地下劇場

 今日はハロウィンの夜だ。

 ××市もハロウィンの夜は仮装した人や浮かれた若者が街に繰り出している。マクアとオリビアも、今日はゴシック・コーデに身を包み、デートという名目で昼間から街へ出かけていた。

「そのワンピース、本当に似合ってるわ。マクア」

「んもー、それ何度目? 選んだのオリビアだよ」

「んふふ、そうだったわね」

 黒を基調としたワンピースは、暗い髪をしたマクアによく似合っていた。背が低いため、ワンピースの丈は少し長かったが、そこもまた可愛いとオリビアは思っていた。

 姫袖と呼ばれる、大きな袖には大胆にフリルがあしらわれ、コルセット状に編み上げられたウエストからはフィッシュテールのドレスが広がる。少し厚底のブーツがアクセントとなり、頭に乗せたヘッドドレスのリボンがひらひらとして目線を引いた。

 一方オリビアは、大きなカフスをつけた皺一つないドレスシャツと、燕尾服のようなテールのついたベストに、チェーンのついたブローチを合わせ、きっちりとネクタイを締めている。スラックスには美しく折り目がつけられ、靴はピカピカに磨かれていた。手には白い手袋をして、頭には小さなシルクハットを乗せている。

 これらは全てオリビアが選んだコーディネートだった。一方、マクアはこういったものにはあまり興味はないらしく、もっぱらオリビアの家でムームーを着て寛いでいる。時にオリビアが大きな袋を持って帰宅する時は、マクアを着せ替え人形のように着飾って可愛いと騒ぎ立てる日だ。いつもは自分の分しかないが、今日は特別らしくオリビアの分も用意されていた。お揃いのコーディネートで街を歩くのも悪くはないと、マクアは思っていた。

 

「ねえ、あんなところに劇場なんてあった?」


 マクアが指をさしたのは、地下劇場のようだった。この街にやってきてしばらく経っているが、こんな所に劇場などあっただろうか。オリビアが不思議に思っていると、演目の看板を見ていたマクアが行きたいと言い出した。

「今夜限りのオンステージだって。ちょっと興味あるかも! なんか雰囲気もこの服に合ってない?」

「そうねぇ……」

「行こ? ほらほら、受付が終わっちゃう!」

「ああ待って、マクア! 階段で転んだら大変よ」

「大丈夫だって! あ、でもこの服じゃ触手が出せないや」

「だから気をつけてって言ってるのよ」

 正直なところ動きにくいと思ったが、飲み込んだ。

 ゆっくりと一歩ずつ階段を降りていく。だんだんと現実世界から切り離されていくような感じがした。

 無事受付を終えると、劇場内に案内された。

 劇場内では自分たちと同じような格好をした客達で溢れている。フリルやパニエが押し合って大変なことになっていたが、客達はステージに釘付けだった。

 しばらくすると、照明が落ちた。ステージにスポットライトが当たる。

 ステージ上に現れたのは、カボチャ頭の人物だった。どうやらこの劇場の支配人らしい。このカボチャ頭は熱狂的なファンを抱えているようで、一気に客席を沸かせた。

 そしてカボチャ頭の支配人は恭しい挨拶を終えると、次々とマジックを披露する。

 何処からか現れたステッキやシルクハットを使い、魔法のような術を見せた。その姿にマクアもオリビアも引き込まれていった。特にマクアは、この演技を気に入ったらしい。

「ねえ、オリビア。この人すごいね! 今まで見たどのマジックよりもリアル!」

「ええ、とっても。本当に魔法みたいだわ」

 一通りの演技を終えると、カボチャ頭は深々と一礼してステージを去っていった。

 そして次々と歌や劇などが披露された。

 どの演目も素晴らしく、芸術鑑賞に疎いオリビアやマクアが見ても「すごい」と言えるものだった。


 そして、最後にまたあのカボチャ頭が登場する。

 客席からは何故か啜り泣くような声も聞こえてきた。まるで、彼の登場を惜しむかのように。

 すると、カボチャ頭は今までの演技と演者に感謝の意を述べる。長いことこの場で演技をしてきたが、今日でその役を降りるようだ。そして、新たな支配人を今夜、この場で決定するという。

 このカボチャ頭の支配人はどこまでもエンターテイナーなのだろうと、オリビアは感じた。自分の最後の演技までも、人々に楽しんでもらおうとする姿勢に感嘆したのだ。

 そして新たな支配人を発表するため、激しいドラムロールが鳴らされた。

 そして新たな支配人としてスポットライトが当たったのは、なんとマクアだった。

 劇場内に衝撃が走る。

 それは当然、子どもの姿をしたマクアが選ばれた事に対してでもあるし、自分が選ばれなかったという事に対してでもあった。

「え……!?」

「ま、マクアが新支配人!? ちょっと待ってよ、あたし達は初めて来たのよ!」

「そ、そうだよ……! 支配人なんて無理だよ……! うわ!」

 新たな支配人を迎えた劇場は、マクアを支配人として担ぎ上げた。皆、新支配人のマクアを尊敬と眺望の眼差しで見上げている。人の波に乗って、マクアは劇場の奥へと流されていく。

 オリビアは必死にマクアを取り戻そうと手を伸ばすが、呆気なく振り払われてしまった。

「いった……! マクア! 何処へいくの!? マクア!」

「オリビアー!」

 マクアの悲鳴とも取れる声が聞こえるが、既にマクアの姿は見えなかった。

 

 ぽつん、と劇場内に取り残されたオリビアは、マクアを失って呆然としていた。

 ああ、大変な事になってしまった。

 マクアを取り戻さねばならないが、どうすればいいか、オリビアには分からなかった。

 いつも自分の隣にはマクアがいて、自分を導いてくれていた。迷った時も、ピンチになった時も、マクアが助けてくれた。だが今は、自分がマクアを助けにいかなくてはならない。

「待っててマクア。絶対そこに行くから」

 オリビアは立ち上がって、同じように劇場内で呆然とする客に声をかけた。

「あの、ちょっといいかしら。あたし、ここに初めて来たの。一体何が起こったのか分からなくて……」

「ああ……。ジャック様が降板されてしまわれたわ……。分かってはいたけど、まさかあんな子どもが後継だなんて……」

「……ジャック様?」

「ジャック様はこの劇場史上最高の支配人よ……。あなたも見たでしょう? あの素晴らしいマジックを。あの素晴らしい身のこなしを。あの素晴らしいカボチャ頭を。この劇場は支配人によって姿形を大きく変えるわ。ジャック様の劇場は最高だった……」

「あ、ありがとう、助かったわ」

 どうやらこの客は新支配としてマクアを受け入れられなかったらしい。きっと客席に残っている者は、皆同じような理由だろう。劇場が支配人によって姿形を変えるとは、一体どういう事だろうか。

 オリビアは愕然としている受付嬢のところへ行き、この劇場について聞き出す事にした。

「ねえ、あなた。この劇場のことを教えてくれないかしら」

「あ……はい、この劇場はジャック様のものでございました……。今は、あの小娘のものです。この劇場は支配人によって演目、公演期間、出現場所が変わるのでございます……。ジャック様はハロウィンの夜に公演するのが恒例でした。そして今日、新たな支配人が決まったのです……」

「……支配人は、普段は何処にいるの?」

「……楽屋の奥に支配人の部屋がございます」

「楽屋の奥ね。ありがとう」


 オリビアは近道をしようとして、ステージへよじ登ろうと考えた。ステージへ手をかけて、自分の身体を持ち上げようとした時、スタッフがやってきてオリビアをステージから引き剥がしてしまった。

 スタッフが何処からやってきたのか聞き出そうとするも、スタッフはオリビアをステージから引き剥がすと煙のように消えてしまう。

 こんな芸当ができるのは、人ではない何かだろう。もしかすると、マクアの身に何か起こったのかも知れない。急いで楽屋の奥に行かなくては。

 オリビアは劇場を出ると、劇場スタッフ用のゲートをくぐった。きっとこの先に、楽屋があるはずだ。


 防止線を跨いでゲートをくぐった先にあったのは、荘厳なホールだった。

「何よ……ここ……」

 そういえば、話を聞いた客が“この劇場は支配人によって姿形を変える”と言っていたが、それはこういうことなのだろうか。全くマクアらしくない荘厳さに、オリビアは嫌な予感がした。

 まるで隊列を組むかのように、使用人達が無駄のない動きで仕事をしている。流れるような動きに目を奪われそうになるが、今はそれどころではない。

 必死で奥へ奥へと進んでいく。オリビアが見つけたのは、忙しなく使用人達が出入りする部屋だった。きっとこの建物の主人がいる部屋に違いない。きっと、ここにマクアがいる。

「マクア!」

 愛しい恋人の名を叫びながら、オリビアは部屋に飛び込んだ。

 そこに待ち受けていたのは、紛れもなくマクアであった。が、様子がおかしい。

 玉座に座って俯いたマクアからは、いつもの元気な姿が見受けられなかった。それどころか、よく見ればマクアは玉座に縛り付けられていた。

 慌ててマクアの拘束を解いたオリビアは、マクアに歩み寄って優しく声をかける。

「マクア、もう大丈夫よ。一緒に帰りましょう」

「……」

「マクア? どうしたの? いつもの元気な姿を見せてちょうだい」

「……死刑」

「は?」

「不敬罪で、死刑」

 マクアから放たれたとは思えない言葉に、オリビアは困惑する。

「何を言ってるの、マクア。お芝居だったらとっても上手だけど……ちょっと笑えないわ」

 いつも以上に眉根を寄せて、作り笑顔を貼り付けたオリビアがマクアの頬に触れようとした途端、平手打ちを食らった。

 愕然とするオリビアを、使用人達が取り押さえる。

「マクア……! どういう事なの、マクア! お願い答えて!」

「……」

 組み伏せられたオリビアを見て満足そうに笑うマクアの目は、正気を失っていた。


「……マクア、本当にどうしちゃったの……」

 使用人達に取り押さえられたオリビアは、屋敷の地下牢に繋がれていた。

“死刑”。

 マクアの口から告げられた言葉が、オリビアの正気をも揺るがす。しかしここで正気を失えば、マクアは二度と戻って来ないだろう。

 オリビアは自らを奮い立たせた。

「この……! 取れなさいよ!」

 自らを壁に繋いでいる手錠が外れないかとオリビアはもがいてみたが、びくともしなかった。

 それでも諦めずに続けていると、看守が牢の扉を開けた。

「出してくれるの?」

「黙れ。マクア様がお前に出番を与えてくださったんだ。大人しく行け」

「出番……?」

 看守に連れられて、先程のステージの上に立たされる。手錠が外され、ステージに備え付けられた柱に磔にされた。

「ちょっと! なんなのよコレッ!」

 オリビアの叫びを無視して看守達はステージから下がる。

 客席からはくすくすと笑う声が聞こえる。劇場の照明が落ちると、客席からは歓声が上がった。

 突如として眩いスポットライトが、客席の特等席へと当たる。そこにいたのはマクアだった。

「マクア! 早くそこから逃げなさい!」

「……」

「マクア!」

「執行して」

 その言葉と共に、弓矢が放たれた。そのうちの一本が、オリビアの帽子を撃ち抜く。危うく脳天に弓矢が突き刺さるところだった。

 当たらなくて良かったと安堵したのも束の間、再び弓矢が放たれる。避けようとしても避けられず、今度はオリビアの脚や腕に弓矢が突き刺さる。

「ッ……! マクア……、早く、そこから……」

 痛みに意識が朦朧とする。

 次に弓矢を浴びれば、オリビアは確実に死ぬだろう。ステージの影で弓が引かれるのを見て、オリビアは死を覚悟した。

 マクアの手で殺されるなら仕方ないと、そう思った時――。

「待って!」

 突如、マクアが声をあげた。小さな身体からは想像できない俊敏さで、特等席からステージへ飛び移る。

「なんでこんな事になってるの!?」

「……マクア。あなたなのね。よかっ……た……」

「オリビア!?」

 オリビアは肩で息をしながら、眠るように気を失った。おそらく、射抜かれた事によるショックからだろう。まだ息をしているオリビアを柱から解放し、自らの尻尾で優しく抱きかかえる。

「オリビア、ごめん……。ごめんね……。もう帰ろう。痛かったよね。でも、もう大丈夫だから」

 マクアが気がついた時には、既にオリビアは射抜かれていた。ステージに広がる血溜まりに、だんだんと意識が鮮明になっていくのがわかる。

 とにかく止めなくては。そう思ったことをよく覚えている。

 その後の事はよく覚えていない。傷ついたオリビアを抱えて劇場を後にしたことは分かっているのだが、どうやって触手もなしに劇場の追跡を逃れたのか、マクアには分からなかった。

 

 怒り。

 マクアは怒りに満ちていた。

 自らを洗脳して支配人としようとしたこの劇場に、それに従っていたこの観客に、そして何より、自分に。

 またオリビアを護れなかった。また彼を傷つけてしまった。それが、許せなかった。

 ステージを降りたマクアを、誰一人として止めることができなかった。劇場が支配人であるマクアの怒りを、飲み込みきれなくなったのだ。

 結果として支配人を失った劇場は消滅し、そこに訪れていた人々からも忘れ去られてしまうだろう。支配人を支配して存在し続けていた劇場は、こうして幕引きとなった。

 

 オリビアが気がつくと、既に自宅だった。

 幸いにも傷は命に別状はなく、しばらく安静にしていれば問題ないとの事だった。

 マクアの姿を探して起き上がろうとするオリビアを、大きな尻尾が押し戻した。

「そこにいたのね、マクア」

「ずっと居たよ」

「……ごめんなさい」

「なんでオリビアが謝るの? 悪いのは全部自分だよ。思い出したんだ、劇場であったこと。全部……」

 泣き出しそうなマクアに、優しく口づけた。

「いいのよ。今ので、全部忘れちゃいなさい」

「……うん」

 過ぎた事を言っても仕方ない、オリビアはそう言っているのだと、マクアは解釈した。

 それでも溢れ出る涙を、オリビアは優しく拭う。怪我のない腕でそっと抱き寄せ、マクアが泣き止むまで頭を撫でてやった。

「もう平気なの?」

「うん。オリビア、お腹空いてない? それとも休む? あっ、肩凝ってるとか!?」

「あはは、せっかちね。うーん、お菓子が欲しいわ。ほら、ハロウィンの日にたくさん貰ったでしょう?」

「あー……。オリビアが寝てる間に、全部食べちゃった」

「えぇ!?」

「だって、オリビア起きないんだもん」

「仕方ないわね。今度イタズラしてやるわ」

「何それー!」

「だってお菓子かイタズラか、でしょ?」


 既に11月に入っている事はお構いなしに、二人のハロウィンの夜は続くのだった。

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