第88話 闘い(ケンジ)


 接近してくる蟲に対して容赦なく射撃を行う。閃光がまたたいて暗闇を赤く照らすたびに、グロテスクな昆虫が死んでいく。


 しかし数が多く、暗い天井から次々と降ってきては襲いかかってきていた。ケンジは背後を取られないように警戒していたが、戦闘を継続できていたのは、天井から降ってくる昆虫の多くが落下の衝撃で潰れていたからだった。


 大型犬ほどの体長がある甲虫は自重があだになってしまっているのか、グシャリと潰れて絶命していったが、それでも恐ろしい生命力を持つ化け物はケンジをい殺そうと猛然と迫ってきていた。


 彼は戦闘を続けながら、あることに気がついた。落下の衝撃で潰れた昆虫の体内から、大小さまざまな〝ミミズ〟のようなモノがい出てくるのが見えていたのだ。


 それは寄生虫の類だろうか、口と消化器官しか持たない原始的な生物は白茶色しらちゃいろの半透明の身体からだをモゾモゾと動かして、グチャグチャに潰れていた昆虫のなかに身を隠す。


 まるで悪夢だ。ケンジは足元から忍び寄る恐怖にとらわれてしまわないように、必死に身体を動かし続けた。


 フェイスプレートに投射されるレーザーライフルのエネルギー残量には余裕があり、焦る必要がないことも分かっていた。気を抜かずに的確に攻撃を続ける。それができれば、この困難な状況から抜け出せるはずだ。しかし頭では理解していても、死の恐怖は脳裏にこびりついて離れようとしない。


 はねを震わせながら飛びかかってきた蟲にレーザーを撃ち込んだときだった。薄闇の中から急にあらわれた甲虫の突進を受けてケンジは地面を転がる。


 倒れた先には潰れた死骸があり、気色悪い寄生虫が白い腕を伸ばすように迫ってくる。が、あの得体の知れない小箱を持っているからなのか、一定の距離までしか近づいてくることはなかった。


 ケンジは深呼吸して肺に空気を送ると、足に力を入れて立ち上がる。顔をあげると、ヌメヌメと黒光りする甲殻を揺らしながら邪悪な蟲が近づいてきていた。即座に攻撃しようとしたが、そこでレーザーライフルを落としてしまっていたことに気がつく。


「クソ!」

 悪態をつきながら背中に回していたアサルトライフルを構える。


 フルオート射撃で数十発の弾丸を撃ち込むことで、ようやく蟲の動きを止めることができた。グロテスクな昆虫が無数の傷口から体液を流し、うつむくようにして死でいくのを見ながら、空になった弾倉を抜いてベルトに挿していた弾倉を再装填する。


 それからフェイスプレートに表示される信号を頼りにレーザーライフルの位置を確認した。


 騒がしい銃声をとどろかせながら戦闘を続ける。すでに六体の昆虫を射殺していたが、その数は増える一方で切りがなかった。


 それでも射撃を行いながら目的の場所までたどり着くと、片手で小銃を構えたまましゃがみ込んで、もう片方の手で落としていたレーザーライフルを拾い上げる。ヌメリのある気色悪い体液に濡れていたが、無事にライフルを回収できたことにホッと息をつく。


 弾倉が空になるまで弾丸を撃ち尽くすと、小銃を背中に回してレーザーライフルを構える。


 そこでライフルのソフトウェアが機能していないことに気がつく。先ほどの攻撃でケーブルが外れたのだろう。端末から伸びるケーブルを手繰り寄せて接続すると、薄闇の中から猛然と飛びかかってくる甲虫の赤い輪郭線が見えた。


 横に飛び退いて紙一重のところで蟲の攻撃を避けた。そのさい、口器の上下左右についていた二対の大顎がワサワサと動いているのがハッキリと見えた。


 あの口にみつかれてしまったら、簡単に肉を抉り取られてしまうだろう。身体からだは疲労困憊していたが頭は冴えていて、普段なら気がつかないことにも注意を向けてしまっていた。


 フェイスプレートを通して複数の輪郭線が暗闇から迫ってきていることを確認すると、フルオート射撃に切り替えて攻撃を行う。


 赤い閃光がまたたいて、邪悪な蟲を次々と殺していく。連射によって銃身が熱せられているからなのか、外装の隙間から蒸気が立ち昇るようになっていたが、射撃を止めるわけにはいかなかった。


 そこに重低音な羽音を響かせながら蟲が突っ込んでくる。最初の攻撃は避けられたが、背後から飛んできた昆虫の突撃は避けられなかった。


 凄まじい衝撃のあと、思わず地面に膝をついた。しかし背中に張り付いた昆虫の大顎は――幸か不幸か、小銃の銃身に咬みついていたおかげでケンジは九死に一生を得ることができた。


 コンバットナイフを引き抜くと、首に咬みつこうとしていた昆虫の口腔内にナイフを突き入れた。たまらず蟲はケンジの背中を離れ、ドサリと仰向けに倒れた。小銃は噛砕かれて破壊されたが、まだレーザーライフルがある。


 引っ繰り返った状態で倒れ、無数の脚をカサカサと動かしていた昆虫にレーザーを撃ち込んで止めを刺すと、近づいてくる別の標的に向かって射撃を行う。


 空気を震わせる特徴的な射撃音の間にケンジは声を聞いた。それは注意を引く魅力的な声だった。射撃を続けながら視線を動かすと、子どもの死骸が積み上げられた祭壇の側に女性が立っているのが見えた。あやしげな女性は衣類を身につけておらず、その傷ひとつない肌は燐光を放っていた。


 彼女が呼んでいる。直感的にそう感じたケンジは、形振り構わず祭壇に向かって走り出した。邪悪な蟲も異変に気がついたのだろう。彼が祭壇に近づけないように、無数の昆虫が集まって壁のように立ちはだかる。しかし次の瞬間には、その無数の昆虫も破裂して気色悪い体液や肉片に変わる。


 女性が何かをしたのだ。燐光を帯びながら徐々にまばゆい光に包まれる女性は、邪悪な昆虫に向かって衝撃波を放つ。すると鋭利な刃物で――まるでかまいたちに遭ったかのように、昆虫が次々と切断されていくのが見えた。


 それは女性に近づくことを躊躇ためらわせるのに充分な光景だったが、ケンジに恐れはなかった。彼女の正体は依然として分からないままだったが、あの〝呼び声〟がささやくのだ。彼女が味方だと。


 羽音を響かせながら突っ込んできた昆虫の攻撃を、地面に身体をこすり付けるようにして滑り込んでかわし、積み上げられた死骸の間を通って祭壇に接近する。


 理由はハッキリとしないが女性の力は増していて、彼女を中心にして放射状に放たれる衝撃波によってほとんどの昆虫が殺されていくのが見えた。小箱を祭壇に近づけたからなのかもしれないが、それを断言することはできない。


 祭壇の前に立つと、パラコードで腰から吊るしていた小箱を手に取り、ゆっくりと石造りの台座にのせた。その瞬間、眩い光が放たれて思わず瞼を閉じた。次に瞼を開いたとき、そこに小箱はなく、代わりに生まれたばかりの赤子が台座にのっていた。


 突然の状況に混乱していると、燐光を帯びた女性がひたひたと歩いてきて赤子を胸に抱いた。しかし次の瞬間には赤子は消えていて――文字通り、赤子は消失していて、妖しげな女性がケンジをじっと見つめて立っているだけだった。


 広場から逃げるようにして昆虫がいなくなったのを確認したあと、ケンジは女性に注意を向けた。


 近くで見る女性の姿は不確かで、どこか朧気おぼろげな幽霊を見ているような存在だった。


「なにが起きたんだ?」

 ケンジの問いに、女性は微笑んでみせた。


「わたしたちは混沌からい寄る邪悪と対峙し、そしてあなたの助けによって打ち勝つことができた」


「助け?」と、ケンジは顔をしかめる。

「俺は何もしていない、惨めに足掻いていただけだ」


「だけど、かつてわたしだったモノの一部を、こうして届けてくれた」

「そうなのかもしれない。でもそれは――」


「誰に知られることもなく、地底の深い闇のなかで、わたしは長い間〝あれ〟と闘い続けてきた。邪悪で憎しみに満ちた感情に圧し潰され、窒息しながら……。でも、あなたが手を貸してくれた。そうでなければ、わたしも闇に囚われて……」


 そのときだった。ケンジの目の前に立っていた女性の美しい顔が、まるで花開いたラフレシアのように、パックリと割れていくのが見えた。艶めかしい肉体はブヨブヨとした脂肪と肉腫で膨れ上がり、グロテスクな肉塊に変わる。


 すらりとした手足はヌメリのある体液を滴らせる太い触手に変化して、地面に突き刺さると植物のように根を張り広がっていく。


 そこには美しかった女性の面影はなく、おぞましく、それでいて生命に対する冒涜的な姿を持つ化け物の成れの果てが佇んでいるだけだった。


 が、それも一瞬のことで、まばたきをすると美しい女性に変わる。ケンジは混乱した。それは眩暈めまいがするほどの混乱だった。


「邪悪で禍々まがまがしい儀式によって、引き裂かれてしまっていた魂がひとつになることができた。これもすべて、あなたの助けがなければできなかったこと」


「それなら、俺はもう赤子の泣き声に悩まされることはないんだな」

「ええ」彼女は微笑むと、胸の中心に手を置いた。

「還るべき場所をみつけた。もうあなたをわずらわせることはない」


「どうして俺なんだ?」

 ケンジは彼女にたずねようとした。この場所で何が起きたのか、そして何に巻き込まれてしまっていたのかを。


 しかし口を開くことができなかった。彼の意識は混濁こんだくし、まともに考えることができなくなってしまっていた。まるで深い眠りに落ちるように、彼の意識は暗い闇の底に落ちていった。

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