第9話 スタートライン

翌日には三坂も仕事に復帰し、いつもの慌ただしい日々に戻った。なつきは家探しを始めながらも週中にも三坂の家に通うようになり三坂と接する時間を増やしていた。


「夜遅くに帰るくらいなら、泊まって行きなさい」


「大丈夫ですよ、うちは駅からも近いので」


「駄目。なつきに何かあったらわたしが困るから」


三坂にそう言われると断れず、結局週3で三坂の部屋に泊まっていたが、流石に平日は軽く体を触れ合わせるだけだった。


三坂とつきあい始めて半年が過ぎ、梅雨が明けようかというその日は、なつきの27回目の誕生日だった。定時で切り上げるから会おうという三坂からの提案で、また直前キャンセルかもしれないと思いながらもなつきはその日を待った。


なつきが鮨が好きだから、と連れて行かれたのは回らない方の鮨屋で、軽く日本酒を味わいながらゆったりとした時間を二人で過ごす。


幸い明日は休日で、このまま泊まりにおいでという三坂の誘いに二つ返事で肯きながら、駅までの道のりを並んで歩く。


「最近なつきは仕事は大丈夫なの?」


「今は大丈夫です。何かあったら、また相談させてください」


「もうわたしは関わってないから詳しくは聞いちゃ駄目なんじゃない?」


「じゃあNDA(秘密保持契約)扱いでお願いします。契約書作成するのでサインしてください」


それは会社間で企業秘密内容を共有する際に結ぶ契約で、かつてはなつきの会社と三坂の会社も結んでいた契約だった。もう適用期間は流石に切れているだろうが、その契約を結ぼうと三坂に提案すると、久々に仕事の時の三坂の笑顔を見せてくれる。


「冗談だから。何でも相談してくれたらいいよ。わたしの方がいつもなつきに迷惑かけてばかりだしね」


「私が好きでやってるので、それは気にしないでください。家に頻繁に伺っているのも、私が藍理さんと一緒にいたくてですから」

 不意に三坂が歩みを止め、それに呼応するかのようになつきも足を止め、三坂に視線を移す。

「なつきはわたしにはもったいないなって、いつも思ってるよ。仕事ばかりしていて、デートもろくにできなくって、悲しませてばかりなのに、なつきは傍で支えてくれる。なつきなら結婚して子供を産んでっていう普通の幸せを得ることだって十分できると思っているんだけど、わたしはもうなつきを手放したくないみたい。これから先ずっとわたしの傍にいて欲しいんだけど、それでもいい?」


三坂の言葉に驚きはあった。このつきあいはなつきから言い出したもので、三坂は不承不承合わせてくれているだけな気が初めからしていた。


体を繋ぐようになって、求め合ってはいる実感はあったものの、あくまでそれは体の欲求に素直に従っているにすぎない。


自分の気持ちと三坂の気持ちは違うものだ。


ずっとずっとそう思い込んでいたが、プロポーズのような三坂の言葉に嬉しさはある。なつきを手放したくないと、三坂ははっきり言ってくれた。


「藍理さん、ほんとに、ほんとにいいんですか?」


「わたしのものになってくれる? なつき」


その言葉になつきは目の前の存在に抱きついた。


「嬉しい。全部藍理さんのものでいいです」


「結構無茶苦茶言ってるよ、わたし」


「いいんです。すごく嬉しい。どうやったら藍理さんの好みの女性になれるんだろうって、ずっと怖かった……」


「ここまで本気になって、ここまで言ったのはなつきが初めてだよ。かわいい女の子が好きっていうのはあるけど、それだけで人生を掛けようなんて思わないから」


そう言った三坂からのキスがなつきに落ちる。人目は少しはあったが、そんなこと最早どうでも良かった。


「藍理さん、大好き」


「わたしもよ、なつき」





なつきで進めていた部屋探しに三坂が出した条件は、パートナーとしての証明ができる自治体に住もうというものだった。


それだけ本気でいてくれているのだとなつきが断る理由もなく、目星をつけた物件を二人で見てまわり契約も済ませ、今は引越の準備を急いでいた。


一緒に暮らすにあたってなつきが出した条件は三坂の禁煙で、ずっといっしょにいたいからと泣くなつきに、前向きには検討すると三坂は答えてくれた。


そんな中で指輪を買いに行こうと三坂に誘われ、なつきは出かける前に号泣してしまい、目を腫らしながら揃いの指輪を選んだ。


「わたしの自己満足のためだから、なつきがする、しないは強制しないよ」


三坂はこれを機に会社には同性愛者であることと、事実婚の相手がいることを公表するつもりだとなつきに話してくれた。


いい加減に男に言い寄られるのが面倒くさい、という三坂らしい理由だったが、それは確実になつきのものなのだと公言してくれるということで、嬉しさはあった。


「私もしたいです」


「してもいいけど、同性が相手だってことに嫌悪感を抱く人もいるから、事実婚くらいで留めておいた方がいいんじゃない? 特になつきの会社は古い気質の人もいるしね」


「……そうですね」


「それでもなつきが指輪をしてくれるのは嬉しいよ。わたしは自分で振り払えるけど、なつきは心配だから」


「私だって振り払えます。藍理さんとつき合う前につき合って欲しいって言われたこともありましたけど、ちゃんと断りましたよ」


「さすがクールでストイックな高埜さん」


「……私ってそんな風に見えます?」


そう言われることがあるのは自覚していたが、三坂にもそう見えるのかという驚きはなつきにあった。


「会社ではね。ほんとは情熱的だってことはわたしだけが知ってるでいいけどね」


「憧れて、でもただの仕事上の関係でしかないって思われている人を追いかけるのに、周りなんか気にする余裕もないくらい必死だったんです」


「なつきは頑張ったよ。真っ直ぐすぎて目を離せなくなったから、わたしは」


「目を離さないでください」


ぎゅっと三坂の腰になつきは腕を回して自らに引き寄せる。


「大丈夫、なつきのものだってもう公言することにしたから」


「藍理さん、なんでそんな我慢できなくなること言うんですか。片付けを手伝いに来たのに、もう無理です」


まだ昼日中で、引越はもう来週なのだ。そんなことをしている場合ではないとわかっていたが、なつきは三坂にキスをして、そのまま床に押し倒す。


「なっちゃんにがっつかれるのが好きだからかな」


わざとだとわかっていても、大好きな大好きな人に誘われてなつきが止まれるわけがなかった。


唇を落とし、その人の肌に触れる。



生まれて初めて恋をして、愛した人。


追いかけて、手を掴んで、今は手を繋いで一緒に歩んでくれるようになったと小さな自信もできた。


だからこそ、もっともっと自分は強くなろうとなつきは思う。


淋しさを埋めるだけのものではなく、前を向いてその人と生きて行くために。



「藍理さん、愛しています」




end

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最後までお読み頂き有り難うございました。


『恋心』としてはここで終わりですが、この二人の話は初めは藍理視点で書いていました。この後は、『恋心』の裏側の方をアップしていく予定です。

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