第99話 変異(地下街)


 ケンジが薄暗い通路に銃口を向けると、ぼんやりとした明かりで周囲を照らしながら近づいてくる純白の翼が見えた。暗闇に浮かび上がる天使の翼は、地下街に侵入したレイダーギャングが身につけていたアクセサリーからホログラムで投影されていたモノだが、どうも略奪者たちの様子がおかしい。


 ベティに警戒するように声を掛けようとしたが、となりにいるはずの彼女の姿が見えない。


『ベティなら、アンティークショップに駆け込みましたよ』

 ビーの言葉に思わず舌打ちしたあと、ふらついた足取りで近づいてくる集団に銃口を向けながら後退する。


 中東系の顔立ちをした綺麗な女性の顔は腫れていて、皮下出血による変色が確認できた。細い首には絞めつけられたあとがあり、圧迫した箇所から頭部に向かって鬱血が生じていて、皮膚に点状出血が見られた。


『ここからでは銃創じゅうそうは確認できませんが、顔面の腫れは殴打によるものだと推測できます』


「銃を使っていない……なら連中を痛めつけたのは人間じゃないってことか?」

『傭兵と争った形跡は確認できていませんので、その質問に答えることはできません』


 ケンジは後退しながら燃え上がる陣羽織を着た男の頭部に照準を合わせる。すると男の顔も腫れていることに気がつく。長時間にわたる拷問を受けたかのような、そんなひどい状態の顔だった。


「あれで生きていると思うか?」

『すでに人擬きに変異していることを示す特徴を確認しました』


「つまり」と、略奪者の白濁はくだくした眼を見ながら言う。

「連中は拷問を受けたあと、人擬きに襲われたのか?」


『人擬きに変異させる効果のある兵器が使用された。という可能性も捨てきれません』


 ケンジは〈不死の導き手〉が関与したと思われる集落で起きた悲惨な事件を思い出した。そこで何が行われたのかはハッキリと確認できていないが、突如人擬きに変異した人々によって集落は壊滅していた。


 気を取り直すと接近してくる略奪者に銃口を向け引き金に指をかけたが、攻撃することを躊躇ためらってしまう。


 小銃には消音器が装着してあったが、壁で囲まれた地下街での発砲になるので、減音効果はそれほど期待できないだろう。それにもしも人擬きや危険な変異体が近くに潜んでいたら、反響する射撃音で注目を引いてしまう可能性がある。


 人擬きに変異したと思われる略奪者たちから視線を外さずに彼はたずねる。

「ベティは?」


『入手した端末を使い、ガラスケースの開錠を行っています』

「ケースが開くと思うか?」


『必要なソフトウェアを端末にインストールしていたので、すでにケースは開いています』


 ネコとタヌキの置物で埋もれた骨董品店の入り口までやってくると、店内から騒がしい音が聞こえてくる。

「ベティは何をしてるんだ」ケンジは顔をしかめた。


『回収予定の〝刀〟に汚染物質を付着させないため、放射線を遮断する効果が期待できる布を探しています』


「そんなモノがあるのか?」

『店内に各種防災用品があることは確認しています。劣化が気になりますが』


 要救助者のことなどすっかり忘れて刀の回収に夢中になっているベティにあきれながら、汚染地帯での活動可能時間を知らせるタイマーをちらりと確認する。時間には余裕があるが、通路の先からやってきている人擬きに見つかったら厄介なことになる。


 奇妙な姿をした生物がテック企業の店からい出てきたのは、ちょうどそのときだった。


 それはブヨブヨとしたイモムシの身体からだに、人間の上半身がくっ付いているようなグロテスクな生物で、体内に膿を蓄えた薄桜色の半透明の皮膚をしていた。


 皺だらけでブツブツした肌には太い毛が生えていたが、それは皮膚病を患った犬のように、あちこち禿げていた。しかし下半身の――イモムシのように伸びた胴体は、未だ店のなかにあるため、その全容を確認することはできなかった。


「……ビー、あれは人擬きなのか?」

『気の遠くなるような歳月をかけて、地下で変異を繰り返してきた個体なのでしょう』


 いつでも攻撃できるようにヴィードルの重機関銃が化け物に向けられるが、まだ攻撃は行われない。敵はケンジたちの存在に気づいていない。


「もう大丈夫、いつでも行ける!」

 黒い布を胸に抱いたベティが姿を見せると、ふたりは地上に戻るため来た道を引き返すことにした。化け物の注意を引かないため、できるだけ音を立てないようにして地上に続く階段まで移動する。


 ホログラムで着飾った略奪者たちの成れの果てが、暗闇のなかズルズル這う化け物に近づくのが見えたがケンジはそれを無視した。厳密に言えば、どうすることもできなかったのだが、なんとかするべきだった。


 生きたしかばねのようにフラフラと歩いてきていた略奪者のひとりが、イモムシじみた化け物の長い胴体につまづいて、その拍子に気色悪い身体の上に倒れ込んでしまう。次の瞬間、化け物は男性の声にも女性の声にも聞こえる奇怪な声で悲鳴をあげた。


 突然、地下街に響き渡った悲鳴にベティは驚いて、思わず胸に抱いていた布を取り落としそうになる。


「なんなの?」

「人擬きの群れが来る。階段まで走るぞ!」


 暗い通路の先から無数の呻き声や叫び声が聞こえてくるようになると、ふたりは形振り構わず駆け出した。


 階段が見えてくると、ベティの腰に手を回して彼女の身体を持ち上げる。ベティが多脚車両の装甲につかまって乗降ステップに足を掛けたのを確認すると、振り返って暗い通路から響いてくる無数の足音に耳を澄ます。


「ビー、このままベティと先行して扉を開いてくれ」

『承知しました』


「待って!」ベティが慌てる。

「ケンジはどうするの!?」


「すぐにあとを追う!」

 もはや癖になっている薬室確認を行い、それから銃床を肩にあて、通路の先に銃口を向ける。


 多脚車両を掩体えんたいにしながら人擬きの群れに攻撃を行い、扉が開くまでの時間を稼ぐこともできたが、放射性物質に晒された防護服を着た状態でコクピットに乗り込めない以上、ほかに選択肢なんてなかった。


 どの道、生身で階段を駆け上がる必要があるなら、体力に不安があるベティを多脚車両で先行させたほうが余計なことを考えず戦闘に集中することができる。


 ケンジは暗闇の向こうから接近してくる醜い化け物の群れに銃口を向け、そして引き金を引いた。想像していたよりも銃声は抑えられていたが、射撃のさいに聞こえる小気味いい金属的な動作音を消すことはできなかった。


 射撃の反動で肩を叩かれ、弾丸を受けた人擬きが倒れるたびに、通路の先から別の個体の叫び声が聞こえた。


 弾薬が底を突くと、階段を駆け上がりながら素早く装填を行う。暗闇で弾薬装填する必要があったが、何百、何千回と繰り返してきた動作が身体に染みついているので、つまらない失敗をすることはない。


 ちなみに空になった弾倉は足元に排出して捨てている。普段なら空の弾倉もキッチリ回収しているが、汚染された装備を持ち帰るわけにはいかない。


 射撃の準備が整うと、振り向きざまに掃射を行う。すでに階段は数百体の――見える範囲だけでも数十体の人擬きで埋め尽くされているので、照準を合わせる必要もない。引き金を絞って派手に射撃を行う。


 弾薬が底をつくと空になった弾倉を排出して装填を行う。薬室確認を含む一連の動作が終わって引き金に指をかけたとき、ビーの声が聞こえる。


 扉の開放を確認すると、ケンジは弾倉が空になるまで弾丸を撃ち尽くし、ライフルを投げ捨てて駆け出す。バックパックを背負っておらず、アシスト機能を備えたスキンスーツを着ていたが、それでも数十メートルの階段を全速力で駆け上がるのは大変だ。


 息を切らせながら走り、ベティと多脚車両が見えてくると、ガスマスクのフェイスシールドに安全地帯に避難するように促す警告が表示される。拡張現実で青色に表示された安全地帯に駆け込むと、ヴィードルから重機関銃による掃射が行われて、ケンジのすぐ背後まで迫っていた人擬きがズタズタに引き裂かれていく。


『ケンジ!』

 制圧射撃を行ってくれているベティの声がイヤホンから聞こえると、彼は力を振り絞って防水扉の向こうに駆けこむ。

「ビー、今だ! 扉を閉じてくれ!」

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