第108話 心(インプラント)
アネモネたちが〈建設人形の墓場〉を調査していたころ、レイラは
ペパーミントと彼の容態について話し合っていた過程で、彼女が所有する特殊な〈生体チップ〉を譲ってもらえることになったのだ。
旧文明期の技術によって製造された〈生体チップ〉は、特別な肉体を持たない人間を短期間で進化させるために使用されたモノだという。
レイラにはその〝特別な肉体〟が具体的に何を意味しているのは分からなかったが、とにかく〈生体チップ〉はインプラントに関する〈適合性〉を持たない人間の脳に〈人工神経システム〉を構築して、各種〈サイバネティクス〉のシステムに接続、操作可能にするための〈ブレイン・マシン・インターフェース〉のインストールに使用されていたようだ。
その仕組みは複雑で
その過程で無数のナノロボットがネットワークに接続できる〈人工神経システム〉を構築する。機械人形が頭の中で大規模な工事をしている姿を想像できれば、より簡単に理解できるかもしれない。
レイラは〈生体チップ〉を受け取るため〈兵器工場〉に出向くことになった。彼に同行しているのは拠点で暇そうにしていたジュリとハクだった。もっとも、ハクは廃墟の街に出ると、さっさと
「なぁ、レイ」ヴィードルの後部座席に座り、動体センサーを使いながら索敵していたジュリが言う。「その〈生体チップ〉っていうのは、旧文明の貴重な〈遺物〉なんだよね?」
レイラは彼女の言葉にうなずいたあと、廃車の陰に隠れていた人擬きを避けるため建物の壁面に飛び付く。
「そうだな。〈ジャンクタウン〉にある軍の販売所でも手に入らない代物だから、それなりに貴重なモノだと思う」
「そんな貴重なモノをタダでもらっちゃってもいいのかな?」
「タダより高いモノはないっていうけど、ペパーミントが俺たちを騙したり、敵対したりする理由はないんじゃないのか」
「たしかに姉ちゃんが俺たちを裏切る未来は想像できないね」
ジュリは端末を操作すると、ヴィードルの周囲を飛んでいた偵察ユニットに指示を出して、近くに脅威が潜んでいないか確認させる。
金属光沢の装甲を持つ三機のドローンは、すぐさま散り散りに飛んで命令を実行する。付近一帯は危険なレイダーギャングの縄張りになっているので、ほかの場所よりも襲撃に警戒する必要があった。
「それに」と、レイラは言う。
「人造人間には、例の〈生体チップ〉は必要ないんだ。ペパーミントやライナスは脳を弄らなくても〈データベース〉に接続できるし、下手なインプラントよりも遥かに優れた生体器官を持っている」
「俺たちにとって貴重な〈遺物〉でも、姉ちゃんたちには無用の長物ってわけだね」
「そういうことだ」
超高層建築物の近くを通ると、ジメッとした影が道路に落ちて周囲が薄暗くなる。暗闇が苦手なジュリはすぐにコンソールを操作して、全天周囲モニターの映像を切り替えた。周囲の様子が鮮明に見えるようになると、暗闇に潜む無数の人擬きが赤色の線で輪郭を縁取られた状態で確認できるようになった。
「まるで眠っているみたいだね」
ジュリの言葉にレイラはうなずく。
「あれは途方もない年月をかけて変異を繰り返してきた人擬きだ。日中でも廃墟の街を徘徊している個体よりも脅威度の高い化け物でもある」
レイラの言葉に彼女は緊張して唾を飲み込む。
「こんなにたくさんの人擬きを見たのは、人生で初めてかもしれない……」
「そういえば、ジュリは〈ジャンクタウン〉で育ったんだよな」
「うん。レイの拠点で一緒に暮らすようになるまで、廃墟の街に出たことは一度もなかったんだ」
「ずっと〈鳥籠〉の壁の中で生きてきたのか……」
道路に背中を向けるようにして
「取引に使えそうなジャンク品を探すために、仲間たちと〈ジャンクタウン〉の周りにある森に入ったことならあるよ」
「あの森には不気味な昆虫がいるけど、人擬きは見かけないな」
「ヤンの警備隊が定期的に人擬きを排除してるんだ。だから傭兵たちが記録した映像とか、見世物小屋にいる弱った人擬きしか見たことがなかった」
レイラは物音を立てないように、ヴィードルを慎重に進めながら
「この世界ではそれが普通なのか?」
「普通って?」彼女は首をかしげる。
「街に出ないで、死ぬまで鳥籠で暮らすこと」
「うん、普通だね。命知らずの傭兵とかスカベンジャーは例外だよ。行商人だって仕事だから壁の外に行くんだ。一般人は鳥籠のなかで仕事をみつけて日々を生きてるんだ」
「その仕事っていうのは?」
「色々あるよ。生活に欠かせない設備の……たとえば水道管の点検をする人とか〈食料プラント〉で働く人、それから清掃員や警備員、言い出したら切りがないよ」
「鳥籠のライフラインを支える大切な仕事か」
「うん、誰も彼もがレイやミスズ姉ちゃんみたいに戦えるわけじゃないからね」
高層建築物の影から出て〈兵器工場〉に続く崩壊した巨大な橋が見えてくると、ジュリは偵察ユニット呼び戻した。どうやら近くにレイダーギャングの姿はなかったようだ。
■
ジュリがいつもより機嫌が良いペパーミントの横顔を見つめていると、彼女は視線に気がついて微笑んでみせた。ジュリは彼女の笑顔が好きだった。真剣な表情で作業しているときには、綺麗すぎて人間味がないけれど、それも彼女の個性だと思っていた。
実際のところ、ジュリは無条件でペパーミントのことを慕っていた。それが年上に対する憧れなのか、あるいは母親を早くに亡くしていたことで、ある種の母性に
ペパーミントも少女の無邪気で純粋な好意に気がついているのか、妹たちに接するようにジュリと交流していた。幼い少女は妹たちと異なり、感情豊かでコロコロと表情を変える。ときにはその感情の変化についていけないこともあったし、自分自身の新たな一面に触れるような、そんな不思議な経験もしていた。
ジュリとの交流はペパーミントの感情を育てる助けになっていた可能性がある。そして彼女は心の変化を楽しんでいた。これまでの孤独を埋めるように。
「それが〈生体チップ〉ってやつなのか?」
ジュリがテーブルに視線を落とすと、ペパーミントはインプラントの説明をしてくれた。彼女はケンジの〈適合性〉に疑問があり、義眼の移植には〈生体チップ〉がどうしても必要になると考えていた。
「アネモネとベティなら別の――もっと簡単な方法で〈人工神経システム〉を構築できたかもしれないけど……」
ペパーミントの言葉にジュリは眉を寄せる。
「姉ちゃんたちと何が違うんだ?」
彼女の質問に答えたのはレイラだった。
「旧文明の人類により近い遺伝情報だな」
「そう」ペパーミントはうなずく。
「固有の遺伝的特徴を持っているから分かると思うけど――」
「特徴……?」ジュリは首をかしげる。
「もしかして髪の毛の色とか?」
「ええ。ほかにも視力がいいとか、身体能力が優れているとか、注意深く観察すればケンジとの違いが見えてくると思う」
「へぇ、姉ちゃんたちは特別だったんだな」
「特別と言えば、ジュリもケンジも特別だよ」
「俺も姉ちゃんたちみたいに戦えるのか!?」
「いいえ。でも汚染物質や感染症に対する免疫力は普通の人間のソレじゃない。きっとこの世界で生きていくために必要なモノだったのね」
「待ってくれ」と、レイラが驚いたように言う。
「鳥籠で暮らす人々は遺伝情報が操作されているのか?」
「ええ。レイが人間と呼んでいるモノたちは、一般的とされる人間が持たない遺伝情報を受け継いでいるみたい」
レイラが黙り込んでカグヤと話し始めると、ペパーミントは溜息をついて、それからジュリにインプラントの説明をした。彼女が用意したモノのなかには、〈クリスタル・チップ〉にアクセスできる〈チップ・ソケット〉や、情報端末や多種多様な機器に接続できる〈インターフェース・プラグ〉まであった。
ジュリは目を輝かせていたが、レイラは思わず溜息をついた。どうやらペパーミントはケンジをサイボーグ化するつもりだ。
「これじゃ不満なの?」と、彼女は頬を膨らませる。
「そういうことじゃないんだ」レイラは思わず苦笑する。
「それを移植するのかを決めるのは、俺たちじゃなくてケンジなんだ」
「でも人工眼球は移植するんでしょ。戦闘用の義肢を移植するのも同じゃないの?」
「失ったものを移植するのと、意図して手足を切断するのとでは、きっと気持ちのあり方が違うと思うんだ。それに身体から切り離した手足は戻ってこない、そうだろ?」
「複雑なのね」
「ああ、人間の心は複雑なんだ」
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