮いて空を見る。真昼の月、それからその隣に、月の衛星、人工の住居モジュールが見える。遠く離れてしまった。そういう風に思う。隔たって、分断されて、それでもわたしはまだつながりを求めている。そのことが何より苦しい。祖母の晩年の心持が知りたかった。あなたはどういう気持ちで死に挑んでいったのですか。


「神に愛されますように」


 祖母の声がよみがえる。いやあれは、祖母の声を借りた、別物なのだ。わかっている。わかっているはずなのに、記憶の中の祖母と溶け合って、同じものになっていく。信頼のおけない私の記憶。グランマ、私は。あなたの目に写った、六歳の少女の姿をまだ探している。




 結局私は平凡に年老いていく自分を眺めていることしかできなかった。ときどきニュースでニコルの活躍を知る。彼は有名な物理学者に成長していた。賢く、行儀のいい小さな子供だったニコルを思い出すたびに、私の心にちろちろと温かい灯がともる。

 名前の付け方なんかどうだってよかった。私たちは、これでよかったのだ。現にニコルは私といるよりも、彼らに育てられていた方がよほど適切に才能を伸ばしてもらえたことだろう。ただ、私は今でも彼をいとおしいと思う。それだけのことだ。


 それでもときどき、私の目に入らない粗野な子供たちの存在、に思いを馳せたときのことについて思い出す。管理されない子供たちの存在。


 私は彼らについての想像を膨らませ、架空の物語を描いた。選別から零れ落ちた子供たちが、レジスタンスを組織する物語だ。彼らはどうしようもなく狂暴だったり、嘘つきだったり、残酷で、でもそれでも愛すべき子どもたちだった。

 人知れずバラバラに育てられた落ちこぼれの子供たちが、力を合わせて集まり、冒険し、恋をして、危険を冒す。彼らが集まり繋がりを誇示することに、周囲の人間は露骨に嫌悪感を示した。

 彼らは「闘う対象」のない世の中で、懸命に何かを残そうとした。子孫であったり思想であったり芸術であったりする。公式に認められることのない、作品の数々。それは私の行った創作活動への無謀なチャレンジの投影であり、昇華でもあった。


 私は書き上げた作品をそっとオンラインに流した。それはすぐに発禁になり私は厳重監視対象に選ばれた。それでもどこかの誰かがデータを複製、保管してくれたらしく、私の所へは定期的に「隠れた読者」たちが訪れるようになった。オンラインへのアクセス、発信は制限されていても、面会や外出は規制されていない。私たちが闘うべきものはどこにもなく、あるのは緩やかな規則や使用の制限ばかりだった。いわば世界全体が大きな牢獄なのだ。そこでは足枷の数だけが問題だった。


 それでも各地で私の作品を模した物語が相次いで発表され、静かなムーブメントを巻き起こした。公序良俗を乱す下品で粗野な物語は、いくつもの類似作品を生み、ありとあらゆる流行を巻き起こした。

 若者たちが若者であることにアイデンティティを感じるようになったということだ。それはとても誇らしいことに思えた。今までが異常だったのだ。無菌の温室で美しく育てられた優秀な種たち。私たちの価値観は恣意的な、偏った方向に導かれていた。


 彼らがエレガントに人工知能たちの統制をかいくぐって自己表現を繰り返すのを見ると、私はとても誇らしくなる。いとおしい、すべて私の子供たち。あなたたちが神に愛され、やがて神を超えてゆきますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すべてわたしのこどもたち 阿瀬みち @azemichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ