第80話 祟り(ケンジ)
高層建築群の間から見える
集落を徘徊する人擬きと遭遇すると、その場にしゃがみ込んでじっと動きを止める。すると〈環境追従型迷彩〉によって、背にしていた掘っ立て小屋に完全に姿を溶けこませることができた。
その気色悪い体液には、ゴキブリにも似た
その状態でどうやって生きているのかも定かでない不死の化け物が、目の前をフラフラと通り過ぎていくと、ケンジは後方で待機していた〈ワヒーラ〉に指示を出して、それから動き出す。
ガスマスクのフェイスシールドを通して視線の先には、拡張現実で表示された簡易地図と矢印、それに敵拠点までの距離が浮かび上がっていた。ケンジはそれらの情報を頼りに不気味な集落を移動した。
アネモネと一緒に行動していたベティは、二機の偵察ドローンを巧みに使い、人擬きがいない安全な経路を選択しながら〈カルト集団〉の拠点に接近していた。
腐食が目立つトタンの波板で作られた小屋の中にドローンを侵入させると、立ち尽くしたままピクリとも動かない数体の人擬きの姿が見えた。親子だったのだろうか、幼い子どもの変異体も確認できた。
「お姉さま」ベティは小声で言う。
「その小屋は危険です」
受信した映像をちらりと確認したアネモネは、すぐに掘っ立て小屋を離れて、機械人形の残骸や廃材が無雑作に積まれていた路地に入っていく。その路地の先には住人が作物を育てるために用意した畑があったが、数ヶ月の間放置されていたからなのか、
有刺鉄線のフェンスで囲まれた畑の前で立ち止まると、アネモネは風に揺れる雑草の音に耳を澄ました。それからふとフェンスの一部が破られていることに気がついた。
「ベティ、この先に化け物が潜んでいないか確認してくれないか」
彼女はコクリとうなずくと、自分の背丈よりもずっと背の高い雑草の上空にドローンを飛ばして、動体センサーを起動する。
「何体か隠れてるみたいだよ」
フェイスシールドに表示される地形図に、人擬きのモノだと思われるぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。それと同時に、雑草を透かして赤い線で輪郭を縁取られた化け物の姿が拡張現実で表示される。
「迂回したほうがいいな……。ビー、別の移動経路を探してくれ」
すると二人の背後で物音がする。驚いて振り返ると、人擬きが掘っ立て小屋からフラフラと出てくる姿が見えた。身体に目立った外傷は確認できなかったが、暗い
ベティが腰に差していた二本のナイフを抜くのを見ると、アネモネは彼女の前に出た。
「すぐに終わらせる。ベティはそこで大人しくしていてくれ」
アネモネは駆け出すと、義手の前腕を変形させて鋭い刃を出現させる。昆虫に眼球を
まるで首筋を撫でるように、少しの抵抗も感じることなく人擬きの首が切断される。昆虫が
それは半透明の翅を広げて、傷口から次々と飛び出していく。棲み処にしていた人擬きの身体に異変が生じたことで、驚いて飛び出してきたのかもしれない。
頭部を失ってもなお、フラフラと歩き続ける人擬きの身体には数え切れないほどの昆虫が群がる。そこで人擬きは動けなくなり、とうとう地面に倒れてしまう。人擬きが倒れた瞬間、無数の昆虫が飛び上がり、思わず鳥肌が立つような羽音が聞こえた。
それを見ていたアネモネとベティは逃げるようにその場から離れると、拡張現実で表示される矢印を頼りに狭い路地を走った。
偵察ドローンから受信していた映像で、アネモネたちの状況を見ていたケンジは、今まさに攻撃しようとしていた人擬きから距離を取ると、ナイフを鞘に戻した。
どうやら集落にいる人擬きの多くは、あの奇妙な昆虫の棲み処にされているようだ。迂闊に攻撃して、昆虫を刺激するようなことはしないほうがいいだろう。
人擬きが通り過ぎるのを待ってから、すぐ近くの路地に入ろうとして足を止める。そこは肥溜めとして利用されていたのか、深い穴が掘られていて、近づくのも
錆びついた鉄柵で仕切られていたが、それでも人擬きが侵入したのか、汚水から抜け出そうとしている哀れな化け物の姿が見えた。
ワヒーラから受信する情報で別の経路を見つけると、集団で徘徊する人擬きをやり過ごして教団の拠点として利用されていた建物に接近する。ブロック塀で囲まれた貯水タンクでは羽虫が大量発生していて、無数の動物の骨が転がっていた。集落に迷い込んだ野生動物が人擬きに襲われたのかもしれない。
狭苦しい路地の終わりが見えてくると、
建物のすぐ近くに鳥居が立っていたのだ。高さは十二メートルほどあるだろうか、木造だと思われる白い柱は、気の遠くなるような歳月の風化にも耐えていた。
ワヒーラを使って周囲に動体反応がないことを確認すると、くすんだ白い柱が特徴的な鳥居に近づいていく。奇妙なことに鳥居の周囲だけ黒土が剥き出しになっていて、雑草が生えていない状態だった。その鳥居の近くには、まるで小さな塔をつくるように、小石が積みあげられている不思議な光景が広がっていた。
ケンジは膝の高さまで積み上げられた無数の石の塔を見ながら、鳥居の真下まで歩いていく。そこには三角形に配置された石があり、そのちょうど真ん中に薄汚れた古い小箱が置かれていた。
その小箱に手を伸ばそうとしたときだった。
「それに触らないほうがいい」と、女性の落ち着いた声が聞こえた。
振り返ると、集落にいるはずのアネモネがすぐ近くに立っていた。けれど様子がおかしい。彼女はベティと一緒にいなかったし、ガスマスクも外套を身につけていなかった。
「かつて神として崇められていたモノの成れの果てだ」と、彼女は小箱を見つめながら言う。「今は祟り神と呼ばれるようなモノになってしまったが」
「祟り?」
ケンジは顔をしかめて、それから
「どうして姉さんがそれを知っているんだ」
「子どもたちが教えてくれたんだ。ほら、今も声が聞こえるだろ?」
アネモネの視線を追うように廃墟の建物に視線を向けると、赤子の泣き声が聞こえてきた。それは壁に反響して、冷たく不気味な響きを宿していた。
物音が聞こえて振り返ると、アネモネとベティが集落からやってくるのが見えた。嫌な寒気がして鳥居に視線を戻すと、さっきまでアネモネが立っていた場所に、なぜか藁でつくられた不気味な人形が横たわっているのが見えた。驚いて後退ると、無数の昆虫やムカデが藁の中から
ケンジはワヒーラを連れてすぐに鳥居の側を離れると、アネモネたちとの合流を急いだ。全身の鳥肌が立っているのは、不気味な体験をしたからだけではないのだろう。今も廃墟の建物からは、赤子の泣き声が絶えず聞こえていた。
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