彼氏を振った私は、修羅場の創造に気づかない


 人を信用できなくなったきっかけは、

 間違いなく、中学の、あの時。

 

 いつも傍にいてくれる、なんでも話せる、私の親友。

 そう思っていたのは、私だけで。


 私に笑顔で相づちを打っているウラで、

 私の陰口を、みんなにばらまいてた。


 あっという間にハブられた私は、

 教師にも、頼みの綱だったはずのオタク友達にも裏切られ、

 鉛中に沈み続けながら、二年間、息を止めてやり過ごした。


 信用、しては、いけない。

 隙を見せては、いけない。

 心を許しては、いけない。

 


 絶対に、やってやる。



 コスメは、武装のために。

 笑顔は、心を寄せないために。

 話術は、心を近づけないために。

 

 口角だけを引き上げて、人の悪口を熱心に聞くフリをして、

 人に話さないだけで得られる薄っぺらい信用を、

 他のオンナ達へと転がし、複数のグループを操っていく。


 男子校から転校してきた高宮君が、

 私のことを勘違いしてくれるくらいには。

 高校での私は、やれていた。

 

 代償が、受験の失敗だった。


 グループの場繋ぎや相談に時間を食われ過ぎた。

 なにもしていないのに、なにかしている気になりすぎた。

 第一志望の御成大は仕方ないとしても、

 第二志望までも落とした時は、涙も出てこなかった。


 親は、次女の私を、浪人させるつもりは無かった。

 体の良い活動と口当たりの良さだけで推薦で入れた、

 滑り止めの邊大に行くしかなかった。

 

 ミスカに入ったのは、大手を振って御成大のキャンパスを歩くため。

 虚しい努力、虚飾。なんとでも言えばいい。

 

 東京で私がしたことといえば、

 田舎仕様の中途半端な武装のブラッシュアップだけ。

 制服を脱いでも、女子ウケが悪い、媚びた赤文字のコーディネートで

 黙って、笑顔で自慢話を聞くだけで、オトコは喜ぶ。

 

 でも。

 裏切るのは、オトコも同じ。

 オンナより、ずっと酷い。


 オトコ同士のテーブルから、付き合っているオンナ同士をかち合わせないように、

 デートの日をずらすやり方を、得意げに話している声が耳に入ってくる。

 そうだと知っていて、オンナ達は、御成生のオトコと付き合っている。

 「御成生のオトコ」が彼氏だと言うためだけに。


 御成のオトコ同士では、

 私は、すぐにヤラせてくれそうな寂しそうな女、

 都合のよさそうな、手頃な、ほどほどの女だと思われている。


 頼んでもいないのに、わざわざトイレでご忠告してくれた藍那は、

 きっと、牽制のつもりだったのだろう。

 

 やり過ごそうとして、できなかった。

 ほどほどの女。都合のいい、寂しそうな女。


 やさぐれそうになった私の眼に、

 御成大のキャンパス内を彷徨っている冴えない男子が飛び込んできた。

 

 「あれ、高宮君?」

 

 疲れ切った、虚ろな眼をした高宮君は、

 制服で隠された高校時代より、ずっと酷い格好をしていた。

 

 シャンプーもしていないボサボサの髪はフケだらけ、

 まぶたは充血、顔中に吹き出物、唇は割れたまま、

 黒地によくわからない文字柄が入ったシャツと、

 季節外れのダボダボのカーティガン。

 街を歩けば、職務質問でもされそうな姿だった。

 

 ミスカの女子達が、高宮君を遠巻きにし、そして、食堂側に去った。

 私を置き去りにしていくつもりだったのだろう。


 でも。


 「高宮君、この大学だったの?」

 

 やめなかった。

 

 せめて、高宮君の前では、

 私は、誠実なフリをしたかったから。

 

 「ああ。春河さんも?」

 

 変わって、ない。

 真面目な、朴訥とした声。

 誰にも見られなくても、誠実であり続けられる人。

 

 「ううん。

  サークルの試合があるから。」

 「そうなんだ。テニス部の?」

 「サークル、って言ったよね?」

 「あぁ。ごめん。テニサーか。」

 「ふふ、高宮君、

  よからぬイメージを持ってない?」

 「正直、持ってる。」

 

 笑ってしまった。

 高宮君は、本当に変わっていなかった。

 

 「あはは。そんなんじゃないの。

  ごく普通のテニスサークル。」

  

 「普通の基準が分からない。」


 あ。


 「懐かし。」

 「?」

 「いや、高宮君っぽい言い方だな、って。

  『基準が分からない』って。

  あははは。」

 「おかしい、かな。」

 「ううん。ちっとも。

  変わってないな、って嬉しくなっただけ。」

 

 干上がった時に口にした清涼飲料水のように。

 高宮君との会話は、私の心に染み渡った。

 

 (おーい、かなー!)


 「あ、ごめん。呼ばれちゃった。

  じゃあ、またね、高宮君。」

 「うん。」

 「電話番号、文化祭の時と、変わってないよね?」

 

 仰け反った高宮君の吹き出物だらけの顔から、

 真ん丸の可愛らしい眼がのぞいていた。


*


 高宮君と付き合った理由は、

 打算と同情、優越感、そして、かすかな友情。


 御成大の彼氏が欲しかった。

 私を裏切らず、私を護ってくれる男が、欲しかった。

 私のささやかな自信を、取り返したかった。


 それと、同じくらいには。

 

 「高宮君、髪、切ろっか?」

 「え??」

 「もったいないよ。眼元、綺麗なのに。

  私、行ってるところあるから、一緒にいこ?」

 「で、でも。」

 

 ボサボサの髪を俯かせて、

 言葉少なに戸惑ってる姿が、なんとも可愛らしかった。

 

 「私の彼氏なんだから、ね?」

 「う、うん。」

 

 腹立たしいことに、私を担当してくれていた店長をつかまえられず、

 かわりに、酔っ払いのような素人に当たってしまった。

 予想通り、できあがった髪は滅茶苦茶。

 それでも、顔が見える程度にはなった。

 

 腹を立てながらも、ショップを廻って、一通りのコーディネートを施した。

 ビレッジグリーンのシャツ、グレーとオフホワイトのインナーに黒パンツ。

 小学校横の理髪店のような髪だけど、最低限の形にはなった。

 

 「どう? 鏡を見た感想は。」

 「す、すごい……。

  じ、自分じゃないみたいだよ。

  ほんとうに、ほんとうにありがとう、春河さん。」

 「あはは。大げさだよ、高宮君。」

 

 素直に喜んでくれた高宮君を、

 私は、年の離れた弟のように見ていたのかもしれない。


*


 「アルバイト、面接、通ったよ。」

 「すごい。よかったね、高宮君。」

 「春河さんのお陰だよ。

  服装と、話し方を教えてくれたからだよ。

  ありがとう、春河さん。ほんとうにありがとう。」


 純粋に褒めあげてくれる高宮君の喜色満面な姿に、

 私は、深い達成感と充足感を感じていた。

 顔中を覆っていた吹き出物も、入浴と睡眠とオイルで、すっかり消え去った。

 これなら、知り合いに自慢できる。御成生の彼氏として。


 「あはは。

  じゃあ高宮君、そろそろミスカ入ろっか?」

 「え? ミスカって、春河さんが入ってるテニスサークルだよね?」

 「そうそう。いまの高宮君なら入れる。

  男子だけど、御成生だから緩いし。運動、そこそこできたでしょ?」

 「ま、まぁ。」

 「大丈夫大丈夫、ごく普通のテニスサークルだから。」


 止めておけばよかった。

 これで、十分だったのに。

 

 「普通の基準が分からないよ。」

 「高宮君が着てる服の感じだよ?」

 「余計わからない。」

 「あははは。じゃ、紹介するから。」


 欲をかく必要なんて、なかったのに。


*


 面接の前日、高宮君は、髪を切って現れた。

 ナチュラルなツーブロック姿は、私のコーディネートともぴったりで、

 雰囲気だけはイケてるメンズに変貌していた。


 「ど、どう?」

 「あはは、似合う似合う。

  髪、どこで切ったの?」

 「春河さんに教えて貰ったところ。同じ人。」

 「え??」

 

 「あー。入りたいっての、君か?」

 「は、はい。」


 ミスカ代表の楢崎さんが、

 高宮君を上から下まで、じっくりと品定めしはじめた。

 私までが緊張してしまうくらいに。

 

 「うちの大学?」

 「は、はい。

  高宮雄馬、法学部の一年です。」

 「へー。テニス、やったことあんの?」

 「軟式なら中学で。」

 

 驚いた。

 私は、ちっとも知らなかった。

 

 「ふぅーん。硬式は?」

 「クラブで少し触ったことくらいは。」

 「そっか。君、香奈の彼氏?」

 「か、かな?」

 

 しまった。

 高宮君、下の名で呼ぶ文化に慣れてなかった。

 楢崎さんの目が、すうっと細くなった。


 「はい。

  雄馬君、私の彼氏です。」

 「!」

 「ふぅん。

  ま、いいけど。そのほうが揉め事起こらないしさ。

  時間と場所は香奈に聞いて。じゃ、これからよろしく。」

 

 あっさり決まってほっとしたと同時に、御成生との壁を感じた。

 悔しかった。でも、仕方のないことだった。

 

 「………。」

 「どうしたの、雄馬君。」

 「!」

 

 あ。

 

 「あはは、ミスカ、

  下の名前で呼ぶの、普通だから。」

 「そ、そ、そうなの?」

 「ごめんね雄馬君。彼氏だから、当然だったね。」

 「い、い、いや、いいよ春河さん。」


 「香奈。」


 「ぇ。」

 「彼氏だもん、雄馬君。」

 「……………

  お、恐れ多い。」

 「あはは。なに言ってるの?

  ほら。」

 「…………

  …か……

  …………かな、さん……。」

 「あはは、いいよ、呼び捨てで。

  楢崎さんもそうだったでしょ?」


 「か………

  か、な……。」

 「うん。」

 

 名前を呼んだだけで顔を真っ赤にしてくれる雄馬君を、

 はじめて、心から愛しいと思った。

 今にして思えば、一番、幸せな瞬間だったかもしれない。


*


 雄馬君の存在は、あっという間にサークル内の女子に知れ渡った。

 御成大一年生、法学部、敏捷な身のこなし、正確なショット、

 

 「うげろろろろろろろ」

 「だ、出して出して藍那さん。

  出しちゃったほうが楽だから。」

 「ご、ご、ごめんゆうまくん。て、よごしちゃって。」

 「石けんで洗えばいいから。だいじょうぶだから。」


 人の嫌がることを率先してやる優しさ。

 気配りの良さ。優しく耳に落ちる声、髪に隠れていたまなざしの温かさ。


 「雄馬君、三次会行くよねー?」

 「えぇ? さすがにもう」

 「あー、彼女も行くって。」

 「!」

 「そ、そうなの?」

 「モチ行くでしょー? 香奈。」

 

 これは、なんだ。

 なんで、こんなことになってしまったんだ。

 

 「雄馬君、帰ろ。」

 「えー。香奈だけ帰ればいいじゃん。」

 

 雄馬君の手を、強引に引っ張った。

 

 「わっ。」

 

 その重さに、どきりとした。

 残りたかったのか。なのか。

 

 「か、香奈?」

 「帰ろ。」

 「う、うん。」

 

 後ろで叫ぶ声を振り切るように、雄馬君の手を握りながら駆けだした。

 まるで、逃げるように。

 

 「ど、どうしたの、香奈?」


 おかしい。

 私のほうが、こんな気持ちになるなんて。

 雄馬君と付き合った理由が、消え去ってしまったなんて。


 「……なんでもないよ。」


 邪魔をした。

 私のほうがのはずだ、という、くだらないプライドが。


*


 モデルは、私にとって、大切な仕事場だった。

 読者モデルに毛が生えたような内容だと分かっていても、

 私の武装が換金されていく姿は、

 すり減ったプライドを埋め合わせてくれていた。


 「香奈ちゃん、今日も頑張ってるね。」

 

 榊さん。ナチュラルショートのツーブロック。

 鍛え抜かれた身体にモノトーンのジャケットが映えていた。

 似たような髪型なのに、雄馬君より、ずっとイケてた。


 当たり前だ。狭き門をくぐり抜けた本職のモデルなんだから。

 事務所の稼ぎ頭で、俳優としても声がかかっていた。


 「ありがとうございます。」

 「プロ意識を持った子はほんと、ありがたいよ。」

 

 ひとつひとつが、私の心に浸透してしまった。

 雄馬君が言ってくれない、雄馬君には分からない言葉が。

 

 「とんでもないです。」

 「香奈ちゃんって、彼氏いるの?」

 「ぇ。」

 

 どうして、すぐに言わなかったのだろう。


 「上手くいってないの?」

 「!」

 「もったいない。こんないいコなのに。」

 「そんな。」

 「なんなら俺、立候補しちゃおっかな。」

 「ご冗談を。」

 「そんな構えなくてもいいのに。」

 

 形だけ謙遜しながら、私の心は浮き立ってしまっていた。

 榊さんに声をかけて貰えるくらいには、私は認められていると。


 信用しない、はずだったのに。

 信用しては、いけないはずだったのに。


*


 二年生になると、雄馬君もミスカの勧誘に狩り出されるようになり、

 楢崎さんに言われるがままに、御成大の女子も入れてしまっていた。


 大学同士で付き合ってしまえば、他大学生の枠が減るのに。

 御成生は、サークル以外でも、接点があったのに。

 

 「? 

  どうしたの、香奈。」

 「……なんでも、ない。」

 

 言いたく、なかった。

 醜い嫉妬と、つまらないプライドが、

 雄馬君との壁を、一枚一枚、分厚く塗りたくっていった。


 「雄馬君、またご案内?」

 「ありがとー、助かるよぉー。」

 「僕、関係ないと思うけど。」

 「またまたー。」


 雰囲気イケメンが板についてきた雄馬君は、

 私以外の女子と、ごく普通に話していた。


 、人と、話せるようにしたのに。

 髪も、服も、靴も、爪先までも、

 、すべて、整えていたのに。


 「香奈、顔色、よくないよ?

  気分でも悪いの?」


 雄馬君は、察してくれなかった。

 榊さんなら、すぐに、私の欲しい言葉をくれたのに。


 自信を与えてくれない。護ってもくれない。

 一緒にいて楽しくない彼氏に、何の意味があるだろう。

 潮時、なのかもしれないと、思ってしまった。

 

 そんなことは、まったくなかったのに。


*


 「仕事上の、関係、

  だったん、だけど…。」


 嘘、だった。

 関係など、なかった。


 そうあってほしかった、というだけ。

 心が離れた理由を、外に求めただけ。


 「ごめんなさい…。

  ごめんなさい、雄馬君。」


 心を込めて謝るたびに、

 まるで、榊さんとのことが、本当のことのように感じた。

 本当はそうなんだ、と、錯覚してしまうくらいには。


 「ううん。

  話してくれて、ありがとう。」

 

 泣き叫ばれると思った。

 縋り付かれると思った。

 

 「香奈の気持ちは、分かったから。」


 離れていくのに、別れていくのに、

 余裕の態度を示す雄馬君に、軽い殺意すら覚えた。

 私のことしか見えないと言ったのは嘘だったのか。


 もう、よかった。

 所詮、遊びの関係だった。

 私と彼は、の、交わらない関係だった。


 「…じゃあ、別れよっ、か。」

 

 「ああ。」

 

 雄馬君が、笑っていた。

 穏やかに、まるで、最初から何事もなかったように。

 

 「…ありがとう、雄馬君。」

 「ああ。」


 「幸せにね、香奈。」

 

 幸せに、か。


 そうだ。

 私は、幸せになるんだ。

 

 「……うん……。」


 その、つもりだった。


*


 「私、別れ、ました。」

 

 言葉に乗せるのに、ほんの少し、躊躇いがあった。

 

 「ああ、君の冴えない彼氏と?」

 「はい。」

 「そっか。それはご愁傷様。」

 

 精悍な顔。

 蕩けるように優しく低く響く声が、私の耳朶を甘く揺らした。

 

 「私いま、フリーなんです。」

 

 誘い方としては、単純すぎた。

 余裕が、まったくなかった。

 


 「そう。

  じゃ、香奈ちゃん、僕と付き合おうか?」



 「……は、はいっ!

  よろしくお願いしますっ!」

 

 天にも登る心持ちだった。

 あの榊さんが、事務所の稼ぎ頭が、俳優デビュー目前の人が、

 私なんかと付き合ってくれ

 


 「じゃ、

  別れようか、香奈ちゃん。」



 「えっ……?」


 「はは。

  僕が、君なんかと、付き合うとでも思った?

  稼ぎも、意識も、姿形もまるでのに。」


 頭が、追いつかなかった。


 「君も運のない子だよね。

  一昨日言ってくれれば、一回くらいはヤッてあげても良かったのに。」

 

 このオトコハ、ナニヲ

  

 「いま、俺がだってことも分からない娘なんて、

  相手なんかするわけがないだろう。

  お前、本当に馬鹿なのか。俺の何を見てたんだ。」


 「っ!?」

 

 「仕事、ちゃんと続けろよな。

  お前なんかでも、勝手にいなくなっちまったら、

  俺がなんか言われちまってめんどくせぇだろうが。」


 轟音が、鳴り響いた。


 「!」

 「ちっ。雷かよ。雨降ったらクソめんどくせぇ。

  俺、バイトあんだよ。じゃあな、馬鹿女。」


*


 どうやって帰ったかも、

 家の中でどう過ごしていたかも、記憶にない。


 「ひどい、顔……。」


 鏡の先では、虚飾に満ちた化粧が、ドロドロに溶けていた。

 愚かな、身の程知らずの、醜い女の顔。

 叫び出そうとして、喉が枯れ果てていたことを知った。

 

 

 私は、一晩で、

 キープしていたはずの御成生の彼氏と、

 憧れていたはずのモデルのオトコを失った。

 


 これ以上の地獄はない、はずだった。


 私は、知らなかった。

 まだ、煉獄のとば口に過ぎなかったことを。


*


 なけなしの武装をかき集め、

 ファンデーションとコンシーラーで腫れぼったい涙袋を隠せるだけ隠し、

 なに食わぬ顔で講堂についた私は、すぐに、空気の違いを感じ取った。


 中学と、同じ空気を。

 

 遠巻きに視線を集めながらも、誰からも話しかけられない。

 大学生にもなって、まだ同じことをするのか。

 

 心の中だけの台から見下すことで、

 かろうじて作った余裕は、次の瞬間、正面から吹き飛ばされた。

 

 

 「なー、香奈ちゃんさ、

  雄馬君、振ったんだって?」

 

 

 雄馬君の手に吐瀉物を出した藍那が、

 馴れ馴れしく、近づいてきた。


 「隠したって無駄。

  御成のほうから、ぜんぶ廻ってんの。」


 私が入っていなかったグループの、

 緑色の吹き出しを、突きつけるように。

 

 「どういうつもり? 楢崎さん、激怒してんだけど。

  あたしら、ミスカ、行きづらくなるじゃない。」


 予想もしなかった言葉で、私が、突き刺されていた。

 なぜ、どうして。

 

 「まって藍那ちゃん。

  香奈さん、理由、聞かせて?」


 理由。

 理由なんて。

 

 「……

  モデルの、彼氏が、できたから。」


 「はぁ!?

  二股かけてたってこと?」

 

 違う。

 雄馬君とは、先に別れた。

 あんなオトコとは、もう切れてる。

 

 「はー。わりとやるもんだねぇ。

  うちらはいい迷惑だけど。」

 「だったらなおさら、ミスカ、

  しばらく出ないほうがいいよ?」

 

 忠告のフリをして、

 私の存在が邪魔なんだ、厄介なんだと、

 わざわざ全身で告げに来ていた。

 

 「ありがとう、二人とも。」

 「ふん。」

 「、香奈さん。」


 誰の、何に対する謝罪なのか。

 その意味が分かるまで、もう少し、時間が必要だった。


 私は、ミスカのグループから外された。

 私以外の全員が、連絡用の新しいグループに入っていたのだ。

 

 命綱を、切られた。

 講義にも出ずに、モデルのバイトに専念できていたのは、

 御成生も入っているミスカの情報網があってこそだった。


 それよりも。


 (雄馬、君……。)

 

 秋学期のレポートは、半分以上、雄馬君が書いてくれていた。

 法学部と英文学部で、まったく毛色が違うのに、

 わざわざ分厚い英書を御成大の図書館で借りて、一から読んで書いてくれていた。

 

 いまさら。

 いまさら、気づいた。

 

 遅すぎた。

 なにも、かもが。


 モデルの仕事も、すぐに、失った。

 カメラの前で自信を持ってポージングを示すなんて、

 今の私に、できるはずがなかった。

 

 行ってみればスイッチが入るかもと、

 淡い期待をした私を出迎えたのは、

 撮影スタッフの罵倒と事務所関係者の冷たい視線だった。


 彼氏も、

 知人も、

 居場所も、

 収入も、

 そして、単位も。


 私は、大学生として築き上げてきた、

 ささやかな生活基盤の、すべてを、失った。

 まるで、楼閣が、砂に還るように。


 おかしい。

 こんなこと、絶対にあってはならない。


 取り戻さなければならなかった。

 雄馬君を、私のすべてを。


*


 雄馬君の電話番号は、替えられていた。

 かつての住所は、もぬけの殻だった。

 

 ただ、すべての連絡手段を断たれていても、

 ミスカの活動日程も、アフターの居酒屋も、変わらなかった。


 ミスカには、もう、用はない。

 雄馬君が。雄馬君だけが。


 「なんだお前、香奈じゃねぇか。」


 御成生のタチの悪いオトコが、私に絡んでくる。

 嫌われているのに、御成生のオトコの数合わせのためだけに

 切り捨てられずに残っているだけの。

 

 「ノコノコとよく現れたなぁ。

  ほんとお前、ブッサイクな顔だなぁ。」

 

 雄馬君がいたら、

 こんなクソメンに目をつけられることもなかったのに。

 

 ……護られて、いたんだ。


 「どうせ高宮の居場所でも聞きにきたんだろ?

  誰がお前なんかに。あ、一発ヤラセりゃ喋ってやっても」


 ぞわりとした。

 手が、股の下


 「や、やめてくださいっ!

  け、穢らわしいっ!」

 

 払いのけようとした手で、逆に、腕を掴まれた。

 

 「お、お前、読者モデルくれぇで 

  調子こいてんじゃねえぞこのアマっ!」

 「きゃっ!」

 

 壁に叩きつけられは、

 しなかった。

 

 私が、抱き留められた先には、

 

 

 「読者モデルくれぇに、

  酔っ払って手を出そうとしてる奴が、

  なに調子こいてんの?」



 背の高い、ワインレッドのブラウス姿の堂々とした金髪の女性が、

 仁王立ちになって、穢らわしいオトコを睨んでいる。


 「か、関係ねぇだろ。」

 「ああほんっと穢らわしい。

  穢らわしい穢らわしい穢らわしい。」

 「なっ……。」

 「暴力を振るう男なんてただのクズ。

  一生、童貞でいるべきね。去勢してもいいくらい。」


 ……そうだ。

 去勢しても、いいくらいだ。

 榊も、このオトコも。


 「貴方。」

 

 見下ろされた。

 怯んでしまうくらい、力強い視線で。

 

 「ちょっと、来なさい。」


 金髪の女性は、驚くような握力で私の腕を掴むと、

 店の外へと私を連れ去ってしまった。


*


 店内の喧噪と注目はドアごしに消え去り、

 ネオンが灯る街の外では、何事もなく人々が行き交っている。


 「あ、ありがとうございます。」


 とりあえず、お礼しないと。

 危ないところを助けて貰ったのだから。


 「勘違いしないで。

  貴方のためにやったんじゃないから。

  貴方になにかあったら、高宮君、哀しむから。」


 「!」


 こ、この人、雄馬君と


 「香月綾乃。

  高宮君のアルバイト先の同僚。

  そして、将来の、つ、妻よ。」

 

 なっ!?

 

 「貴方が高宮君を解放してくれたことには礼を言うわ。

  でも、もう彼に、近づかないで。」


 ど、どういうつもりなのこの人。

 彼女の私に向かって、なんて……


 彼女じゃ、ない。

 もう、彼女じゃ、ないんだ。

 

 なんてことを、なんてことをしちゃったんだろう。

 信じられない、なんて、なんてことを……


 「それとも何?

  キープでもしてたつもり?」


 図星だった。


 「違いますっ!

  雄馬君は、そんなんじゃ」

 

 否定しようにも、声が、うわずってしまう。


 「じゃあもう、お互い、後腐れなしよ。

  貴方から振ったんだから。貴方からね。」


 そうだ。

 ……、振って、しまったんだ。


 なんてこと、ほんとに、なんてことを。

 馬鹿なオンナ。愚かすぎるオンナ、救いようのないオンナだ。


 「……いいわね、可愛い娘は。」

 

 !

 ど、どういうつもりだろう。


 「なんでもないわ。

  高宮君、サークルも辞めたし、住所も替えたから。

  貴方が探しても無駄よ。」

 

 !

 み、ミスカも止めてたって。

 じゃあ、この飲み会に来たのは、まったく無駄じゃ


 「……高宮君、

  本当に、本当に好きだったのよ、貴方のこと。」


 そ、そんなっ……。

 だったら、どうして、なにも


 「高宮君、別れた後も、

  貴方のこと、一つも悪く言ってないわ。

  あんな男、いないわ。

  だから、なのよ、貴方には。」

 

 !?

 

 (幸せにね、香奈。)

 

 いまさら。

 本当に、いまさら。

 

 気づかされてしまった。

 雄馬君の、気持ちを。

 

 他のオンナに目移りなんて、一切、してなかった。

 私を、私だけを、大事にしてくれていた。

 ずっと、ずっと、ずっと。


 「貴方、自分のほうがだと思ってたわね?

  よ、。せいぜい身の程を知りなさい。」

  

 馬鹿だ。

 私は、本当に馬鹿な女だ。


 無駄なプライドなんて、必要なかった。

 ぶつけてしまえば、良かっただけだった。

 私を見て、私だけを見てと、叫んでしまえば良かった。

 

 ずっと、優しく包んでくれていたのに。

 私だけを、愛してくれていたのに。


 「振った貴方にできることは、きっぱりと忘れることだけ。

  じゃあね。春河香奈さん。

  もう二度と、逢うことはないでしょうけど。」


 「……諦め、ませんから。」


 諦められるわけ、ない。

 

 「……は?」

 

 「わたし、雄馬君、

  絶っ対、諦めませんからっ!!」


 取り返す。

 絶対に、取り返してみせる。

 

 雄馬君を。

 私の幸せを、私の命を、私のすべてを。


*


 ………。

 

 すべて、無駄なあがきだった。


 サークルには、もう、雄馬君はいない。

 いたとして、名簿を手にいれられない。

 私が登録したSNSは、あとかたもなく消されている。

 御成大が、他大生に情報を出すわけがない。


 もう、興信所に頼むしかない。

 でも、モデル時代のささやかなバイト代は、尽き果てている。


 単位は、ぜんぶ、落としてしまった。

 一ヶ月後には、親に連絡がいってしまう。

 激怒されて、連れ戻されるに決まってる。

 

 打つ手は、ない。

 私の人生は、これで、なにもかも、終わ


 ぴぴぴぴぴ

 

 「!?」

 

*


 藁にもすがる気持ちだった。

 

 (10時47分発の大野行き、5両目だよー。)

 

 誰なのか、まったく、分からない。

 でも、それに賭けてしまうくらい、私には、何も残されていない。

 怪訝な顔をされながら、人々が、私を避けていく。

 不幸が移るとでも言いたげに。

 

 関係、ない。


 雄馬君。

 

 がらららっ

 

 雄馬君

 

 がらららっ


 雄馬君

 

 がらららっ



 !?



 ゆ、


 『雄馬君っ!』



 「か、香奈っ!?」


 了

 (最終話に続く)


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