第105話 けじめ(ケンジ)


 どんよりと空を覆う灰色の雲間から光が射し込み、廃墟の街にくっきりとした明暗がつくりだされると、そのジメッとした暗闇のなかにひっそりと佇む人影が見えた。


 錆びた鉄条網とツル植物におおわれた灰色の壁、道路には瓦礫がれきと死体が転がり、蛆とカラスが腐肉をむさぼっている。


 入場ゲート付近の渋滞によって放置された無数の車両は雑草に埋もれ、派手な警戒色の外骨格を持つ昆虫がっているのが見られた。それは廃墟の街のそこかしこで見られる一般的な光景だ。


 だからこそ、その人間から漂う異様な気配にケンジは頭を捻ることになった。


 ちらりと視線を横に向けると、彼をこの場所まで導いてくれた女性の朧気おぼろげな幻影が見えた。彼女は白い亜麻布のローブを身につけ、厚手の黒い外套を羽織っていて、その美しい横顔――直視することすら冒涜的に思える崇高な美を蔵する顔は、暗闇に潜む異質な人影に向けられている。


 嫌な気分だ。ケンジは背中に冷や汗をかき、鳥肌が立つのを感じていた。神々は人間に試練を与えると言われているが、常人が足を踏み入れてはいけない領域に立っているのではないのだろうか。


 装甲服が動体反応を検知して警戒音を鳴らすと、物思いに耽っていたケンジは気持ちを切り替えて顔をあげた。すると暗闇に佇んでいた男が歩いてくるのが見えた。その男は肩にボルトアクションライフルを担いでいて、もう片方の手にはビーの偵察ユニットが握られている。


 灰色に近い死人のような青白い肌をした男は上半身裸で、日本の伝統的な和彫りで胸から腕にかけて花の柄が――たちばなの花だと思われる柄の刺青が彫られている。髑髏どくろを思わせる面頬をしていたので口元は見えなかったが、常に赤く明滅していた瞳は男の不気味さを際立たせていた。


 得体の知れない男はケンジを見つめたあと、手元のドローンに視線を落とす。

「アシビの鬼だな。こんな危険な場所でなにをしているんだ」


 装甲服のセンサーが別の反応を検知して、入場ゲートのそばに立ち尽くしていた別の男の輪郭を赤色の線で縁取る。驚いたことにその男は、ケンジの目の前に立っている男と見分けがつけられないほど似た格好をしていて、青白い肌に彫られていた刺青も同じモノだった。


「道に迷ったんだ」

 ケンジはそう言うと、敵意がないことを示すために重装甲戦闘服の背甲はいこうを展開して、生身で男の前に立つ。


 太平洋に架かる超構造体メガストラクチャーへと続く埋立地を占拠している組織について、何度か噂を聞いたことがあった。危険な地域を縄張りにしているからなのか、組織の構成員は旧文明の技術を用いて製造された装備で身を固め、支配地域に近づく人間を監視し容赦なく排除している。


 けれど同地区で見られる凶悪な変異体や殺人機械と異なり、嫌な話は聞かない。その理由は単純で、彼らの支配領域に侵入しない限り、攻撃されることがないからだとも言われていた。


 そしてもうひとつ興味深い噂を聞いたことがある。なんでもその組織の構成員は、皆一様に、まるで双子のように似た顔立ちをしているという。つまり、同一の遺伝情報を持つクローンだというのだ。


 ひと昔のケンジなら笑い飛ばしていた話だったが、鳥籠〈姉妹たちのゆりかご〉で暮らす女性たちの存在を知ってからは、クローン兵士たちの噂には一笑に付すことのできない信憑性の高さを感じていた。


 そしてそれが事実なら、彼らの背後には旧文明期の技術と深い関わりがある組織と、驚異的な兵器で武装した強力な部隊が存在するのかもしれない。であるならば、迂闊に手を出して火傷するようなヘマはできない。だからこそ彼はすぐに敵対の意思がないことを示すことにした。


「こいつが侵入者なのか?」

 装甲服とリンクしたヘルメットを外していたからなのか、声が聞こえるまで背後に男が立っていたことに気がつかなかった。

「これがアシビの赤鬼か……思っていたよりも普通だな」


 すると横転した多脚車両の影から別の男が姿を見せる。

「アシビの鬼は二人組だと聞いていたが」


「近くに潜んでいるのかもしれない。誰か捜てこい」路地からあらわれた男が言う。


「その必要はない」背後の男が落ち着いた声で言う。

「徘徊していた出来損ないは俺が始末した。ここにはアシビの鬼しかいない」


 同じ背格好の男たちが同じ声で話をしている間、ケンジは彼らを刺激しないように視線だけで周囲の様子を確認する。彼らの注意は逸れているように見えたが、入場ゲートのそばに立っていた男はライフル構えていて、その銃口はケンジの額に向けられていた。


「それで」と、背後から声が聞こえる。

「道に迷ったついでに、俺たちのシマを偵察していたってわけか」


「知らなかったんだ」

 ケンジの言葉に男は鼻を鳴らす。


「知らなかった……便利な言葉だと思わないか。『俺は何も知らなかったんだ、だから許してくれ』そう言えば、すべてなかったことにできると思っているのか?」


 男がライフルの銃口をケンジの後頭部に突きつけたとき、誰も予想していなかったことが起きた。ケンジのとなりに立っていた無人の重装甲戦闘服が、まるで意思を持った機械人形のように動いた。その動きはあまりにも速く、ケンジを取り囲んでいた男たちも反応することができなかった。


 背中のマニピュレーターアームが不機嫌な猫の尻尾のように揺れたかと思うと、男は踏鞴たたら後退あとずさる。次の瞬間、切断された男の上半身がズルリと滑り、ドサリと地面に落ちる。胴体を失った足はグニャリと膝を折り、半分になった身体からだの上に転がる。


 マニピュレーターの尖端からレーザーを接射して切り裂いたのだろう。切断面は驚くほど綺麗で、余計な傷は見られなかった。


 突然の出来事に驚愕しているケンジを余所に、男たちは一斉にライフルを構えて装甲服に銃口を向ける。けれど射撃は行われない。装甲服も沈黙したまま動かない。


「遠隔操作――いや、〈思考兵器〉か」

 ケンジの危機に反応して動いたのかもしれない。そう結論付けた刺青の男は、同じ顔の男たちに銃口を下げるように指示した。


「兄弟がやられたのに、黙って――」

「旧式とはいえ軍の装備だ」と男は仲間の言葉を遮りながら言う。

「不用意に近づいたのがいけなかった」


 男は地面に横たわる仲間の死体を見つめたあと、手元のドローンをケンジに差し出した。


「今回のことは水に流す。アシビの鬼は何も知らなかった……いいな。俺たちのシマを荒らすつもりはなかった。ただ、不運が重なっただけだ」


 得体の知れない男たちは素直にうなずいて、それから重そうなライフルを肩に担いだ。


 ケンジが停止していたドローンを受け取ると、男は静かな声で言った。

「けれど兄弟の血が流れた。けじめをつける必要がある」


 装甲服のとなりまで下がったあと、ケンジは周囲に視線を向けた。彼を取り囲んでいた男たちは油断していたが、入場ゲートの側に立っている男は違う。彼は冷酷な目つきでケンジを睨み、その額に真直ぐ銃口を向けている。


 装甲服を装着しようとした瞬間に狙撃されるだろう。かといって装甲服を使わず素手で男たちと戦えるとも思えない。


 ケンジはそっと息をついて、それから言った。

「俺はどうすればいい」


「アシビの鬼は、俺たちに何を差し出せる?」

 男はそう言うと、ライフルを地面に捨て、ケンジから視線を逸らさずにゆっくりとした動作で近づいてくる。装甲服からの攻撃に警戒しているのかもしれない。


「腕だ」多脚車両のそばに立っていた男が言う。


「いや、足を頂戴する」と、路地に立っていた男が言う。


 ケンジはもう一度息をついた。これまでの経験から穏便に済ませることはできないと分かっていたし、抵抗することで事態を悪化させてしまうことも理解していた。


 ちらりと足元に視線を向けると、身体を切断された男の血液が広がるのが見えた。


 腕なら影響が少ないかもしれない。と、ケンジは考える。ジャンクタウンで義肢を手に入れることができれば、普段の生活に支障をきたすこともないだろう。それに今は装甲服も所有しているので、廃墟の街に溢れる脅威にも対処できるだろう。


 ケンジは袖をまくると持参していたパラコードを左腕に素早く巻きつけて、男に向かって腕を差し出した。


「潔い。しかし目には目を、という言葉があるだろう。その目を頂く」

 ケンジが最後に見たのは、男の右腕が変形して鋭い刃が出現する光景だった。

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