第83話 燐光(ケンジ)
崩れた壁から次々と侵入してくる飛行生物に容赦なく銃弾を浴びせるが、数が多く、どれだけ殺してもワラワラと化け物が姿をあらわす。アネモネとベティは暗闇のなかにいたが、やはりコウモリの変異体なのか、化け物は彼女たち向かって正確に飛んできていた。
ビーの説明によれば、おそらく超音波のようなモノを発して、受信した反響によって対象物までの距離や位置を特定する反響定位を利用しているのだという。
しかし理解できないこともあった。これだけ騒がしい銃声が鳴り響いているにも
アネモネがフルオート射撃で銃弾を叩き込んでいるのを横目に見ながら、ベティはスカートの中から手榴弾を取り出すと、上階からやってくる化け物の群れに向かって投げた。炸裂音が鳴り響いて建物が激しく揺れる。
その轟音は建物全体に響き渡り、地下にいたケンジにも微かな揺れを感じ取ることができたほどだった。
天井から塵が降ってくると、ケンジは足を止めて車両型偵察ドローン〈ワヒーラ〉から受信していた情報を確認する。それらの情報をもとに作成された地図には、建物内に数え切れないほどの動体反応が出現していることが示されていた。
ガスマスクのフェイスシールドに投射していた映像を切り替えると、赤紫色の体毛を持つコウモリの化け物と交戦するアネモネたちの様子が確認できた。ワヒーラが検知した無数の反応の正体は、この化け物の群れで間違いないだろう。
ケンジは小銃の弾倉を抜いて残弾数の確認を行う。もちろん射撃が必要な戦闘は行っていなかったので残弾数に変化はなかった。環境が与える不安や恐怖が、そういった無駄な行動につながっているのかもしれない。
彼は深呼吸すると、濃密な暗闇のなかに沈み込んでいる廊下に照明を向ける。さきほど遭遇した奇妙な子どもの気配は消えていて、全身の鳥肌が立つような名状しがたい恐怖も感じなくなっていた。
けれどあの奇怪な体験は――気が狂いそうになるほどの恐怖を伴う体験は、これまでのモノとは比べられないほど恐ろしい感覚だった。もう一度、あの言い知れない恐怖を経験したら自分はどうなってしまうのだろうか。
吐き気と立ち
高性能なフィルターを備えたガスマスクを装着していたので、それが錯覚なのは分かっていた。
けれど鼻を刺す腐臭に思わず顔をしかめる。廊下の先、照明に浮かび上がるのは積み重なるように放置された腐乱死体だった。手足が欠損した人間の死体に雑じって、動物や昆虫の死骸も確認できた。
ショルダーライトの光を向けると、死骸に覆いかぶさっていた黒光りする昆虫が影のなかにさっと隠れるのが見えた。ガサガサと嫌な音を立てて動く数百匹の昆虫は、幻覚ではなく実在するモノなのだろう。それなら、この大量の死骸をここまで運んできた生物が近くに潜んでいる可能性がある。
ケンジはワヒーラから受信する索敵情報を操作して、ノイズになるデータを消して、必要な情報だけ表示するようにした。すると上階で確認されていた敵性生物の動体反応を示す赤い点が消えて、ケンジがいる地下の情報だけが表示されるようになった。しかし立体的に再現された地図に生物の反応は確認できない。
昆虫やネズミ等の小さな反応を消していた
ケンジはバックパックから非常信号灯をいくつか取り出すと、点灯状態にして死骸の側に放り投げる。赤色の光に照らされた死体は気味が悪かったが、三十時間ほど点灯し続けるので、帰るときの目印としても役に立ってくれるだろう。
赤く染まる廊下に放置された死骸に注意しながら歩いて階下に続く階段を探す。ケンジは気がついていなかったが、普通の人間は大量の死骸が捨てられた廃墟を見つけたら、恐怖してその場から走って逃げ出すものだった。
けれどケンジは強迫観念にも似た感覚によって危機感を感じることなく、ひたすら階下に向かおうとしていた。自分の身に降りかかる危険性にさえ無頓着になっていた。それは普段のケンジには見られない行動だった。
得体の知れない何かに呼ばれている。その確信めいた異常な感覚が何処からくるのかも分かっていなかったが、引き寄せられるように彼は地下に足を進めた。階段を見つけると、暗闇に向かって信号灯を投げた。赤い光が周囲の暗闇をぼんやりと照らすと、ネコほどの体長があるネズミが驚いて逃げ出すのが見えた。
異変に気がついたのは、階段の踊り場までやってきたときだった。
赤子の泣き声が聞こえたかと思うと、アネモネたちから受信していた映像とワヒーラから得ていた索敵情報が消える。フェイスシールドの不調だと思い、ガスマスクの側面についている装置を操作するが、まったく反応がなかった。
そうなると考えられる原因はひとつしかなかった。あの不可思議な現象が発生しているのだろう。背後で物音がして振り向くと、皮膚がなく皮下脂肪や筋繊維が剥き出しの赤子のような化け物が這ってくるのが見えた。赤い照明に照らされ、ヌメリのある体液に濡れた化け物には見覚えがあった。
次から次に出現する化け物に弾丸を叩き込みながら後退し、気がつけば目的の階層までやってきていた。背後には底無しの暗闇が広がっていたが、赤子の化け物が四方から迫っていたので立ち止まることはできない。
弾倉の再装填を終えて顔をあげると、信号灯の明かりによって浮かび上がる赤子の影が踊っているように見えた。けれどケンジの視線を釘付けにしたのは、暗い廊下の先に見えた淡い燐光のようなモノだった。
弾倉が尽きるまで弾丸を撃ち込むと、化け物の死骸を踏み潰しながら廊下の先に見えた青白い光に向かって駆けた。
扉の隙間から漏れる光は、網膜に焼きつくような不思議な光だった。その光に呼ばれているような気がして、その正体が分からないまま、ケンジは本能に従うように走った。まるで暗闇に誘い込むように、その声は本能に語り掛けていた。
蹴破るようにして扉を開くと、部屋のなかに転がり込む。しかしどういうわけか、光は消えていて、ケンジは真っ暗な空間に放り込まれたような虚無感を覚えた。しかしすぐに立ちあがると背後の扉を閉めた。すると赤子の泣き声がピタリと止まり、代わりに不快な耳鳴りがした。
しばらく扉を押さえていたが背中に暖かな光を感じると扉の側を離れた。照明器具だろうか、部屋の奥にぼんやりとした無数の光の球が見えた。ケンジはその光に向かって歩いた。
真の暗闇において、本当に恐ろしいモノは闇ではなく光なのかもしれない。
そしてようやく光を発していたモノの正体を知ることができた。ケンジはそれが生きているとは思わなかった。なにかの置物、あるいは生物の剥製なのだと考えた。けれど無数の眼が、発光器官のような眼がギョロリと動いて、ケンジを見つめる。
その瞬間、彼は確信した。あらゆる生命に対して極めて冒涜的で、グロテスクな姿を持つこの得体の知れない生物に自分は呼ばれていたのだと。
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