第3話 新しい仕事

わたしが二番目に選んだコンサルタントという仕事は、顧客の経営上の課題を解決して、改善提案をすることで、文系とは言っても全く畑違いの経営というものを一から勉強する必要があった。


今までやってきたシステム開発は、その改善策の一つの選択肢で、システム面の知識は幸いあったものの、顧客によって業務内容は当然違うし、経営者によって経営方針も変わる。


経営的な目線すらまだわたしは培われていなくて、何をするにしてもまず問いを立てることに時間が掛かった。


事前に周囲から大変な仕事だとは聞いていたものの、情報をインプットし続けてもアウトプットに苦しむ日々が永遠のように続いていく。自分が前に進んでいるつもりでも、後ろを向いて走っているのではないかと不安に陥ることはしょっちゅうで、苦しさはあったものの、その分維花のことを思い出さなくて済んだのは幸いだった。


わたしがコンサルという仕事に転向しようと考えたのは、自分がプロジェクトを纏めて率いて行くような存在にはなれないだろうと思ったことがきっかけだった。わたしは基本的に自分のすべきことは自分の責任でやるという信念があって、他人もそうあるべきだと思っている。だからこそ、他人の面倒など世話しきれないし、したくなかった。


維花以外は。





その日、常駐している客先での顧客との打ち合わせが終わった後、荷物だけを自席の机の上に置いて、そのまま煙草に向かう。ビル内にも喫煙ルームはあったけど、わたしは煙草を吸っているくせに煙草の匂いがつくのが嫌で、ビルを出てすぐ傍にある川沿いの喫煙場所を専ら利用している。


煙草を吸い始めたのは転職してからで、いつの間にかタール量の多い煙草を吸うようになっていた。


子供を産めなくなるぞ。


わたしが吸っている銘柄を知った同僚の男性に、幾度かそんなことを言われもしたけど、そもそもわたしには子供を産むという選択肢がない。愛する存在すら得られないのに、子供だけなんて考えも勿論なかった。


というか、自分ほど母親という存在に不似合いな存在はいないだろうともわかっている。


きっついなぁ。


先程の打ち合わせでのことを思い出し、煙草の煙と一緒に深く息を吐く。


無知な自分が悪いだけの話だとしても、知識には限界がある。早く慣れてスムーズな会議運びと回避術を磨きたいとは思っているものの、まだコンサルになって2年目の駆け出しで、寝る時間を惜しんでも追いつかないことはしょっちゅうだった。


「あの……」


不意に掛けられた声に視線をあげると、そこには見知った顔があった。


そして、それは選りに選って今一番見たくない存在だった。


それでも大人の対応で表情を作る。


高埜たかのさん。高埜さんも煙草吸うんだ」


高埜は現在の顧客であるメーカの担当部門の若手で、まだ入社して数年だと聞いていたが、高学歴であるに相応しく、しっかり自分の意見を言う女性だった。


「いえ、ちょっとコンビニに行くのに外に出て、三坂さんが見えたので……」


「何かありましたか?」


わたしは極めて業務的な声を出すことに努める。自分の心を出さない術は幸か不幸か維花のお陰で鍛えられている。それが先程まで心に重くのし掛かっていた原因を作った相手であろうとも笑顔を見せることができた。


「すみませんでした」


開口一番に謝られ、頭を下げられて、思い当たるものがなくて首を傾げる。


「先程の打ち合わせで生意気なことを言ってしまったので」


わたしよりも心持ち背が高い存在はそう言って深く頭を下げる。今まで打ち合わせの場でも表情を崩したことを見たことがない存在が、謝ってきたことにわたしは少し驚いていた。


良い意味でも悪い意味でも真面目がわたしが持っている高埜の印象だった。先程の会議での高埜とのやりとりは、そんな高埜の性格所以のものだと分かっていたが、今更謝られる理由が思い当たらなかった。


「わたしの知識不足が原因なので、高埜さんが謝る必要はないですよ」


「でも、ああいう人を責めるような言い方はするなって、ちょっと怒られました」


どうやら高埜の上司は、社会人としてのマナーを指導できる存在らしいと少し安堵する。若手が持て余す力で行き過ぎてしまうことはよくあることだ。高埜の指摘もそれだけ仕事に対して情熱があってのことだとはわかっている。


もちろんそれと高埜の指摘に対しての胸中の腹立ちは別問題として。


「大丈夫ですよ。気にして下さったんですね、有り難うございます」


わたしにあった苛々は高埜が謝ってくれたことで少しは晴れた。後は自分が知識をつけるだけだと、この時間で少し前向きになることはできたので、意味ある会話になったことは素直に嬉しかった。


「でも、三坂さんは綺麗で、大人で、その上大変な仕事をされているので、すごい女性だなって思っていますから」


胸の前で両手を組みながら、一生懸命伝えようとする姿は純粋さが垣間見える。


可愛いところもあるのだと普段無表情な分、必死で言葉を伝えようとする様には好感が持てた。


こういう子をぐちゃぐちゃにして、感情フルオープンにさせたら気持ち良さそう。


と、いつもの調子で女性を品定めしてしまっていたが、流石に顧客相手に面倒ごとは避けようという分別くらいはあった。


「有り難うございます。高埜さんもしっかり業務を考えられて、意見を言って頂いているので助かります」


わたしへのダメージが大きすぎることがあるものの、仕事に対しての姿勢には賛辞を返して、わたしは高埜に別れを告げてビルに戻った。

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