第94話 闇市(ケンジ)
重装甲戦闘服の実戦テストから数日、ケンジは機体の整備に必要な工具を調達するため、拠点の近くで開かれている〈闇市〉に向かっていた。もっとも、
ケンジに同行しているのはベティと〈ビー〉だけだった。レイダーギャングが仕切っている市場に二人だけで行くのは
ベティと二人きりという状況にケンジは不安を感じていたが、以前よりも装備が充実していたので、そこまで神経質になることもないだろうと考えていた。
全天周囲モニターに表示される索敵マップを確認していると、市場のすぐ近くでギャングの構成員が奇妙な集団と言い争っているのが確認できた。
重武装の戦闘員を取り囲んでいたのは、薄汚れた衣服を身につけた数十人ほどの集団で、彼らは略奪者にもスカベンジャーにも見えなかった。鳥籠の薄暗い路地で見かける浮浪者のような、そんな貧しい印象を受けた。
ケンジたちは集団の近くを通らず、倒壊した廃墟を迂回するようにして進むことに決めた。アネモネの青いヴィードルに乗っていたので、気が立っている戦闘員に難癖をつけられて、別の問題を引き起こすようなことをしたくなかったからだ。
軍用規格の車両は、廃墟の街で入手できる貴重な〈遺物〉同様に価値があるモノだ。レイダーギャングが目を光らせている闇市ならともかく、略奪が横行する通りで、苛立った戦闘員が装甲に傷ひとつない完全な車両を見逃すとは思えなかった。
ベティに新たな移動経路を伝えて進行方向に拡張現実の矢印を表示したあと、ビーのドローンから受信する映像で集団の様子を確認する。彼らが何を言い争っているのかはハッキリと聞こえなかったが、どうやら戦闘員は薄汚れた集団を市場に近づけたくないようだった
ギャングの構成員が集団を警戒する気持ちは理解できた。彼らは皮膚病を
どこか気狂いのような表情を浮かべていた男は、大きな眼をギョロリと動かしていて、頭部は太い首に乗っている。その首の周りは膿のような体液で汚れていて、衣服の首元に大きな染みをつくっていた。
けれどその集団を異質な存在にしていたのは、彼らが兄弟姉妹のように似た顔立ちをしていることだ。男女の差もほとんど感じられない。遺伝性の病気、あるいは感染症なのだろう。戦闘員も病気をうつされることを警戒しているのか、集団が近づくと機関銃を構えて大きな声で警告していた。
一触即発の
「またなの!?」
ベティはうんざりしながらコンソールに端末を接続するために使用していたケーブルを乱暴に引き抜いた。
ケンジはすぐに車両のシステムに異常がないか診断したが、どうやら問題があるのはベティの端末だけのようだ。
「今の映像は?」
ケンジの言葉にベティは唇を尖らせる。
「ハクと一緒に〈ジャンクタウン〉の露店で見つけたメモリチップでアニメを見ようとしたら、旅行会社の広告が表示されるようになった」
「カグヤに見てもらったのか?」
「ううん。ほっとけば表示されなくなると思ったから、カグヤには話してない」
「ヤバいマルウェアが仕込まれていたら、カグヤのネットワークに影響を及ぼすかもしれないから、すぐに対処してもらえ」
「わかってる」と、彼女は不機嫌に言う。
「それより、本当に闇市に目的の工具はあるの?」
「ヨシダの話では、組合に所属していないスカベンジャーが廃墟を探索しているときに偶然見つけたらしい」
「ヨシダって、ジャンクタウンの?」
「そうだ」
「どうしてそのスカベンジャーは、ヨシダのジャンク屋で取引しないで、闇市なんかに工具を持ち込んだの?」
「闇市なら商人組合に干渉されることなく自由に取引ができるからだ」
「ふぅん」
ベティはぬいぐるみリュックのなかに情報端末を放り込むと、ヴィードルを動かして市場のすぐ近くにある廃墟のエントランスホールに侵入する。ゴミと
「ここでいいの?」
彼女はジメジメした薄暗い空間を見ながら動体センサーを起動する。
「ああ、注目されたくないから闇市には歩いて入る」
「面倒だね」
「あの市場を仕切っているのは〈エム〉の組織と敵対しているギャングだ。連中を刺激するようなことはしたくない」
その闇市の周囲には、まるで防壁のように車両の残骸や錆びた貨物用コンテナが並び、重武装の戦闘員が常に巡回警備していた。闇市は中世の砦のように物々しい雰囲気に支配されている。
ケンジとベティは買い物客の行列に紛れるようにして、何食わぬ顔で市場に入る。敵対する組織に協力的な人間が自分たちの縄張りにいると知ったら、彼らは血相を変えて二人を狩りたてるだろう。
「いいな、ベティ。何を
ケンジは貨物用コンテナの上で狙撃銃のバレルを磨いていた女を見ながら言う。
「わかってる。
「それに」とケンジは付け加える。
「酒と〈メタ・シュガー〉も禁止だ」
ベティは肩をすくめると、買い物客で混雑する通りに視線を向ける。
ひび割れて雑草が
ちらりと視線をあげると、無雑作に積み上げられたコンテナの上で喧嘩をしていた男たちのひとりが突き落とされるのが見えた。酒に酔っていたのか、人形のように力なく落下した男は、路肩の縁石に頭部を打ち付けて動かなくなる。
男性の頭部から広がりはじめた血溜まりを避けるように、ケンジとベティはネオンサインが
分子工学ナノロボットを扱う企業の放射能除去技術に関する広告が投影されている横で、乳房を露出した半裸の女性が退屈そうに通行人に視線を向けている。彼女の足元には薬物の
鉄とグリスの臭いが鼻に突くゴテゴテとした機械の義肢と、人工皮膚と生体部品を多用した〈サイバネティクス〉を販売する店の前には、重武装の戦闘員が立っていて、義眼をチカチカと発光させながら通行人をスキャンしている。ケンジはベティを隠すように歩くと、目的の工具を販売している廃墟に入っていく。
指先に小さな工具を仕込んでいた店主が、無数の指を同時に動かしながら手元の複雑な作業を短時間で終わらせるのを見届けたあと、ケンジは店主に声を掛ける。顔面の半分が焼け
「インプラントがほしいなら他をあたってくれ」
店主の言葉にベティは人懐っこい笑みをみせる。
「ほしいのはインプラントじゃなくて工具だよ」
「まともな客だったか、失礼なことを言ったな」
店主は義眼を明滅させると、商品を適当に並べていく。
「えっと、兵器工業……なんとかって企業が使ってた工具はある?」
「ツイてるな、企業の品が手に入ったばかりなんだ。けど嬢ちゃんが買えるような代物じゃないぞ」
「お金ならあるから心配しないで」
ベティの言葉に店主は肩をすくめると、振り向くことなく背中についている義手を伸ばして棚の奥に保管されていた小箱を手に取る。どこかに義眼を仕込んでいるのかもしれない。
「企業の精密工具だ。本当に金はあるんだな?」
「もちろん」ベティはニヤリと得意げな表情を見せる。
「ところで、情報端末のマルウェアを無効化することってできる?」
今度は店主がニヤリと笑みを見せた。
「嬢ちゃん、金はあるのか?」
余計な失費をすることになったが、ケンジは目的の工具を入手することができた。二人は店主に感謝すると、そそくさと店をあとにした。
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