第6話 おつきあい
送別会の夜になつきは三坂のプライベートな連絡先を手に入れ、三坂が契約を終了となったその日の週末に、初めて三坂と二人で食事に行く約束をした。
待ち合わせ場所に姿を現した三坂の華やかさに、なつきの胸の高鳴りが一段階上がる。三坂は普段のスーツ姿も女性らしい柔らかな印象を人に与えて魅力的だが、私服はそれ以上だった。
襟の開いた大きめの黒いシャツに七分丈のパンツを合わせ、いつも下ろしている髪は今日は纏めて後頭部で留めている。背はなつきと似たりと寄ったりでも、ヒールを履いての立ち姿のバランスの良さに見惚れてしまう。
こんな素敵な人が自分と付き合ってくれることになったということが今更ながらに信じられなくて、素敵だという褒め言葉すら忘れてなつきが見とれている内に、三坂から店の提案を受ける。
三坂の手慣れた感は、他にもそうやってつきあった相手がいるからなのかもしれないが、それは思考の外にいったん追いやってなつきは肯きを返した。
そのまま三坂の先導で入った店は、居酒屋とは言っても黒を基調にしたおしゃれな内装の店で、サラリーマンが呑みに使う店というよりもプライベートで行くような店だった。
席に座り乾杯をした後、いきなりの踏み込んだ質問が三坂から飛んで来る。
「高埜さんって、女性じゃないと駄目なタイプ?」
店に入ってなお続いているなつきの胸の高鳴りなど三坂が知るはずもなく、その態度は職場での三坂と大きな違いはない。
つき合うという話になったものの、二人の間で知り得えている情報は互いの仕事と、三坂が女性しか愛せないということだけなのだ。
「さあ……そもそも誰ともつき合ったことがないので、よく分からないです。男性との合コンに誘われて行ったことは何度かあるので、そこまで嫌悪を感じてるわけではないですけど、つき合いたいと思ったのは三坂さんただ一人だったので……」
「誰ともつきあったことないってマジで?」
自らの額に手をあて、三坂はまいったなぁと小声で呟く。
「すみません」
「謝ることじゃないけど、学生時代もないんだ?」
「はい。男の人につき合って欲しいと言われたことはあるんですけど、それが何になるんだろうって考えてつき合えなかったので」
「そう思うことはあるかもしれないけど、でもそれがいきなり何でわたしとつき合いたいになるかな。高埜さんってもっと常識に拘るタイプなんだと思ってた」
「すみません」
三坂が同性であることはなつきの中で初めからあまり重要ではなかった。ただ、傍にいたい。その心を裏切れなかったのだ。
「仕事でのわたしはかなり猫被っているよ?」
「多かれ少なかれ誰だってそうだと思っています。でも、そうじゃない三坂さんを見たいです」
「……うーん、見せてもいいけど、つき合う相手に気を遣うなんてわたしはしないから幻滅するだけかも」
「いいです。三坂さんについて行きたいです」
「純粋すぎるんだけどな……」
困ったなぁを繰り返す三坂は、それでもなつきとのつきあいに真面目に取り組もうとしてくれることは嬉しかった。
「じゃあ、まずは呼び方から。これからは『高埜さん』じゃなくて『なつき』って呼ぶから」
「はい。私は『藍理さん』って呼んでいいですか?」
「わたしの名前知ってたんだ」
「名刺もらいましたから」
それはもう1年半以上前のことだったが、数少ない名刺のストックの中に入っていた。
「そう言えば渡したね。あの時はしっかりしてそうな子だなと思ったけど、まさかつき合ってって言われるなんて思いもしなかったな」
「職場でそういうのなかったんですか?」
「男からは何度もあるけど、断るしか選択肢はないからそれは」
「藍理さん、全然そういう風に見えないから、男の人が放っておかないですよね」
「別に男を意識しているわけじゃないけど、プライドとして手を抜きたくない部分があるのよね」
男性にもてるために着飾る女性もいるが、三坂はそうではなく自分自身が納得するお洒落をするタイプであることをなつきは知る。
「藍理さんは誰に対しても魅力を振りまいてしまうので、ちょっと心配です」
「大丈夫、大丈夫。今はなつきとつき合うにしたんだから、こそこそ何かやるようなことはしないから」
「有り難うございます」
「そういう焼きもち可愛いなぁ」
褒め言葉に対しての免疫がないなつきは、一瞬で頬が染まるのを感じた。つきあうことに慣れている三坂と、初めてのなつきでは経験値が違い過ぎるのだ。
「それと、つき合うことにしたんだから遠慮なしにわたしは触れるからね。嫌なら嫌だって、待って欲しいなら待って欲しいってちゃんと意思表示してくれないと、勝手に好きにしちゃうから悩まずにはっきり言ってくれたらいいよ」
三坂はつきあうことに戸惑いはなく、つき合うのであればそれなりの態度を取るタイプであることはそのデートで分かり、なつきも照れるよりも三坂とつき合えることを楽しもうと感じるようになっていた。
つきあい始めてから知ったことだが、三坂は平日は元より土日も仕事だったり下調べだったりと、かなり多忙な存在でプライベートと言えるプライベートが極端に少なかった。
休日とはいえ朝から夜までずっと一緒にデートをすることはまず難しく、一緒に外食して少しどこかに行くがせいぜいだった。
「藍理さん、これ貰ってください」
その日いつものように食事をした帰り道、なつきは先週買ってあったものを三坂に紙袋ごと手渡す。
今日がバレンタインデーであることを考えれば、その中身は当然チョコレートだった。
「ありがとう、なつき。わたしは用意し損ねたから、来月お返しするでいい?」
「それでいいですけど、藍理さん忙しいので無理はしないでくださいね」
「なつき、そこはわがまま言っておくところよ?」
三坂に諭されて、なつきはお返し楽しみにしておきますと言い直す。
「そうそう。かわいい、かわいい」
ついでに三坂に抱き締められ、なつきは全身を硬直させる。コート越しにも伝わる三坂の女性らしい体。それだけで体の芯が熱を持つのを感じた。
「藍理さん、もうっ……」
照れたなつきに、もう一度可愛いと言って三坂の顔が近づいてくる。唇を触れ合わせただけのそれはなつきにとって初めての感触だった。
「嫌だった?」
「……嫌じゃないです」
悪戯をした子供のような瞳に魅了され、首を横に振ると三坂の笑顔が返ってくる。
それは自分だけのものだという独占欲で、なつきも三坂を抱き締める。
「意外と大胆だよね、なつきは。もう一回ちゅーしちゃおう」
そう言って再び三坂のキスが重なり、先程よりも長く唇を触れ合わせていた。
「すごく嬉しい……」
思わずあふれ出た言葉と目尻から零れた涙の粒を、三坂は手で拭ってくれる。
なつきと三坂の背の差は数センチで、三坂の方が高いヒールを履いていることが多いため、目線はほぼ同じ高さになる。おでこを合わせるように額を寄せて、笑ってと囁く声になつきは目を開き口元を弛ませた。
「大好きです、藍理さん」
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