第84話 呼び声(ケンジ)


 まっすぐ突っ込んでくるコウモリの変異体に容赦なく弾丸を叩き込んで仕留めていく。化け物の数が多いので残弾数が気になるが、点射で確実に数を減らしていく。


 耳をつんざく金切り声が頭に響いてひどい頭痛がする。こちらに向かって鳴いている化け物を見つけると、優先的に弾丸を撃ち込んで処理していく。


「お姉さま、こっちです!」


 アネモネとベティは長椅子が並べられた部屋に飛び込むと両開きの扉を閉めた。次の瞬間、凄まじい衝撃が走って扉が開きそうになる。


 ふたりを追跡していた化け物が扉を破壊しようとして、次々に体当たりをしているのだろう。アネモネは扉を押さえつけながらベティに指示を出すと、扉の脇に立て掛けられていた鉄製のかんぬきをかけさせた。


「これでしばらく時間が稼げる」

 アネモネはそう口にしたが、鋼製軽量扉はひどく頼りないモノに見えた。ふたりは苔の生えた長椅子を協力して運ぶと、扉の前に設置して簡単なバリケードをつくることにした。


 しばらくすると扉を叩く音も聞こえなくなり、化け物が発する金切り声も遠ざかっていった。けれど安心することはできない、地図に表示されている化け物を示す赤い点は今も増え続けていた。廊下では人擬きと飛行生物の生存をかけた熾烈しれつな戦いが繰り広げられているのかもしれない。


「さて……と」

 ベティはすでに合流していた〈ビー〉と一緒に、室内に人擬きが隠れていないか確かめたあと、ケンジが使っていたドローンから受信する情報を確認した。けれど二機のドローンとは接続が切れていて、自律飛行しながら探索を続けているようだった。


「ケンジの居場所は分かったか?」

 他に出入口がないか探していたアネモネの言葉に、ベティは頭を横に振って答える。


「ううん。ひとりで地下に向かったみたいだけど、そのあとは分からない」

「情報端末から信号が出ているだろ?」


「それも確認したけど、ネットワークから完全に切断されているみたい。だからワヒーラを使っても現在地は調べられなかった」


「参ったな……」

 アネモネは乱暴に頭を掻くと、これからのことについて考えた。


「ねぇ、お姉さま。ケンジを探しに地下に行くの?」

「そうしたいのは山々だけど、地下に行くにはコウモリの群れを相手にしなければいけないからな」


「これでなんとかならない?」

 ベティのアサルトライフルを見ながら、彼女は頭を横に振る。


「群れを殲滅するまえに、弾薬が底を突く」

「それなら、レイラとミスズに助けに来てもらおうよ」


「拠点からこの集落まで半日以上かかる」

「それってつまり、かなりヤバい状況ってことだよね」

「ああ」


 アネモネは薄暗い室内に照明装置を向ける。そこは礼拝堂として使われていたのか、木製の長椅子が並べられていたが、崩落していた壁の隙間から侵入した雨や湿気でひどい状態になっていた。その壁の隙間から外の状況を確認すると、化け物の数が異常なほど減っていることに気がついた。


「どこかに飛んで行っちゃったのかな?」

 ベティはビーに頼んで外の様子を確認してもらうことにした。すると蜘蛛の糸に雁字搦めにされた昆虫のように、無数の化け物が糸に捕らえられている光景が見えた。

「ハクだ!」


 ベティの言葉で白蜘蛛と一緒に来ていたことを思いだしたアネモネは、ハクと連絡を取る手段がないか考える。


「ベティ、戦闘の準備をしてくれ」

「いいけど、どうするの?」

「これから屋上に向かう」



 ケンジはふと鳥居のそばに立ったときの感覚を思い出した。誰かに呼ばれているような気がしてならなかった。その思いは、〈カルト集団〉の拠点に侵入したときには焦燥感に変わっていた。


 暗闇のなか、淡い燐光で浮かび上がる生物は今まで見たことながない種類の人擬きだった。いや、それが人擬きなのかも分からない。でも生物であることに間違いない。


 ヌメリのある体液に濡れた生物のグロテスクな身体からだには、植物が地中に根を伸ばすように無数の触手が生えていた。


 ブヨブヨとした脂肪に包まれた肉の触手は、生物を中心にして放射状に伸びていて、床や天井に張り付いて脈動しながらうごめいていた。その触手からは気色悪い体液が染み出していて、粘液質の糸を引きながら滴り落ちている。


 人間であれば頭部がある場所には、折り重なった花弁が花開いたような奇妙な器官がついていた。その毒々しい頭部の中心からは細い触手が上方に向かって伸びていて、先端には生物発光する奇妙な器官がついていた。壺を連想させる太い胴体を支えるのは、骨のように硬質化した数本の触手だった。


 頭部から伸びる無数の触手は半透明の皮膜ひまくに覆われていて、根元から先端に向かって流れる光の帯が見えた。まるでホタルが光で交信するように、触手が互いに青白い光のやり取りをしているみたいだった。


 その光が触手の内部に充満すると、空中に向かって光の粒子が放出されるのが見えた。そのさい、一定の周波数を持つ音が光と共に空間に放たれる。


 この〝音〟に呼ばれていたのだとケンジは理解した。

 それはゆっくりと空間に浸透していく静かな振動、あるいは旋律とでも呼べるモノだったが、ある種の――表現することは難しかったが、魅力的な〝呼び声〟となって彼の耳に届いていた。


 まるで深海魚が発する光のように、ぼんやりと暗闇を照らす光に魅入みいられて、ケンジは立ち尽くしてしまう。


 その奇妙な生物が何処からやってきたのか、この場所で何をしていたのか、最早それを詮索する気にはならなかった。ただそこに立って、光が奏でる旋律をいつまでも聴いていたくなる。彼は言葉に表せない陶酔感とうすいかんに満たされていた。


 すると突然、光を帯びた触手がケンジに向かって妖しげな光を放出した。



 照明の光が眩しいのか清掃員は顔をしかめると、下水道の壁に付着していたヘドロのような油の塊をシャベルですくう。いつまでも慣れることのできない刺激臭で鼻の奥に痛みを感じるが、手を止めることはできない。


 集落の真下にある下水道は、信者たちが神として崇める得体の知れない化け物のために処理される大量の肉の所為せいで油まみれだ。これを放置してしまえば、いずれ集落に住めなくなってしまうかもしれない。それに教団は金離れがいい。この仕事を失うわけにはいかなかった。


 黙々と作業を進めていると仲間の清掃員が騒ぎ出す。どうやら昆虫が集まってきているようだ。下水に流れ込む肉片や血液を目当てに、危険な昆虫も姿を見せていたが、その頻度が高くなっているような気がする。


 すぐに教団の戦闘員を呼ぶと、忌々いまいましい昆虫を処理してもらう。ゴキブリにも似た昆虫は、病気を媒介する危険な毒虫だった。それを放っておくことは下水道で作業する清掃員のためにもならない。


 病気と言えば、〈不死の導き手〉とか呼ばれている奇妙な集団が、病気を予防するとかなんとか言って、集落の住人に奇妙な注射をしていたことを思いだす。


 化け物を崇めるイカれた教団が、〈不死の導き手〉と手を組んでいることは知っていたが、まさか連中が住人のためにクスリを無料で提供してくれると思わなかった。噂に聞くほど悪い連中じゃないのかもしれない。


「キクチ、こっちに来てくれ」

 仲間の声で作業の手を止める。護衛の戦闘員たちはいい顔をしないが、現場監督として異常を見過ごすことはできない。今回も毒虫の巣を見つけたのだろう。そう考えていたが、どうやら奇妙な〝箱〟を見つけたみたいだ。


「あとは俺に任せてくれ」

 シャベルを持った仲間がいなくなると、ゴム手袋を二重に装着して気色悪い油のなかに手を入れる。指先に硬い感触があった。たしかに箱があるみたいだ。しかし、どうして箱がこんなところに?


 油の底から引き抜いた小箱は旧文明の〈遺物〉なのか、つるりとした金属で覆われていて、錆ひとつなかった。本来、遺物を見つけたら戦闘員に報告しなければいけない。けれど魔が差したのだろう。清掃員は周囲を見渡すと、誰も見ていないことを確認してから小箱を懐にいれた。

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