第79話 迷彩(ベティ)


 ゴミと瓦礫がれきに埋め尽くされた薄暗くジメジメした狭い路地に入ると、放置車両や廃材で築かれたバリケードが見えてくる。集落から逃げ出した者たちは焦っていたのだろう、入場ゲートは破壊されていて、集落に続く唯一の通路がゲートの残骸で完全に塞がってしまっていた。


 路地の左右に建ち並ぶ廃墟は、高層建築物ほど高さがある建物ではなかったが、それでも上空から差し込む日光を遮るには充分な高さがあり、集落に続く路地には何処か憂鬱な雰囲気が漂っている。


「ここから先は、歩いて行くしかなさそうだな」

 ケンジはそう言うと、人ひとりがやっと通れそうな狭い道に視線を向けた。どうやら瓦礫の隙間に無理やり身体からだをねじ込むようにして進まなければ、集落には入れそうにない。


「生き物の気配がない、なんだか不気味な場所だね」

 周囲の様子を確認していたベティがつぶやく。建物の間に吹き込む風の音が、いつもより大きく聞こえた。


 多脚車両ヴィードルを隠すのに適した廃墟を見つけると、車両を止めて装備の確認を手早く行う。


「人擬きとの戦闘はできるだけ避けるんだよね?」

 ベティはガスマスクを装着しながら質問する。


 ライフルのチャージングハンドルを引いて薬室内を確認していたケンジはうなずく。

「あの集落で生活していた住人の大半が人擬きに変異している可能性がある。だから危険を冒すようなことはできない」


「不死の化け物か……厄介な相手だね」

「それに――」と、装備を整えたアネモネがやってくる。


「危険な虫が潜んでいるかもしれない、やつらは暗くてカビ臭い環境を好むからな」

 彼女もガスマスクを装着していて、フェイスシールドに表示される映像で集落内の様子を確認していた。


「大きな虫もイヤだなぁ」

 ベティは偵察ドローンから受信する映像を表示させると、通りを徘徊していた人擬きの数を数えていく。けれど十二体まで数えたところで止めてしまう。

「あれに見つからないように進むのは、ほぼ不可能じゃない?」


「だからこれを使うんだ」

 ベティはケンジに手渡された外套に視線を落とした。スベスベとした手触りの黒い外套が光を浴びると、正六角形のハチの巣を思わせるハニカム構造の超多層フィルムが光に反応してわずかに色合いを変化させる。


「これって透明になれるコートだよね」

 ベティは外套を身につけながら言う。


「光学技術の応用で姿を隠すことのできる装備だ。べつに透明人間になれるわけじゃない」


「レイラが貸してくれたの?」

「そうだ。姉さんもこいつを身につけてくれ」


 外套を羽織ったアネモネは、義手の隠し刃を使用するときに邪魔にならないように、適当な場所まで袖をまくる。


『アネモネさま、情報端末のシステムに接続したことを確認しました』と、ビーの声がイヤホンを介して三人に聞こえた。『思考に反応して〈環境追従型迷彩〉が起動できるようにテストを行いますか?』


「ああ、頼むよ」

『では、脳波の活動を記録するので起動するためのフレーズと、停止用のフレーズを決めましょう』


「なんでもいいのか?」

『はい。ここで重要になるのは迷彩を起動したいときに生じる脳波のパターンなので、学習が完了すれば思考するだけで起動できるようになります。ですので、どんな言葉でも構いません』


「それじゃ、迷彩起動で」

『承知しました。ではこれから迷彩の起動テストを開始します。通知音のあと、迷彩を起動させることを意識しながら、先ほどのフレーズを口にしてください』


 アネモネが起動のためのフレーズを口にすると、外套は周囲の色相を瞬時にスキャンして、環境に適したカモフラージュパターンを生成して特殊な繊維の表層に表示した。


「お姉さまの身体からだが透明になった!」ベティは興奮気味に言う。

 頭部と義手はそのままだったが、外套で覆われていた部分は周囲の景色に溶けこんでいて、身体を動かさなければ透明になったように錯覚するほどだった。


『ベティも見ていないで、適当なフレーズを決めて迷彩を起動してください』

 ビーの生真面目な声が聞こえると、ベティは頬を膨らませて、それから迷彩を起動させる。外套は三人が所持している情報端末に接続されているので、端末と外套を一緒に身につけていれば、好きなときに迷彩が起動できるようになった。


 迷彩の起動と停止のテストを何度か行ったあと、ビーの声が聞こえた。

『脳波パターンの学習が完了しました。これからはわざわざ口頭で指示を出して迷彩を起動する必要がなくなりました』


「ありがとう、ビー」

 感謝を口にしたあと、アネモネはフェイスシールドに新たに表示された項目を確認する。


「見たことのない項目が増えてるけど、これは?」

『迷彩起動時のエネルギー消費量を確認するためのモノですが、基本的に光と使用者の体温でエネルギーが確保できるので、気にする必要はありません』


「ぶっ飛んだ性能だな、さすが旧文明の遺物だ」ケンジは感心する。

『ですが激しい動きは想定されていないので、敵性生物の近くを通るときには、注意して進まなければいけません』


 ケンジは身体の動きに合わせてリアルタイムに色相を変化させる外套を見ながら言う。


「匂いや体温に反応する生物にも通用しないんだよな」

『そうですね。それに特殊な感覚器官を持つ生物――たとえば、体内で発生する微弱な電気信号を感じ取れる生物にも通用しないので、過信は禁物です』


「了解。それじゃ、そろそろ出発しよう」

「待って、まだ準備ができてない!」

 ベティはヴィードルに残してきた荷物を慌てて取りに戻った。


 準備ができると、三人は周囲の動きに警戒しながら破壊された入場ゲートに接近する。


 ベティは偵察ドローンを思いのままに操作しながら、集落の様子を確認していく。すでにドローンの操作には慣れていたので、別のことを考えながらも、ほぼ無意識にドローンを自在に操ることができていた。拠点にいるときに、ドローンを使ってハクと追いかけっこをして遊んでいたおかげなのかもしれない。


「そう言えば、ハクはどこに行っちゃったの?」

 ベティの質問に答えたのはアネモネだった。


「さっきまで一緒だったけど、やたらとデカいコガネムシを追いかけて何処かに消えた」

「そっか、それなら仕方ないね」

 いずれ合流できるだろうと考えて、ハクのことは放っておくことにした。


 瓦礫がれきと廃材が積み重なる壁をよじ登ると、かつて広場として利用されていた空間が見えるようになった。しかし現在、そこには掘っ立て小屋がひしめくように建ち並び、小屋をつなぐ狭い通りには人擬きに変異した住人が多数徘徊している。


 集落を偵察していたビーから敵拠点までの移動経路を受信すると、アネモネは気合を入れるように言った。


「よし、ここからは迷彩を使って移動する。迷子にならないように、ちゃんとついて来るんだよ」


 ベティはうなずくと、さっそく迷彩を起動させる。

「透明人間モード、起動!」


 するとすぐにビーの溜息が聞こえた。

『起動するときのフレーズは、もう口にする必要がないって説明しましたよね』


「でも変身するときは声に出したほうがカッコよくない?」

『これから身を隠そうとしている人間が、どうして周囲に自分の存在を知らせるようなことをするのですか』


「だって……わかったよ。これからは何も言わない」

 やれやれ、といった感じでベティは集落に向かって飛び降りた。


 ケンジはフードを被ると迷彩を起動して、それからベティに視線を向ける。彼女は幽霊のような朧気おぼろげな姿になっていたが、青色の線で輪郭が縁取られていたので、その姿を見失うことはなかった。


「行こう、ケンジ」

 アネモネの言葉にうなずくと、人擬きが跋扈ばっこする不気味な集落に向かって飛び降りた。

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