第4話 グレーゾーン

その後すぐに三坂は担当部門が変更になったことでフロアも移動となり、同じビル内にいても会う機会は全くなくなっていた。


三坂のいるコンサルチームと仕事をするようになって以降、なつきは『帰りたい』と思うことがなくなっていた。仕事にそれだけ夢中だったのかもしれないが、一区切りしてからは、自分が空回りしているようになつきには思えていた。


やろうとしていることはある。


三坂と決めたことを実現させるために頑張っている。


それなのに上手く行かずに一人でなつきは悩んでいた。


これで本当に業務は改善できるのだろうか。


今更ながらの迷いに、なつきは思わず三坂に相談のメールを送っていた。





もしかすれば、メールを返してくれるかもしれないという淡い期待を胸に待ち、翌日返ってきたメールには、川沿いの喫煙場所で少しであれば相談に乗るという内容が記載されていた。


三坂にとってはただの取引先の頼りない若手で、できれば近づきたくない相手であるはずなのに、その優しさに涙が溢れた。


待ち合わせ時間より少し前にビルを出て、喫煙場所の川沿い寄りの端に立って三坂を待つ。すぐに数ヶ月ぶりの三坂が姿を現して、変わってなさに胸を撫で下ろす。


「すみません」


「仕事の話ならグレーゾーンってことにしておきます。高埜さんのチームのコンサルは離れたけど、アフターケアってことで」


そう線引きをしたからこそ、今日三坂が出向いてくれたことは分かった。


思うままを話して、という三坂の言葉に今の仕事での悩みを打ち明ける。


それを三坂は隣で煙草を吸いながらも、時に相槌をいれて聞いてくれていた。


「高埜さん真面目すぎるから、もうちょっと力抜いたらいいんじゃないかな」


「……力を抜くってどうやればいいんですか?」


「趣味とか、恋人とか何か仕事以外で夢中になれるものとかってないですか? 何となく仕事のこと24時間考えていそうなので」


そこまで考えてはいないが、一つのことを考え始めると、他のことに考えが行かない自分がいることをなつきは知っていた。だからこそ填まってしまうのだ。


「趣味は少しはありますけど、家で音楽を聴くくらいです」


「ライブに行くとか、他のものでもいいからそういうものを何か見つけてもいいかもしれないですよ。肩の力を抜けって言って抜けるものなら誰も苦労はしないと思うので、仕事以外の何かに目を向けた方が、これから先仕事にだけに集中するよりもいいんじゃないかな」


いくつかの具体的なアドバイスは貰い、やろうとしていることの方向性は掴めたが、一方で他に目を向けろと言われたアドバイスに関しては、何をすればいいのか思いつかなかった。





なつきと同時入社ながら、雛葵はなつきとは全く別の道を歩み、入社4年目にして以前合コンで知り合った相手との結婚が決まったらしく結婚式の招待状が届いていた。


結婚式には当然ながら以前の合コン相手である残り2人も新郎の友人として参列していて、久々の再会を果たすことになる。


古嶋には申し訳ない断り方をしたため、新郎側の席には極力視線を向けずに、なつきは逃げたい思いでいっぱいだった。が、締めの後で近づいてきた存在を無視することは流石にできなかった。


「久しぶり」


スーツに白いネクタイ姿の古嶋は、以前と同じ笑顔をなつきに見せる。


「お久しぶりです。相変わらず3人は仲いいんですね」


「もう腐れ縁だから。とはいえ、和士は雛ちゃんと一抜けしたけどな。おかげで最近2人飲みばかりなんだ」


「あっという間でしたね」


なつきが古嶋との交際を断って以降関わることはなくなっていたが、雛葵の交際が順調なことは聞き知っていた。


「だな。高埜さんは今つきあってるヤツいるの?」


どういうつもりでの問いかに答えあぐねていると、すぐに古嶋が補足を加える。


「…………悪い、嫌なら答えなくていい」


一度つきあって欲しいと言われて、なつきは断っている。それでもまだなつきにそう言ってくるということは心残りがあるのかもしれない。古嶋は悪い人でないことはわかっていたが、期待させるような答えを返すことには、なつきの中で拒否反応があった。


「つき合っている人はいません。でも、気になってる人はいます」


「……そうか」


漠然とした思い。


ただの尊敬だと思っていた。


でも、本当にそれだけなのか。


問われてみて、なつきが向き合いたい人の姿が浮かんだ。



三坂さんのこと、好きになっていたんだ、私。



「古嶋さんってもてると思うから、つきあってって言われたりしないの?」


古嶋は優しくて、勤め先もしっかりしている上に格好良さもある。なつきに声をかけなくても、いくらでも相手が見つかるのではないかと思っていた。


「告白されたことはある。でも、俺駄目なんだ。追いかけて行く方じゃないと自分が納得できないっていうか。高埜さんは俺を学歴とか会社とかで判断しなかっただろ?」


「知ってはいましたけど、興味は低かったですね。というか、そもそも恋愛事に興味が低すぎるって雛葵にもいわれるので」


古嶋が駄目なら紹介できる相手などいないとは、以前雛葵にも言われていたが、それでもなつきはずっと誰かとつき合うことを真剣に考えられなかった。


でも、ようやく傍にいたいと思える存在を見つけることができた。


「その高埜さんが気になる相手ってよっぽどなんだな。どんな男かは知らないけど、頑張れよ」


「ありがとうございます。古嶋さんにもぴったりの彼女がきっと見つかりますから」


今度は新婚を冷やかしに飲み会でもしようという古嶋の提案には頷いて、その日は古嶋と別れた。


古嶋とつきあっていれば、なつきの満たされない思いは満たされたかもしれない、ただ今のなつきはそれ以上に向き合いたい人ができた。


幸いというか、三坂の恋愛対象は同性だと聞いている。


ただの同性というだけで誰でも対象にできるわけではないだろうが、三坂の特別な存在になりたいという思いが一気に溢れ出していた。



こんなに人を好きになるのは恐らく始めて。

手を握りたい。

隣で笑って欲しい。

抱き締めたい。

全部を自分のものにしたい。



そんな欲求が自分の中にあったことになつきは驚いていた。

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