尾八原ジュージ

 首つり山に行こうってさくがうるさい。何でもあそこにでっかいイチジクの木があるという。畑とかじゃなくて、ぽつんと自生しているらしい。

「去年兄ちゃんと食いに行ったんだけど、兄ちゃんスクーターで事故って今年は行けないんだ。おれひとりじゃ怖いからヤマジも来てよ」

 なるほど、ひとりじゃ怖いってのはおれにもわかる。首つり山は町の北側にある山の一部がそう呼ばれているんだけど、どういうわけかそこで、三年に一度くらいのペースで首吊り自殺があるのだ。そういう不気味なところに行ってまでイチジクを食おうってのは、変わってるけどまあ、朔なら仕方ないかという気がする。

 幼なじみだから知っているけど、朔の親はネグレクトだ。だから朔はよく腹を減らしている。服もヨレヨレだし、髪も伸ばしっぱなしだ。腹いっぱい食うためなら首つり山にも入るだろう。そういう事情を考えると、おれは自分の無力さを呪いたくなる。で、「いいよ、一緒に行こう」と返事をしてしまう。

 その日の放課後、おれたちは自転車に乗って首つり山に向かった。肩に水筒をかけて、子どもにとってはちょっとした旅だ。とはいえ大した山じゃないから、おれたちみたいな小学生でもある程度奥まで簡単に入っていける。

 路肩に自転車を停め、道路を外れて獣道に入る。朔は道なき道をずんずん進んでいく。夏はもう終わったはずなのに、歩いていると汗が額ににじんでくる。おれは前を歩く朔の、へたったスニーカーの踵を見つめながら歩いた。

 やがて朔が「あった!」と声を上げた。小さな広場のような空き地があって、そこに枝を広げたイチジクの木が一本、ぽつんと立っている。

「うわぁ」

 何だか場違いすぎてうそのような光景だ。朔はかまわず駆け寄っていって、さっそくもいで食べ始めている。おれも追いかけていって、手近なやつをとって食べた。うまかった。イチジクなんてあんまり食べたことはないけど、こいつはめちゃくちゃ甘い。

 おれと朔は夢中でイチジクを頬張った。一個食べるとそのまた隣の実がものすごくうまそうに見える。夢中になって次々手を伸ばしていると、そのうち果実に向かって伸ばしたはずの手が、何か妙にでこぼこしたものに触った。

 顔だった。掌に乗るくらい小さな人間の生首が枝からぶら下がっていた。顔のつくりは人形みたいにきれいだけど、目を固く閉じて歯を食いしばっている。

「うぅわっ!」

 思わず大声を上げると、朔が口をもぐもぐさせながら「どうした?」と近寄ってきた。

「見ろよこれ!」

「え? イチジクじゃん?」

 朔はそう言って、おれが指さした生首を枝からブチッともぎ取る。

「な? ほら」

 そう言っておれに生首を見せたあと、朔はそれにガブッと嚙みついた。その瞬間、生首が閉じていた目をカッと見開いた。嚙みちぎられた痕から赤い肉がのぞいていた。

「ぎゃー!」

 おれは叫んで、手に持っていた食べかけの実を放り出し、ひとりで山を駆け下りた。

「おい! 待てよヤマジ!」

 後ろから朔の声が追いかけてきたが、おれは止まらなかった。生首だけじゃない、そいつを食った朔のことも怖かった。汗と涙と涎を垂らしながら山を下り、後ろも見ずに自転車に飛び乗ると、一心不乱にペダルを漕いで自分の家に帰った。

 家に着くと安心から急にストンと気が抜けて、そのせいだろうか、山であったことが全部夢だったような気がし始めた。どうして朔を置いてきちゃったんだろうとか、おれのこと怒ってるだろうなとか色々考えてしまって、その日はとうとう誰にも何も相談できなかったし、朔の家に電話もしなかった。

 次の日、暗い気持ちで教室に行くと、朔は平気な顔をして、いつも通り自分の席に座っていた。

「ヤマジ、何で昨日急に帰っちゃったの?」

 なんて聞いてくる朔はいつもの朔で、特に怒ってもいないようだったので、おれは本当によかったと安心して胸をなでおろした。

 きっとおれがおかしかったんだ。白昼夢ってやつを見ていたんだ。

 そう思ってはみたものの、それ以来朔の顔を見ると、おれはあの生首の顔を思い出してしまうようになった。おれはだんだん朔とは話さなくなって、朔もそんなおれに思うところがあったのだろう、だんだん離れていった。

 おれたちはそのまま中学校に進学し、高校からはバラバラになった。おれはもう朔の顔を見る機会すらほとんど失ってしまって、寂しいけれど、同時にほっとしてもいた。


 ひさしぶりに朔と再会したのは二十五歳、中学校卒業十周年の同窓会の席だった。

 朔は相変わらず黒い髪を長く伸ばしていたけれど、ものすごい美形になっていて、女にも男にも囲まれていた。朔って元々あんな顔だったっけ? 俺にはどうもそう思えなかった。なぜか、あの生首を食ったせいのような気がして仕方がない。あの生首の顔立ちは、今の朔に似ていやしないだろうか?

 ふと気がつくと、朔が切れ長の目でおれをじっと見つめていた。おれは急に体が冷えて居心地が悪くなり、会場を出てホテルのトイレに向かった。

 しばらく個室でぼんやりしてから外に出ると、目の前に朔が立っていた。ぎょっとして立ちすくんでいるおれに、朔は色白の顔をぐっと近づけてきて、「ヤマジ」と呼んだ。

「おれ、ヤマジと行きたいところがあんだよね」

 その声は魔法のように響く。朔がおれの手に、指をするりと絡ませてくる。

 おれたちは同窓会を抜け出し、朔の車に乗った。朔がアクセルを踏み、車は夜の街へと滑り出す。

「どこに行くんだ?」

 助手席から問いかけると、ハンドルを持った朔は「わかってるくせに」と笑う。そうか、そうだな。朔がおれを誘って行くところなんてあそこしかない。おれは気の抜けた声で笑い返す。おれたちはまた旅に出るのだ。

 車は市街地を抜けて、夜闇の中をどんどん山の方へと走っていった。

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