第76話 観察(ビー)


 夢中になって話をしていた〈ビー〉は、カラスがづくろいを始めるとアネモネとの約束があることを思いだした。これから休むと言っていたカラスに別れの挨拶をしたあと、約束の時間まで拠点の巡回警備をすることに決めた。


 光を反射しない濡羽ぬれば色の装甲を持つひし形のユニットは、機体の周囲に重力場を発生させながら、空を自由自在に飛行する。装甲を覆う特殊な超多層フィルムは、太陽光や熱によって得られるエネルギーを効率的に機体に取り込んでいるため、一部の例外を除いて、あらゆる空間での使用が可能になっていた。


 その貴重な遺物は、試験的に運用が始まった複数の偵察ユニットから拠点周辺の情報をリアルタイムに受信する。機体に搭載されていた各種センサーによって、廃墟に潜む変異体や人擬きの動体反応、熱反応が視覚的に確認できるようになると、それらの情報を、車両型偵察ドローン〈ワヒーラ〉が作成していた詳細な地図に重ね合わせた。


 すると付近一帯の構造物や廃墟が立体的に再現されていた地図に、敵性生物の姿が表示されるようになる。ぼんやりとした輪郭を持つガスのようなモノだったが、わずかな形の違いや大きさで、それが危険な人擬きなのか、それとも昆虫の変異体なのかを判別することができるようになる。


 ビーはこれまでに収集していた戦闘データや、廃墟の街を探索したさいに得ていた情報を参考にしながら、廃墟に潜む生物を識別し、脅威度を設定しながらタグ付けしていく。それらの情報は〈戦術ネットワーク〉を介して、拠点にいる仲間と瞬時に共有される。


 戦闘訓練の一環として、拠点周辺の変異体掃討作戦を実施していたミスズは、常に更新されていく情報をもとに訓練を行う適切な場所を判断する。


 本来、情報解析は時間をかけて行われる作業だったが、拠点の地下施設にあるメインコンピュータの情報処理能力とネットワークを介してカグヤから得られる支援のおかげで、作業は瞬く間に完了してしまう。


 それは組織として未熟な段階だったレイラたちにとって、廃墟の街で行われる過酷な生存競争を生き抜くための大きなアドバンテージになっていた。


 拠点は〈深淵の娘〉であるハクの巣や、旧文明の防壁によって守られていたが、廃墟の街には旧文明の驚異的な技術によって製造された危険な兵器や〈遺物〉を多数所有する組織が存在していた。そしてそういった組織に対する確固たる抑止力を持たないレイラたちにとって、拠点の防衛能力強化は歓迎すべきことだった。


 ちなみに、拠点警備の一翼いちよくになうことになった偵察ユニットは、データベースによる最高レベルのセキュリティで保護されていたので、敵対勢力からハッキングされる心配はないだろう。


 また優れた人工知能を搭載していたが、ある種の制限が課せられたモノで、意図的に感情、そして自己意識と呼べるモノが宿らないように設定されていた。


 人間が持つ感情や意識の定義について、あえて語ることはしないが――ある考えに固執した原理主義の勢力が、心を持つのは神が創造した〝人類〟だけであるとかたくなに信じていた。


 人間よりも優れた人工知能は邪悪な存在であり、それを研究すること自体が悪魔主義サタニズム的であり、悪魔を崇拝する異常者の集団だと決めつけて以来、旧文明期においても様々な議論がされ、多数の死傷者が出る事件も起きていた。


 しかし旧文明期に一部の〈ショゴス〉が軍に反乱し引き起こした〈ショゴスの厄災やくさい〉と呼ばれる大事件に比べれば、それは些細な問題だったのかもしれない。


 いずれにせよ、思考し成長し続ける〈人工人格〉とも呼ばれる新たな種が、果たして人類と共通の価値観や感情を手に入れようと考えるのだろうか。


 彼ら、あるいはソレらの人工人格から見れば、肉体というかせに縛られた人間の感情や思考には限りがあり、広がりのない窮屈で退屈なモノだった。それはある意味、数世代前のソフトウェアとも呼べる代物しろものだ。


 もちろん、人類は時間や空間に囚われることのない生命が感じる世界を想像することはできるだろう。しかしそれが具体的にどのようなモノなのかを認識することはできない。肉体というものに縛られない人間がいれば話は変わるが、果たしてそれは人類と呼べるのだろうか。


 終わりのない堂々巡りの思考におちいりそうになっていたビーは考えを中断すると、日課にしていた拠点周辺の索敵を終わらせて現在時刻を確認した。それからアネモネに会いに行くことにした。


 アネモネの現在位置を確認すると、ヤトの戦士たちと一緒に射撃訓練場にいるようだった。ヤトの一族が〈混沌の領域〉と呼ばれる異界で生活していたときには、剣や槍、それに弓といった武器を使用していたようだが、廃墟の街で生き抜くためには銃火器による戦闘にも慣れてもらう必要があった。


 しかし日常的に行われる射撃訓練で発生する騒音は、廃墟の街を徘徊する人擬きや変異体の注意を引くことになる。


 そこでレイラはハクの糸が張り巡らされている区画に射撃訓練場を設けることにした。瓦礫がれきが散乱する広場に土嚢どのうを積み上げた簡易的なモノだったが、それがかえって廃墟での戦闘を想定した訓練に役立つことになった。


 入場ゲートに到着すると、防壁内に収納されていた端末の前まで飛んで行く。そこで装甲の一部を変形させながら、機体中央に収納されていたレンズを露出させる。


 赤紫の薄いコーティングがほどこされたレンズが機体の奥からあらわれて、カチリと音を立てて装甲の表面に隙間なくピタリと合わさると、レンズから扇状に広がるレーザーが照射される。


 防壁の機能に問題がないことが確認できると、シールドの膜を通り抜けて、ハクの糸が張り巡らされた区画に向かってフワフワと飛んで行く。日の光が白銀色の糸に反射してキラキラと輝く。話し声や射撃音で騒がしくなってくると、射撃訓練所が見えてくる。


 訓練場ではケンジの姿も見ることができた。普段は拠点の地下にこもって〈パワードスーツ〉の整備をしていたが、今日は訓練に参加しているようだった。


 ヤトの戦士に射撃のコツを教えているのか、ケンジは狙撃銃を構えながらなにかを説明していた。ヤトの若者たちは熱心に話を聞いている。戦闘種族ということもあって、戦闘に関連する話の興味は尽きないのだろう。


 ビーは視界を拡大してヤトの若者を観察する。異界からやってきた〈ヤトの一族〉と呼ばれる種族は、人間に似た姿をしているが、正確には人間ではない。しかし人間のように性的区別が外見にハッキリと出ていて、一見すれば人間の若者と変わらない姿をしている。


 男性はがっちりとした体格で、二メートルほどの身長があった。女性たちも平均で百八十センチほどの身長があって、すらりとしたスタイルを持っていた。そして男女関係なく、全員が驚くほど整った顔立ちをしていた。


 暗いねずみ色に近い鈍色にびいろの長髪を持ち、まるでヴァイキングの伝統的なヘアスタイルのように、男性も女性も頭部の側面と背面を剃り上げて、頭頂部に残した長髪を複雑に編み込んだりしていた。


 身体的特徴の違いは爬虫類の目のような瞳にもあらわれている。男性は緋色の瞳を持ち、女性は撫子色の鮮やかな瞳をもっていた。


 真面目に訓練している戦士たちは、身体しんたい機能を向上させ動きを補助するスキンシーツに、デジタル迷彩の戦闘服を重ね着するという格好だった。しかしチェストリグやボディアーマーを装備せず、廃墟の街で狩ってきたシカの毛皮を身につけている若者もいて、どこか野性的な凄みが感じられた。


 アネモネの姿が見えると、ビーは観察を中断して、彼女のもとに飛んで行った。

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