彼女に振られた僕は、修羅場の群生に気がつかない


 「ね、高宮君。」

 

 ウェーブの掛かった長い髪。

 シャンプーの匂いが、鼻先を擽るだけで、呼吸が止まりそうになる。

 

 「な、なに?」

 

 近い。

 近すぎて、瞳に眼が



 「いま、彼女、いる?」



 !?


 「い、いるわけないでしょ。

  春河さん、何、いきなり。」


 「あはは、ひょっとしたら、隠れて付き合ってる人とか、

  いるかもしれないなぁって。」

 「い、いないいない。

  春河さん以外の女子と話すなんて、ありえない。」

 「あはは、ありえないんだ。」

 「う、うん。」


 「じゃ、付き合ってあげよっか?」

 

 「………

  ………

  …………どう、して。」


 「やっぱり彼女、いるの?」

 「い、いないよっ!?」

 「ひょっとして、オトコが」

 「そんなわけないでしょっ!?!?」

 

 「あはは、じゃあ、付き合お?」


*


 (……、夢、……か。)

 

 思い出すたびに、動悸が止まらなくなる。

 初夏の匂いも、空気も、香奈のぬくもりも。

 世界が、鮮やかに色づいた瞬間も。


 過ぎ触った時間。

 時を、止められはしなかった。

 他の男のモノ。夢に出してすらいけない人。


 幸せな。

 ただ幸せな、夢のような時間だった。


 ありがとう。

 本当にありがとう、香奈。

 

 ……目、腫れちゃったな……。

 顔、洗わないと。


*


 女性の買い物は、長い。

 結果ではなく、そこに至る無限の可能性を楽しむから。


 「先輩、こっちはどうー?」

 

 諸橋さんは、何を着ても似合う。

 元陸上少女だからスポーティは完璧だけど、

 スタイルもいいし、髪型も決まっているから、きれいめフェミニンもばっちり。

 ストリートもラグジャリーも、ガーリッシュですらはまってしまう。

 モデルになれば撮るほうは使いやすいだろうなぁ。顔も小さめだし。


 「こっちはー?」


 裸電球に毛の生えた程度のライトですら、

 諸橋さんを照らすと、格好のスポットライトになる。

 距離を置いているのに、ちょっと、ドキドキしてしまう。

 彼氏に悪いと思うけど、言ったら気にしすぎ、とか言われそうだし。


 「先輩、正直に言ってくれていいよー。

  もう答え決まってる、ってこと、全然ないから。」

 

 うわ、読まれてる。

 香奈に言われてから気を付けてたのに。

 ってことは、考えないといけないのか。

 

 「じゃあ、これかな。」


 意外なんだけども、

 抜け感白ブラウスに白スカート、フェミニンそのもの。


 「え。

  ど、どうして?」

 「これ着た時、諸橋さん、一番いい笑顔だったから。

  着たいんじゃないかなって。」


 どっちかというと黒髪向きだから、恥ずかしさもあるかもしれないけど

 ココアブラウンでも、違う見せ方をすれば、十分、似合う。

 スタイルがいいからなんでも似合っちゃうんだけど。


 「うわ。うわぁ高宮先輩、

  それ、服の感想じゃないじゃん。」

 「どれを着ても素敵だったよ。

  スタイルいいし、姿勢もいいし、身体の線を出して恥ずかしくないし。」

 「………。」

 「ん?」

 「嘘、ばっかり。」

 「どこが?」

 「わたし、スタイル良くないし、姿勢も悪いし、

  身体の線なんか出すの恥ずかしい。」

 「んー、それはないよ。

  だって、香奈と一緒にいた時に、モデルさんの知り合いを紹介して貰ったけど、

  諸橋さんのほうが整ってるよ。」

 「な、

  ないないない、それはない。ありえない。」

 「ありえなくないって。

  これ着たら彼氏、喜ぶと思うよ?」

 「か、かれし??」

 「…え?」


 「か、彼氏なんていませんけど。」

 

 え??

 

 「こないだ、大学の並木道で男の人に親しそうに肩組まれて」

 「あ、あれはナンパっ。腹パンして逃げたよっ。」

 「え、えー。

  仲良さそうにしてたように見えたけど。」

 「せ、先輩の眼、節穴すぎっ。」

  

 うわぁ。

 香奈にも言われたことあるその台詞。

  

 「と、ともかく彼氏なんていないからっ!」

 「そ、そうなんだ。

  お化粧も服の趣味も変わったから、彼氏が」

 「い、い、いないからっ!


  !?


  こ、これ、か、買ってくるからっ!」

 「う、うん。」


*


 ……まずい。

 

 春河香奈。

 あの娘、悠馬君を諦めてなかった。

  

 問い詰める前に勝手に走り去ってったから、

 何考えてるんだかひとっつもわかんないまま。

 自分から振っておいてどういうつもりなのあの娘。

 

 でも、あの娘こそが悠馬君の元カノ。

 一途な悠馬君の事だから、まだ、あの娘に気があるに決まってる。

 ちょっと胸に飛び込んで上目遣いに涙のひとさじでも流せば

 あっという間にモトサヤに戻されてしまう。

 

 冗談じゃ、ない。

 そんなことになる前に、私からさっさと告白しないと。

 

 ……勇気。

 勇気を出すの、綾乃。

 

 でも悠馬君、私にまだ、彼氏がいると思ってる。

 その誤解をゆっくり解きたかったけど、そんなことをしてる余裕はない。

 早く雄馬君の家に行って先手を打たないと大変な


 「!?」

 

 ゆ、悠馬君っ!?

 どうしてこん

 

 !

 

 だ、だ、誰なの、あのココアブラウンの女っ……!

 春河香奈なんかより数倍男ウケしそうな

 

 !

 い、一緒に、ふ、服、選んでるっ!?

 で、出遅れたってことっ!?

 

 き、気づかれないように近づかないと。

 こ、このビルの隙間に隠れっ、うぁ、な、下、変な

 

 「と、………彼氏なんて………からっ!」 

 

 !?

 な、なに?! なんて言ったのっ!?


 ……

 い、いなくなった……?


 い、今よね、今。

 ど、どういう顔していけば……

 え、え、えぇいっ!!


*


 「雄馬君。」


 あ、あれ??

 

 「あ、綾乃さん?」

 「そ、そうだけど。」

 

 え、なんで綾乃さんがこの街に?

 家、逆だと思うし、大学もバイト先も

 

 「と、友達の家から帰るところよ。

  たまたま、貴方を見かけたから、無視するのも変だし。」

 「そ、そうだったんですか。奇遇ですね。」

 「そ、そうね。」

 

 ん?

 なんかスカート、汚れてる? 転んだ?

 んー、でも、聞けないなぁ。

 

 「そ、外で逢うなんて、珍しいわね。」

 

 あ。

 

 「そうですね。本当に。」

 「ごめんなさいね、お連れさんがいらっしゃるのに。」

 「お連れさん、ですか?」

 「か、可愛い女の子じゃない。

  も、もう、春河さんのこと、吹っ切れたの? よかったわね。」

 

 え?

 

 「あ、諸橋さんですか?」

 「そ、

  ……は? え?? 諸橋って、まさか、諸橋、泉さん?」

 「あ、はい。そうですよ。ミスカの一年生です。

  綾乃さんも面識、おありですよね?」

 「え、えぇ!?

  だ、だって諸橋さんって、前髪ぱっつんで、

  サークルではいつもジャージで現れてきたじゃない。」

 

 あはは。そうそう。

 もはや懐かしいなぁ。

 

 「その諸橋さんです。」

 「は、はぁ……。

  え、えぇ??? えらい変わりようね……。」

 「ほんとですね。半月前くらいでしょうか。

  楓さんにコーディネートしてもらったみたいです。」

 「か、楓さん?」

 「あ、表参道にある美容室の美容師さんです。

  香奈が行ってたトコで、僕もお世話になってます。

  僕なんかがいっていいとこじゃないんですけれどもね。」

 「そ、そんなことないわっ。

  そうなの。そ、そう……。」

 「あ、すみません綾乃さん。

  お帰り途中のところ、足を止めてしまって。」

 「お………

  い、いいの。いいの。

  じゃ、じゃあ明日また塾でね。ご、ごめんあそばせ?」

 「あ、はい。また。」


*


 !?

 

 あ、あの堂々とした金髪って……、

 まさか、邊大の香月綾乃先輩……?

 ど、どうして? 今日は塾の日と関係ないはずじゃ……

 

 「だ、だって諸橋さん、前髪ぱっつんで、いつもジャージ着て」


 ……穴があったら埋まりたい……。

 そうでした。確かにそうでした、わたし。


 「香奈が行ってたトコで、僕もお世話になってます。

  僕なんかがいっていいとこじゃないんですけれどもね。」

 「そ、そんなことないわっ。」


 !

 

 や、やっぱりそうだ。

 香月さん、悠馬君に、気が、あるんだ。

 声ちょっと、震えてる。


 ……でも、どうして?

 香月先輩、地元に許嫁がいたんじゃなかった?

 

 「じゃ、じゃあ明日また塾でね。

  ご、ごめんあそばせ?」


 あ。離れてく……

 ? 

 スカートと足下が汚れてる? どういうこと?

 

 「!」

 「あ。

  お帰りなさい、諸橋さん。」

 「。」

 

 !?

 い、言っちゃった。ぽかんとした顔されてる。

 そりゃそうだ。えぇい、勢い、勢いで言っちゃえっ。

 

 「い、いま、香月先輩のこと、

  さんって言ってたでしょ。」

 「あ、あぁ。見てたんだ。

  塾で、同じ名前の子がいて、ややこしいからって。」


 ぐっ!?

 な、なんて自然なやり口っ。

 ま、負けられないっ!

 

 「知り合って四か月ちかく経つでしょ?

  東京の大学生なら普通だよ。ふつう。」

 「そ、そうなのかな。」

 

 このカード、物凄い効果あるけど、罪悪感あるわー。

 わたしも田舎者だから、よくわかる。

 詰めてしまえば、絶対だまされてくれる。

 

 「合コンなんて逢った当日から下の名で呼んでくるよ。」

 

 めっちゃ気持ち悪かったから廻し蹴りくれてやった。

 でもありがとう。使わせて貰うから。

 

 「それはそういう人だからでしょ。」

 「あはは、確かに。

  でも、四か月だとふつうだと思うな? ね?」

 「うーん。」

 

 …よし。

 先手、必勝っ。

 

 「…ゆ、ゆうま、くん。」

 「ぇ。」

 

 やばい。動悸がする。

 顔、火照ってきてる。手の血管までバクバク鳴ってるみたい。

 え、ええぃ、い、言ったもん勝ちだっ!

 

 「ゆうまくんゆうまくんゆうまくん」

 「ちょ、ちょっと諸橋さん、まわ」

 「呼んでくれないなら大きな声だすよ。」

 「えぇ?? それはちょっとタチわ」

 「ゆーまく」

 「や、やめていずみさん。」

 

 や、やったっ!!

 う、うれしい……

 !

 み、見られてる。自然に、しぜんにっ。

 

 「あー、あははは、ね?

  これからもよろしくね、悠馬君?」

 「う、うーん。

  ほんとにふつうなのかなぁ。」

 

 うわ、戸惑った顔、なんかすごい可愛い。

 このチャンス逃さない。このまま押し通してしまえ。

 

 「ふつうふつう。悠馬君、気にしすぎ。

  はる……」

 

  !?

  

 「んぐっ!」

 「ど、どうしたのいずみさん。」

 「な、なんでもないなんでもない。」

 「そ、そう?」

 

 や、やばいやばい。

 『春河香奈は下の名で呼ぶのが早かったよ』

 なんて言ったら印象最悪だった。

 よく踏みとどまったわたし。舌めっちゃ噛んだけど。

 

 「じゃ、じゃあ、先に雄馬君の家、行こ?」

 「え、なんでそうなるの?」

 「雄馬君の家、この街から近いじゃん。」

 

 最初からそれが狙いだったから。

 順番、逆になっちゃったけど。

 

 「知り合って四か月経った同じ大学の同じサークルのよしみとして、

  家くらい、知っておきたいなって。」

 「ぇ。」

 「ふつうふつう。

  文実なんて、彼氏でも彼女でもないのに、

  男女一緒に泊まって一緒の布団で寝てるし。」

 

 ありがとね、文実のふしだらな輩たち。

 きみらの下半身の緩さも雄馬君の攻略材料になってくれる。

  

 「そ、それは……

  家が大学近いから雑魚寝してるだけじゃない?」

 「あはは、だねぇ。

  さすがにあれは近すぎる。

  でも、そこまで行かなくても、ふつうだよ?

  なんならわたしの家、いまから行く?」

 「ぇ。」

 

 どっちだっていい。

 どうせなら悠馬君の家は見てみたいけど。

 

 「う、うーん。それは考えてなかったなぁ。」

 「え、もしかして、買い物つきあってサヨナラするつもりだった?」

 「え、そうじゃないの?」

 「薄情だなぁ悠馬君って。

  ただの友達でも送り迎えくらいするでしょ?」

 「ま、まぁ、たしかに。」

 「だから先に悠馬君の家に送り届けるの。

  その後、わたしの家に送ってくれればいいの。

  fifty-fifty、でしょ?」

 「でしょ? って言われても。」


 「……いや、なの?」


 「べ、別に、嫌じゃないけど。」

 「よかったぁ…。」

 

 ほんと、よかった……。

 慣れない上目遣いの効果かどうか、ぜんぜんわからないけど、

 ともかく、断られないでよかった……。

 じゃ、じゃあ。

 

 「じゃ、家、連れてって?」

 「え、いまから?」

 「あはは、楽しみ楽しみ。」

 「うーん……

  ま、いいか。」


 ちょろい。

 ほんと優しい、雄馬君。

 律儀に予定、組んでただろうに。


 「わかったよ、いずみさん。」


 わたしが選んだ服で、下の名前で呼んでくれる。

 声を聴くたびに、鼓動が、うるさくなる。

 

 こわい。

 早く、既成事実に持ち込まないと。


*


 「あ。」

 

 チャージ残高、204円しかない。

 自動改札機でぴぃー連呼されて立ち往生するのは避けたい。

 

 「いずみさん、チャージしてくるね。」

 「あ、わかった。

  じゃ、わたし、お化粧直してるね。」

 「了解。」

 

 ほんとにお化粧を直すわけではない。

 これも香奈に教わったことだ。

 気を遣わせてしまって申し訳ないなぁ。

 昨日のうちに入れておくべきだった…


 「えーと、チャージは…。」

 

 まだ慣れないなぁ…。

 電車移動、ほとんど無かったもんな高校の時なんて。

 

 「これだよー。」

 「あ、ありがとうございま……って。」

 「えへへへ。」

 

 く、桑原さん??

 なんでこの駅に?

 

 「桑原さん、夏期講習じゃないの?」

 「あ、うん。つまんなくて。」

  

 つまんなくて、ってね。

 制服着てないだけまだいいのか……いいのか?


 「ちっとも分かんないんだもん。要領を得ないっていうか。

  声と身振りだけ大きくてさー。」

 「えぇ?」

 「予備校もさ、有名講師はもっと上のクラスで、

  こっちはあんまりよくないんだってー。」

 「誰情報?」

 「おんなじ講習で知り合った子。」

 「あぁ。うーん。」

 

 あながち間違いでもないけれど、

 それ言ったら調子に乗りそうだし。

 

 「親、講習に出てると思ってるから、帰りづらくてさー。」

 「あー。」

 

 また親と一触即発みたいになられても困るけど。


 「ね、先生の家、あげてくれない?

  やっぱクーラーのある家がいいなーって。」

 「だめ。」

 

 なに言い出すんだこの娘は。

 一回あげただけでそこまで。ほんと図太いなぁ。

 

 「いいじゃんケチー。」

 「そういう問題じゃないでしょ。

  ともかく今日はダメ。人を待たせてるんだから。」

 「明日ならいいのー?」

 「塾で逢うでしょ?」

 「明日だと綾乃もいるじゃん。」

 「だねぇ。質問もしやすいよ?」

 「そうだけどさー。

  んー、んーー。


  ……ま、いっか。じゃ、また明日ねー。」

 「う、うん。」

 

 な、なんだったんだ??


*


 な、なに、あの娘?

 大学でもサークルでも見たことない。雄馬君の知り合いみたいだけど……

 な、なに話してるの?

 

 「………家、あげて……れない?」

 

 !?

 な、な……っ

 

 「と……く今日…ダメ。…を待た……る……から。」

 

 そ、その断り方だとっ。

 よ、よく聞こえない。ち、近づかないと。


 「明日……いいの…?」

 

 や、やっぱり……。

 ま、まさか、あの娘も雄馬君に気があるって、

 

 ……ある、な。


 あの見上げ方、自分が一番可愛く見えるように計算されてる。

 一時間きっちり練習したわたしが言うんだから間違いない。

 雄馬君、一応あしらってるみたいだけど…。

 も、もうちょっと近づかないと。あの観葉植物のウラあたりま

 

 !?

 

 こ、こっち、見たっ!!

 見られたぁっ!?

 

 

 「じゃ、ねー。」

 


 わ、わざと強調してるっ!?

 こ、この娘、マジなやつだ……っ


 ……まさか、

 二人とも、わたしと、おなじ??

 春河香奈の蔭が薄れた隙を、一斉に狙ってきた…!?

 

 ふ、ふふふふ。

 いいじゃない。上等よ。

 雄馬君の横、誰に譲るつもりもないわ。

 香月先輩にも、もちろん、名も知らぬ貴方にもね。

 

 明日じゃ、もう、遅い。

 勝負に出るなら、いまだ。


*


 さすが平日の昼間、電車ガラガラだ。

 平日に移動できるのは学生特権の最たるものだろうなぁ。

 こんなのに慣れて、ちゃんと働けるのかなぁ……、不安になる……。


 「……ごめんね、急に家に行くなんて言って。」

 「ふつうなんでしょ?」

 「あはは、そうだね。ふつうふつう。

  ……東京では、ふつうだよ。」

 「ほんと、驚くこと多いよね。」

 「だね。

  電車、お昼でも10分に1本来るって、凄いね。」

 

 確かに。

 実家まわりの電車なんて、ラッシュ時でも20分に1本しかない。

 お昼なんて1時間1本だ。逃したら寂しいベンチでぼさーっとしてるしかない。


 「雄馬君、どしてここにしたの?」

 「大学で紹介してくれた不動産屋さんに薦められて。

  引っ越すなら、早いほうがいいなって。」

 「……そっか。

  香奈さん、知ったら驚くだろうね。」

 「あはは。

  もう香奈は、僕のことなんて忘れてると思うよ。

  一時の気の迷い、みたいなものだから。」

 

 今から思うと、香奈が告白してくれたのは、

 男子校出身で、東京で迷っていた僕を哀れんでくれたのかもしれない。

 彼女でもない女子をふつうに家にあげられるくらいには、

 僕も東京に慣れてきたのだろう。

 香奈からすると、僕はもう、卒業生だったのかもしれない。

 

 「服も、ちゃんと着替えたしね?」

 

 グレーの5分袖ジャケットに白シャツにネイビーブルーのチノパン。

 ジャケットはちょっと高かったけど、あとはそうでもなかった。

 トラッド寄りコーデなので、香奈の趣味とはだいぶん違う。

 

 そういえば桑原さん、服のこと、何も言ってこなかったな。

 思ったよりは服のことを見てないのか、単純に僕に関心がないのか。

 それならそれでいいんだけど。弄られるよりよっぽどマシだ。

 

 「雄馬君、すぐに着替えてくれるとは思わなかった。」

 「裾直しもする必要なかったし、着替えろって言われてたしね。」

 

 案外、バカにならないかもしれない。

 香奈が選んだ服から着替えると、香奈から、遠ざかれた気がする。

 ……思い出になる、って、こういうことなんだろうか。

 

 おっと。

 女性と話してる時に、違う女性のことを考えるのはいけないことだ。

 これも香奈から教わったことなんだけど。

 

 「いずみさん、センスいいよね。

  高校の頃から、服はこだわって選んでたの?」

 「あはは。ぜんぜん。

  高校生の頃は、陸上と受験勉強ばっかやってたイモ少女だもん。

  そもそも、選べるほど店ないし、○オンモールも遠かったし。」

 「あー。○オンモール。

  車で移動できないとしんどいね、あれは。」

 「そうそう。

  東京いると、免許いらないって感じなんだけどね。」


 言葉が、すっと途切れる。

 住宅街をすり抜けながら揺れ動く車窓も、ようやん慣れてきた。

 わずかに振動するたび、隣のいずみさんから、薄いコロンの匂いが薫ってくる。

 ノースリーブから覗く健康的な肌が、艶やかで


 「……東京、来てよかったよ、わたし。」

 「そ、そう?」


 「うん。

  きみに、高宮雄馬君に、逢えたから。」


 …ぇ。

 

 「あ、あはは。

  そ、そんなに見つめられると

 


 『ゆうまくんっ!』

 


 !?

 

 え、

 か、香奈っ!?


 了

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