高校デビュー、始めました

丸 稜

第1話

4月というと暖かな春を連想するけれど、実際にはまだ肌寒く、特に朝は布団から出るのも一苦労だ。


いつもならまどろみの中起きれずに過ごす時間帯だが、今朝は違う。指でスマートフォンからけたたましく鳴るアラームを止めると、気合いを入れるように肺に大きく息を吸い込み、跳ねるようにベッドから飛び起きた。

今日から、谷のどかの新しい生活が始まる---。


初めて袖を通すシャツは、部屋の朝の空気がまとわりついていてひんやりと冷たい。新しい制服は濃紺のプリーツスカートとブレザーだが、中学の時とはセーラー服だったので少し勝手が違った。


昨日のうちに簡単な筆記用具やハンカチを入れ準備を済ませたカバンを手に取り、自分の部屋を出る。

洗顔と歯磨きをすますと、ショートボブの髪の毛を整える。癖のないストレートヘアは母譲りで、のどかが唯一誇れるチャームポイントだ。リビングに行って母が用意してくれた朝食を少しつまむ。甘い卵焼きは、今日も味が濃い。


淡々と身支度を整えるのどかを、リビングテーブルで先に朝食をとっていた父と弟がそっと目で追う。どちらも、くせっ毛のもじゃもじゃ頭が特徴的だ。

「のどか、気をつけていってらっしゃいね」

ちょっと心配そうな母の声の後ろで、同じく心配そうな目を向ける父と弟。父の足元でフレンチブルドッグのフトシも「クゥン」と心細げな声を出す。もれなく全員太めなのがこの家族の共通点で、弟は父にそっくりだし、なぜか母と父が似ているのは、のどかの密かな疑問だった。きっと長年を共に過ごすと夫婦は似てくるとか、似た者夫婦とか、そういうのが我が家の両親のことなのだろうと思っていた。


新しい生活に向けて購入したローファーを履き、慣れない皮の硬さに違和感を持ちつつ、「うん。いってきます。」

自分自身に気合を入れるかのようにしっかりと返事をしたのどかは、家を出た。

「楽しい高校生活になりますように…」

心の中で念じるようにつぶやき、この春から新しい生活をスタートすることとなる大土井高校へと向かった。


のどかの家から駅まで歩いて10分、そこから電車で40分の場所に大土井高校はある。

新しく無ければ古くもなく、偏差値は平均的で、スポーツ強豪校と言うわけでもない。特徴を挙げるとしたら、校則がとても緩いと言うこと。


のどかは勉強が得意な方だったので、先生は何故進学校に行かないのかと首を傾げた。大井戸高校に行くくらいなら、同じような偏差値の高校は他にあったから、尚更疑問のようだった。校則が緩いから金髪にしたり制服を着崩したりしても問題ない、そんな理由で選んだのだったら別な高校を選びなさいとも言われ、やはり先生は自分のことは何もわかってくれていないのだなと感じた。まぁ、それは何かあったら言いなさいと言いつつも、実際には何もしてくれないことを知った時からわかっていたことだけれども。


通学にそこそこ時間がかかる大土井高校を選ぶ同級生は、どのかの他に誰もいなかったのだが、実は、のどかが大土井高校を選んだ理由はそこにあった。


これまでの過去の自分を知る人間が誰もいない。だから、新しい自分を改めて始められる。いい思い出のない中学校生活だったが、高校生活は楽しいものにしたいし、やり直したいと思った。

のどかはこれまでの人生をリセットするために、わざわざ他の生徒が誰も進学しないことを教師に確認し、大井戸高校を選択したのだ。


時刻通りに到着した電車に乗り込むと、車内からはひんやりとした朝の匂いがした。暖房が付いて適温に調整されてるのに不思議に思う。


電車の中には、これから会社に向かうであろう大人が8割で、ほとんどの人が寝ているか、手元のスマートフォンを操作しながら静かに収まっていた。のどかと同じ制服姿の高校生は見当たらなかった。


ちょうど4人がけのボックス席が空いていたので、プリーツに変な折り目がつかないように慎重に腰を下ろした。せっかくの新しい服だ、できるだけ綺麗な状態を保ちたい。


こんな時、友達がいたら「登校なう。新しい環境にドキドキ」なんてメッセージを送るのだろうか。

あいにくのどかには送るの相手も、送ってくれる相手もおらず、のどかのメッセージアプリの履歴は専ら家族だけだった。


何駅か通り過ぎるうちに、のどかと同じ制服を着た生徒も続々と乗車してきた。思わず目で追う。

(あの人も1年生かな...)

あいにく初めて会う人に気軽に話しかけられるような性格ではないため、そのまま視線を外したが、いやいや、ここで話しかけたら不審者だと思い直す。

斜め向かいに座るサラリーマンの向こうに見える窓から、外の景色をなんとなしに眺める。太陽を隠した雲で空は灰色に覆われ、その下で住宅や、踏切が開くのを待つ自動車や、それぞれの朝が見えた。普段通ることの無い地で、これらの見慣れない景色は、そのうち慣れるのだろうか。朝は今までよりも早く起きなきゃいけないけれど、今日のように寝坊せずに起きれるだろうか。それよりも、友達はできるのだろうか。友達を作るには、どうすればいいのか。

色んなことが頭を巡る。頭の中では、のどかはお喋りの部類に入る。

そんなことを思っていると、あっという間に高校の最寄駅に到着した。隣で静かに目を閉じていたサラリーマンが当たり前のように顔を起こし、そそくさと出入口に向かったのが印象的だった。降りる駅に着く直前に、これほど自然に起きれるのだろうか?感心してしまう。のどかも後に続いた。


制服姿の高校生以外にもスーツ姿の大人たちが、改札口を目指してゾロゾロと降りていく。電車に慣れないのどかも流れに乗り、そのまま階段を登り、そのまま改札口を抜け、今度は階段を降りる。

駅の階段はそこだけ造りが古く、行き来する列がそれぞれ1列が精一杯だった。勾配が急で、しかも階段の幅が狭かった。急な階段だとは思ったが、人の流れを止めるわけにもいかずそのまま降ったところで足を踏み外してしまった。

「わっ...」

為す術なく転びそうになる。

「あぶね!」と言う声と共に腕を掴まれる。助かった。おかげで転ばずにすんだ。

「大丈夫か」

声の主は学ランをきた男の子で、2段ぐらい上のところから、のどかを掴んで支えてくれていた。

階段の先を歩いていた人たちが何事かと振り返り注目を浴びてしまう。しかも男の子に腕を掴まれていることが、とても恥ずかしい。


「わ、わ、、あ、ありがとうございました!!」

思わず強く腕を引いてしまった。こんな時にどんな反応をするのが自然なのだろうか。次に何を言えばいいのか分からない。

「おう」

男の子は嫌がる様子もなく、その場に止まり、のどかが先を歩くのを待っているようだった。追い越して人が通れるほど広くもない階段で、彼の後ろにも多くの人が足を止めて待っている状態だったので、のどかは慌てた。

のどかはペコリと頭を下げ、気をつけながらも早めに階段を降りた。


改めてお礼を言わなければと、階段の端によけ先ほどの男子を待ったが、他の人が足早に歩く波に乗ったまま、彼はそのままスタスタと行ってしまった。

「あのっ...」

言いかけた声は小さすぎて届かず、「将也おっはー!」と別の学生たちに取り囲まれた彼は「おう!じいちゃんのところ行ってきた」と会話しながら歩いて行ってしまった。


男の子は改めて見ると背がとても高く、スラリとした体型は制服を着ててもわかるほどのモデル体型だった。一重で涼し気な目が印象的で、所謂イケメンに部類されるような見た目だった。

周りを歩く友人らしき男の子は金髪で、後ろから見える横顔からとても端正な顔立ちであることがわかる。その横を歩く長身の女の子は肩甲骨より下まできれいに伸ばした髪が印象的で、これまたモデルのような目鼻立ちをしていることが遠くからでもわかった。


女の子がのどかと同じ制服を着ていることから、彼らがみな自分と同じ高校の生徒であることを知ったのどかは慄いた。

(すごい、、男の子も女の子もみんなきれいな人たちばっかり。。自分と同じ高校生なんて信じられない...)

誰も見てはいなかったけれど、声が届かなかった気まずさからその場に止まることもできず、のどかも将也たちから距離をとりつつ、大井戸高校へと向かった。


将也くんって言うんだ。。


のどかの新しい春が幕を開けた。

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