第二章 アイルーロスは運ぶ。駅に向かって

 僕はアイルーロスの背に乗り、北へ北へと走り続けた。その間アイルーロスはしきりに僕に向かって「僕は猫だ。猫は乗り物じゃないんだぞ。全く人間の横暴さここに極まれり。」とカレコレ4回以上、まるで赤い旗を掲げた知識人のように、あるいは巨大な後援会を持つ政治家のように僕に向かって熱弁した。でも僕はそれを無視した。それは正に完膚無きままに無視をした。まるで花魁おいらんを前にした花嫁みたいに無視をした。それでも彼は繰り返す。「僕は猫だ。猫は乗り物じゃないんだぞ。全く人間の横暴さここに極まれり。」


 これで五回目。


 荷台に乗っている猫は「にゃー」と大きな欠伸をして眠っている。それは、それはしとどとなった洗濯物のようだった。


 名は体を表す。例えばゴリアテ。まさに巨人のような響きだ。しかしそれがどうして万物に値するというのだろう。人々は期待を込めて、または個の収受の為に、または記号として名前を与える。そこには確証はない。何故なら名前とは効力を持たないおまじないでしかないという前提条件が含まれているからだ。だから仮に、津島修二だろうが太宰治だろうが津島メロスだろうが、結局この人間は小説を書くのが嫌になって死ぬのだ。その運命から逃げ出すことは出来ない。しかし、だからと言ってアイルーロスが猫ではないとは言い切れないのも事実である。そこには悶々としなければならないこだわりのようなものがあり、名は体を表すという言葉もある。


 あるいはこれが啓示だとしたら。「僕は猫だ。猫は乗り物じゃないんだぞ。全く人間の横暴さここに極まれり。」これが啓示だとしたら。


 僕は不平を淡々と列ねるアイルーロスの背に乗り、ただただげていた。清濁を併せ吞でいる人間の波から。それでも逃げているという感覚は不思議と僕の中にはない。実際的に見れば逃げている。それは途方もないほどに。しかし本質的に言えば、これは逃亡ではなく使命なのだ。アインシュタインが相対性理論を生み出したことくらい重要な使命なのだ。あるいはそれすらもまやかしなのかもしれない。僕はただこの猫たちに操られているだけなのかもしれない。どちらにしろ、実在する事実というのは、ただ僕が北に向かっているということだけだ。そして入り口を僕は探している。2050年の真実を知るための入り口を。それはこの世のほとんどの事象のように、ある意味で過酷であり、ある意味では祝福であるだろう。


 しばらくの間、アイルーロスと押し問答を続けていたが、突然アイルーロスはその場にうずくまった。まるで宝物を見つけた子供のように。もっとも、そこにあった物は宝物ではなく家だ。もっと正確に言えば祖母の家だ。但し、もう祖母はいない。もっと正確に言えば、僕にとっての血縁関係者は誰もいない。二年前の飛行機転落事故で、家族は皆死んでしまった。親戚も含めて皆。だからこの家はもぬけの殻となっている。そして、この家は僕の所有物ではないのは勿論のことだが、誰の持ち物でもない。それは国も例外ではない。本当の意味での自由であり、本当の意味での不自由なのだ。


 僕は廃墟となった祖母の家にアイルーロスを引っ張りながら向かった。家は二年前と構図は変えることなく、二年分消耗していた。

 白かった壁は薄茶色に、縁側とその庭は様々な濃淡を持つ苔が彩りを加えていた。(とてもアバンギャルドな方法で)そして窓やガラスは浜辺に転がるペットボトルのようにその透明さを失っており、その反面、不透明さが作り出す、幾何学模様を映し出していた。そしてこの家は田舎の家の大半がそうであるようにのっぺりとした平たさと、平面的な大きさを持っていた。


 僕はここが目的地ではないということを直感していたが、同時にここは必要な場所だと理解した。だから僕はここを自由から解放し、ねぐらとした。


 アイルーロスはここをあまり好まないようだったが、猫はここを気に入った。


 アイルーロスは「ここは人間の栄華の象徴である。」といい、猫は「ここは私の塒として十分」といった。僕はただ聞いていただけだった。


 それから、僕はキングサイズのベッドに飛び込み寝た。むさぼるように寝た。次に僕が起きた時、世界の地軸は極めて軽微に傾き、時計の長針は四周していた。

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