先輩の思惑とは
2か月後――。
先輩からメッセージが届いた。
「おぅ、どんな感じ?ちゃんと振ってるか?」
なんの話かと思えば、あの南部鉄器のことらしい。いまさら嘘をつくのも白々しいので、正直に現状を伝える。
「はぁ?アホか!あれはドアストッパーなんかじゃねぇよ、ケトルベルだよ」
(けとるべる??言われてみればたしかにケトルのような形をしているが)
ケトルベル――球体に取っ手がついた形状が「やかん(英:kettlebell)」に似ていることから、その名がついた筋トレ器具。ダンベルの一種だが使い方には大きな違いがあり、トレーニング後の体型や筋力のつき方、運動能力も独特。ロシアやヨーロッパでは軍や特殊部隊でも使われるほか、アメリカではプロスポーツ選手から一般女性のエクササイズにまで普及している。故ブルース・リーが愛用していたことで有名。(参考:BODYMAKER)
僕は根っからの運動音痴。小学校の頃から運動部の奴らを敵視してきたし、本とパソコンがあれば人生バラ色だと思っている。それをなぜ今さら、筋トレなんて不毛な行為を強制されなければならないんだ?
とはいえこのトンチンカンな感じ、先輩っぽいといえばそんな感じか。
「オマエさ、このYouTube見てとりあえず振ってみろよ」
そういって動画のリンクが送られてきた。開業2か月、まだそんな余裕などない。だがギフトをもらった立場として、贈り主の気持ちを無下にはできない――。
僕は仕方なくYouTubeを開くと、インストラクターに合わせてケトルベルを振ってみた。
(なんだ、重いわりには反動つければ意外とイケるな)
見よう見まねでスイングする。想像していた筋トレとは違い、なんていうか体全体でケトルベルを振り上げる感じ。腕が筋肉痛になるとかそういうことはなさそうだ。
その日から僕は、渋々、ケトルベルを振ることを日課とした。なぜなら先輩が、
「来月、様子見に行くからな!」
と脅すからだ。あの人のことだ、もし僕がやってないと知ればなにをしでかすか分かったもんじゃない。とりあえず最初だけ、今までの恩返しも込めて言われたとおりにしてやろう。
ケトルベルを始めてから、筋肉がついたとか腹筋が割れたとかそういうことは一切ないが、ちょっとした変化はあった。それは睡眠だ。僕は寝つきが悪いせいで睡眠不足に陥り、医者から睡眠導入剤を処方されていた。
それが最近、なぜかすんなり入眠できるようになったのだ。ほかにも長時間デスクワークをこなしても、肩や腰が疲れなくなった。椅子を変えたわけでも姿勢を良くしたわけでもないのに、不思議だ。
あとこれも全く関係ないが、取引先の社長から褒められることが増えた。
「なんかいいことでもあったの?顔色いいじゃん」
日々の多忙っぷりは変わらないが、なぜか「健康そう」「明るくなった」「若返った」などと言われるようになった。人生のモテ期でも到来したのか?
ケトルベルを始めて3週間が経過した。そろそろ同じ動きに飽きたので別のやり方を検索していると、「ケトルベルスイングは反動を使うものではない」ということを知る。背中や臀部の筋肉を使って行うものらしい。
(マズイ、やり直しだ!)
いくつかの動画を参考にして、僕は一からケトルベルスイングをやり直した。たしかに意識する部位が変わるだけで、体の感じ方や使い方がまるで違ってくる。あぁ、この3週間を無駄にしてしまった!
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