第三章 双子の世界は終わった(ある老人の戯言)
一九一〇年が過ぎようとしていた。その年の2月には伊藤博文が安重根によって暗殺された。そしてそれによる韓国(朝鮮)に対する日本の憎悪、いや、傲慢さは日に日に増していた。その結果が八月の韓国併合へとつながっているということはすべての日本人の承知の事だった。(実際にはそれすらも建前に過ぎないということも含めてすべての日本人は承知していた)しかしすべてはここから始まったという訳ではない。この争いはもっと昔、縄文時代以前から始まった水面下の主導権の奪い合いであり、生命が生命である所以たる根源的な憎悪の建設的な流動性の顕在化である。これはニューラルネットワーク的に広がる世界の憎悪のインターネットが断片的に舞台化され、映画化されたものに過ぎない唯の一つの例であるということをその少年と少女は知っていた。そしてこのニューラルネットワークというのは生物誕生と共に初めからそこにあったかのように極めて自然に誕生したのだ。いや、誕生というのもまた違う。あるべきものとしてまるで置物が鎮座されているかの如く、そこにあった。何れにせよ、すべての生き物はこのニューラルネットワークからは逃れられない。そして我々の情報源たるDNAさえもこのニューラルネットワークに従うほかはない。少年と少女はそれすらも理解していた。だからこそ、彼らは積極的に人間社会には関わらなかった。何故なら人間という生物は理性を手に入れ、際限のない暴力性に対し、正当性を主張する術を身に付けたほぼ唯一の生命体であり(地球上において)、ある種の生物を超越した存在であったからである。一方で彼らは人間以外の生物に対しては寛容であった。何故なら、彼らは人間であったからであり、また他の生物は人間ほどの暴力を肯定する理性を持っておらず、その代わりに赤子のような本能を携えていたからである。しかし結局のところ彼らは人間であり、他の人間が持つようなその傲然たる気質が備わっており、他の人間が持つような社会的認知モデルを持っていた、というのが理由としては一番適当であるといえるだろう。しかし彼らは他の人間と憎悪のニューラルネットワークを理解しようとしている点が大きく違っている。その点だけを解釈すれば、彼らは地球外生命体であるといっても過言ではなかったし、あるいは天使の使いであるといっても決して間違いではなかった。
1939年 第二次世界大戦がはじまった。1941年には太平洋戦争が始まった。いずれも暴走の歴史の一ページであることに違いない。当時はそれこそが正義だった。ただそれだけだった。
1945年、長崎と広島に原子爆弾が落とされた。ファットマンとリトルボーイ。これはアメリカがソ連の太平洋戦争参戦を危惧したからだ。いつだってロシアという国は温かさを求めている。社会主義と資本主義、アメリカとソ連、東ドイツと西ドイツ。
そして日本は8月15日にポツダム宣言、アメリカの属国となる。
そんな歴史と共に少年と少女の世界は終わった。いやもっと言えば終焉させられた。人間の欲と暴力によって、2050年に地球が蒸発したように。しかし少年と少女は生き続けた。この世界に抗い続けた。そして少年と少女は戦後の波に呑まれ消えていった。少なくとも私にわかるのはここまでである。
(田中次郎(仮名))
蒸発する地球 犬歯 @unizonb
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蒸発する地球の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます