魔の影差す街
人型の怪異で背の高いモノというのは多い。
最近の有名所だとネットで広がった尺八様やスレンダーマンだろうか。
怪異である事は勿論なのだが、純粋に人間が自分達よりも大きく背の高いものを恐れる本能からなのか、兎角『高身長』である怪異は有名、無名を問わず世界中に存在する。
それらは人でないのに人の形をしている故、人々の恐怖を煽る存在なのだ。
オリビアは夕暮れの町を歩いていた。
些細な用事の帰りなのだが、暗くならないうちに早く帰らないとマクアに怒られてしまう。
早足で帰ろうと歩いていたが、ふと前方のアスファルトの地面に伸びた影が自分のものだけでないのに気がついた。
別に夕方の住宅街なんて家路に着く人が少なくないから、おかしなことではない。はじめはそう思っていたが、嫌な事に気が付いてしまった。
影が、異様に、長い。
比較的高身長のオリビアの影よりも。後ろに居るはずの『誰か』の方がずっと、長いのだ。180cmに届きそうなオリビアの頭部の影が、後ろの『誰か』の胸あたりにすら届いていない。明らかにおかしい。
日の傾いたオリビア自身の影を超える長さの『誰か』いや『何か』が後ろにいるのだ。
振り向けない。振り返って正体を見てはいけない。直感的にそう感じた。
声を殺して、過呼吸になりそうな喉を抑えて、それでも早足で歩く。『何かに気が付いて』走って『逃げて』はいけない。
気付かれるな、認識するな、本能が叫んでいた。
後ろの影は足音も立てずにオリビアに付いてくる。ゆらゆらと左右に揺れているから歩いてはいるのかもしれないが、どうだって良かった。
早く早く、マクアの待つ自分の家に帰らなければ。
曲がり角で『何か』を見てしまわないよう、道を選んで帰る。しかし、嘲笑うように辺りが夕暮れから徐々に夜へ移り変わっていく。夜は駄目だ、闇の中でなんの対抗手段も無いオリビアは、『何か』から逃げる事すら困難だろう。
電柱の街灯がつき始めている。街灯に照らされた『何か』の影が、オリビアの影に被るようになっていた。
オリビアは走っていた。気付かれている。『何か』はもうオリビアに『気付かれている』事を把握している。
歯の根が合わず口を閉じているとガチガチと噛み合わない。悲鳴はあげる事はできず、ただただ疾走による酸素の補給の為の呼吸を繰り返した。
後なんて、無い。
あるとしたら、オリビアに『認識される』だけなのだろう。
「はぁッ、はぁッ!…ぅあっ!?」
ついにオリビアは脚がもつれて転んでしまった。そこは、ちょうど街灯の下だった。
息を整えて立ち上がろうとするも、脚が震えて立てない。
オリビアの視界が急に暗くなった。…違う、蹲るオリビアに『影』が差したのだ。
真上から覗き込まれている。影からわかった『何か』はおそらくそういう動きをしている。
もはや、視線すら動かせない。近づいてくる。恐怖としか言えない、背の高い『何か』がオリビアに手を伸ばしている。
怖い。
怖い、怖い、こわい、こわい、コワイー
「退いて、その人は渡さない」
幼い、けれど鋭い声が暗闇を引き裂いた。
しなる濃紫の太く長い尾が、オリビアの真上を打ち払った。
『 』
音にならない『何か』の声、なのだろうか。それを最後に、場を支配していた緊張も恐怖も『何か』も何処かへ吹き飛んだ。
そして、未だ顔を上げられないオリビアの視界に見覚えのある小さな両足が歩み寄ってきた。
「オリビア、よく帰ってこれたね」
そう言ってオリビアの頭に少し人肌より低めの体温である小柄な体が抱きついてきた。
「マ、クア」
「うん、マクアだよ。帰ろう、うちに」
オリビアは年甲斐なくポロポロと涙を零して嗚咽を漏らしてマクアに抱きついた。
マクアはひたすらオリビアを撫でて、落ち着くまで優しく声をかけ続けていた。
正体の見えない、どうすることもできないものに対する恐怖はだいぶ彼の心を打ちのめす体験となった。
しばらくは外出は日のあるうちだけにし、家の中でも明かりを消さずに眠れなかった。あと、仕事以外ではマクアにひっついていた。
その間、不謹慎だがマクアは大好きなオリビアと一緒で上機嫌だった。
「でも、良かった。
オリビアが限界まで『アレ』に『気付かない』フリをして、『認識しない』でいてくれて…下手したら間に合わなかったかも」
「夕暮れ時は逢魔ヶ時、人の多く住む街中だって…ううん、人間が多いからこそ『人』に似せた『何か』が蠢き回る時間だもの」
「気をつけて、貴方達がすれ違う『人』が人間でない可能性はゼロではないのだから」
オリビアの事務所の屋根に立つマクアは独り言を溢して、夕日で赤く染まった怪異に満ちた街を見る。
人ならざる彼女の大きな目に映る街は、いったいどんな風なのだろう。
きっと、人間はそれを知らないのが一番良いのだろう。
了
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