第89話 ヒーローごっこ(ハク)


 次々と襲いかかってくるコウモリじみた変異体に向かって銃弾をバラ撒いたあと、耳が痛くなるような金切り声を聞きながら、空の弾倉を抜いてモールベルトに挿して最後の予備弾倉を取って再装填する。


 状況は最悪だった。建物内に侵入した変異体はアネモネとベティを標的にすると、執拗で容赦のない攻撃を続けていた。


 激しい爆発音が聞こえたあと、背後からベティの声が聞こえる。

「お姉さま、扉が開いた!」

「了解! すぐに行く!」


 階下に向かって手榴弾を放り投げたあと、アネモネは砂煙が立ち込める通路に向かって駆けた。背後から化け物の悲鳴と炸裂音が聞こえる。


 けれど振り向くことなく走り続ける。通路の先で待っていたベティはライフルを構えた状態で片膝をつくと、アネモネの背後に迫っていた変異体を次々と撃ち落としていった。その表情はいつになく真剣そのものだ。


 爆発の衝撃でひしゃげるようにして開いていた防火戸ぼうかどの隙間に身体からだをねじ込むと、そのまま階段を駆け上がって屋上を目指す。ガスマスクのフェイスシールドに敵性生物の動体反応を表示すると、後方から数え切れないほどの赤い点が迫ってきているのが見えた。


 コウモリの変異体は騒がしい銃声や爆発音に引き寄せられているのか、あるいは二人の体温に反応して集まっているのかもしれない。いずれにせよ、もう建物内にとどまっていることはできない。


 フェイスシールドに投射されている映像を、〈ワヒーラ〉から受信している周辺一帯の情報に切り替える。すると先ほどまで建物を包囲していた多数の反応が消えていることに気がついた。やはりハクが近くに来ているのだろう。


 捕食者であるハクに捕らえられないように、コウモリの化け物が逃げ出しているのだ。建物内の変異体が増えたことにも関係しているのかもしれないが、今はそのことに構っている余裕はなかった。


 扉の近くで浮遊していたドローンが見えると、アネモネは思わず声を上げる。

「ビー、扉は!?」


『すでに解錠しました』

「よくやった!」


 金属製の厚い扉を開いて外に出て扉を閉めると、背後に迫っていた化け物が扉に次々と衝突する。


 ベティは背中で扉を押さえつけながら、ぬいぐるみリュックからフレアガンを取り出すと、陰鬱いんうつな雲が立ち込めていた空に向かって真っ赤に光る照明弾を打ち上げた。マグネシウムの光が周囲を照らしながらゆらゆらと風に揺れるのが見えた。


「ハクが来なかったら、ヤバいことになるね……」

 ベティの弱気な言葉にアネモネは笑みを見せる。

「大丈夫、ハクはきっと来てくれる」



 真っ白な体毛に覆われた腹部を揺らしながら廃墟を探索していた白蜘蛛は、お気に入りのアニメソングを口ずさみながら瓦礫を引っ繰り返していた。建物の外で閃光が炸裂するのを見たのは、ちょうどそのときだった。


 直後、轟音が建物全体に響き渡り、天井から砂と塵がパラパラと降ってきた。ハクは音に驚いて体毛を逆立てたあと、ガラスのない窓枠から外の様子をしげしげと眺める。


 ハクはそのパッチリした大きな眼で――人間とは比べ物にならないほど驚異的な視力が備わっている眼で――遠くの建物を眺めた。すると厚い雲に覆われた高層建築物の上層で爆発が起きたのがハッキリと確認できた。


 ハクは触肢しょくしをゴシゴシとこすり合わせたあと、崩れていた壁から建物の外に出て上層区画に視線を向ける。


 すると爆発地点に妙に生々しい腫瘍しゅようのような肉塊があるのが見えた。そのグロテスクな肉塊は、脈動する無数の触手を伸ばしながら建物の外壁を移動していた。


『ん!』

 突然の事態に興奮して毛深い腹部を震わせていると、数体の〈人造人間〉が崩壊した壁からあらわれるのが見えた。金属製の骨格を持つ謎の〈人造人間〉は外壁に飛びつくと、肉塊のあとを追うように移動を始める。


 あの場所では、ハクにも想像できないような楽しいことが起きているかもしれない。そう考えたハクは、さっそく高層建築群が林立する上層区画に行こうとする。


 周囲で起きた異変を察知したのは、となりの建物に飛びついたときだった。空を真っ黒に染めるほどの飛行生物の大群がこちらに向かって飛んできているのが見えたのだ。


 するとハクは空中で身体からだをくるりと反転させると、建物に衝突して大破していた航空機の残骸に飛び乗る。


 ハクの体重で機体は軋むが、絶妙なバランスで外壁に突き刺さっていて崩落する危険はなかった。ハクは足元の機体を触肢でトントンと叩いて安全性を確かめたあと、近づいてくる生物に注意を向ける。


 飛行生物の大群もハクのことに気がついているのか、威嚇するように騒がしい金切り声を上げていた。廃墟の街に生息する野生動物や変異体は〈深淵の娘〉であるハクを恐れる傾向があるが、その変異体が怯えている様子はない。


 もしかしたら〈神の門〉を通って、〈混沌の領域〉からやってきた生物なのかもしれない。レイラと一緒に異界を旅していたハクは、混沌の化け物がいかに危険な生き物なのか理解していた。


 ハクは攻撃に適した位置まで移動すると、接近してくる大群に向かって糸の塊を吐き出していく。


 電気を帯びている糸は近づいてくる生物に反応して、あっという間に網のように広がると、変異体の身体や翼に絡みついて次々と落下させていった。コウモリの化け物はそのまま建物の外壁や道路に衝突しては、グシャリと潰れて息絶えていった。


『いそがしい!』


 謎の使命感に駆られたハクは、建物の間を縦横無尽に跳躍しながらコウモリに糸を吐き出して、手当たり次第に撃ち落としていく。変異体の数は多く、糸の塊は帯電した生物に引き寄せられるように飛んでいってくれるので、適当に糸を吐き出すだけで良かった。


 しかしその攻撃だけで、大群で行動する変異体を殲滅せんめつさせることは不可能だった。そこでハクは建物の間に糸を張ることにした。巨大な巣を作って変異体の大群を捕まえるという腹積もりだった。


 しかし計画は上手うまくいかなかった。短時間で巣を張るには、あまりにも敵の数が多く、そして邪魔だった。ハクは無数の化け物にしがみ付かれながらも、接近してくる化け物を鉤爪で裂いていった。


 高層建築物の上層で巨大な腫瘍と交戦していた〈人造人間〉たちのことをすっかり忘れて、コウモリ退治に没頭していると、不意に建物屋上から照明弾が打ち上げられるのが見えた。


 ハクはその光を見ながらコウモリの化け物に牙を突き立てると、体液をすすりながら数日前のことを思いだしていた。


 それは拠点でベティと一緒にヒーロー映画を見ていたときのことだった。高層建築物が建ち並ぶ悪の巣窟で犯罪の兆候があると、暗い空にシグナルが打ち上げられる。すると颯爽とヒーローがあらわれて、困っている人を助ける。


 スーパーヒーローの姿に感動したハクは、さっそくベティとヒーローごっこをして遊ぶことにした。


 そこで〈ヒーローシグナル〉の代りに使用したのが、真っ赤な照明弾だった。略奪者たちに拠点の位置が知られてしまうと、ミスズに怒られてしまったが、またベティを誘ってヒーローごっこをするつもりだった。ちなみに今度はジュリも誘う予定だった。


『あかい、ひかり……』

 ハクはじっと照明弾を見つめたあと、コウモリの死骸をペッと吐き出す。


『たすけ、よんでる!!』

 興奮して体毛を逆立たせると、照明弾の発射地点に向かって跳躍する。


 いくらもしないうちに建物屋上に到着すると、背中をつけるようにして扉を押さえているアネモネとベティの姿が見えた。ハクはその扉に向かって糸を吐き出すと、またたく間に扉を塞いでしまう。そしてふたりの安全が確認できると、空から襲ってくるコウモリの化け物から二人を守るために戦った。


 気分はもうスーパーヒーローだった。

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