第75話 家畜(蜘蛛)


 姉妹が母の夢についてたずねたとき、わたしは家畜についてあれこれと考えていた。そう、あれこれと考えていたのだ。どうしてあれこれ考えてしまうのか、小さな姉妹は不思議そうな顔をして質問するが、充分な睡眠と――見た目は悪いが、栄養に富んだ食事、それに適度な運動と毎日の水浴びは重要なことなのだ。


 家畜かちくの気持ちに向き合って考えてあげないと……うん? あぁ、そうだったね。生殖欲求について忘れていたよ。これはとても大事なことだ。家畜を満足させてあげないと、美味おいしい肉は手に入らない。畜産は大変だけど、奥が深い仕事でもあるんだ。


 〈すばらしい戦争中毒、占領計画の失敗について〉を鑑賞していた姉妹は『ふむふむ』とうなずいた。『それは大変だね。でも、わたしは家畜の鳴き声を聞くのがきらい。だって、全然クールじゃないでしょ?』


 納屋の大扉を開くと、毛皮を持たない家畜が一斉いっせいに視線を向けてきた。家畜の半分は納屋の隅に立っていたが、残りの半分は昨日捕まえてきたばかりの家畜を襲って乱暴なことをしていた。襲われた家畜は地面に横たわっていて、精液やら泥で汚れ、すぐに水浴びが必要な状態だった。


 わたしの存在に気がつくと、家畜はピタリと動きを止めて、こちらをじっと見つめる。何頭かはカチカチと歯を鳴らして、みすぼらしくて痩せ細った身体からだを震わせる。そんな能力がないことは分かっていたけれど、まるで集団で思考しているかのように、すべての家畜が同じような反応を示していて不気味だった。


 わたしがあれこれと考えていると、〈すばらしい戦争中毒、占領計画の失敗について〉を鑑賞していた姉妹は大きな欠伸あくびをして、それから得意げに言った。

『さて、魔女は今日も火あぶりにされてしまったけれど、美味しい肉は和牛っていうんだってね』


 まるで運動機能が損なわれた哲学者だ。と、わたしはあらためて姉妹のことを評価した。実に詩的で天才的だ。わたしも火あぶりの魔女について考えていたけれど、彼女は和牛のランクについて考えていたのだ。きっと宇宙からやってきた革命の同志も、姉妹の言葉に嫉妬しっとして途方に暮れてしまうだろう。


 宇宙からやってきたセンチメンタルな巨人の肩に飛び乗ると、彼をはげますように肩を叩いてあげた。


 神々の使徒がどこに隕石を落とせばいいのか思い悩んでいた時期に、ロトの妻に綿菓子わたがしの魅力について教えてあげたときのことを思いだした。それはとても優しい励まし方だった。トントントン、もう起きる時間だよ。トントントン、トントントン。



 浅い眠りから目覚めると、ぼんやりとした意識で姉妹たちの様子を確認する。その瞬間、膨大な数の感情が流れ込んでくる。驚いて身体からだを起こすと、すくいあげる感情や意識の範囲をせばめる。


 すると高層建築物内にいる姉妹たちの意識だけが届くようになる。ひまを持て余して悪態あくたいをつく姉妹もいれば、退屈しのぎに人擬きを襲っている姉妹もいて、彼女たちの猥雑わいざつとした感情が鮮明せんめいに伝わってくる。


 姉妹たちに侵入者について教えようとして、ふと思いとどまる。この建物だけでも数百体の姉妹がいて、彼女たちの多くは暇を持て余している。侵入者たちのことを教えてしまったら、楽しみを横取りされてしまう可能性がある。それならいっそのこと、自分だけで楽しむのはどうだろうか。


 無数の小さな蜘蛛にじっと見つめられながら、彼女はあれこれと考えをめぐらせたあと、姉妹たちを誘わないことに決めた。狩りをする機会はすぐにやってくる。それに、今回の狩りは少し趣向を変えてみようと考えていた。


 獲物を執拗に追いかけて、命乞いや悲鳴を聞きながら手足を切断するのもいいが、それでは味気ない。


 彼女はカチカチと牙を鳴らすと、特殊な作用がある体液を吐き出した。その赤黒い体液が床に広がると、瓦礫がれきの隙間やゴミの間から無数の蜘蛛がいだしてきて、むさぼるように体液を体内に取り込んでいくのが見えた。


 しばらくすると、真っ赤に発光した無数の眼に見つめられることになった。彼女は満足すると、触肢しょくしを伸ばして地面をトンっと叩く。それが合図になったのか、百匹を優に超える蜘蛛の群れが一斉に動き出す。


 彼女は満足そうに息を吐き出すと、小さな蜘蛛の意識を介して侵入者たちに忍び寄る様子を観察することにした


 血液と臓物に濡れた薄暗い廊下を歩いていた傭兵は、手足を切り落とされた状態で壁にはりつけにされていた人擬きを見つけた。


 その瞬間、彼は任務に参加したことを後悔した。照明装置によって暗闇に浮かび上がるグロテスクな化け物を捕えていたのは、大蜘蛛の糸だった。どうやら部隊は、廃墟の街で最も恐れられた変異体の巣に侵入してしまったようだ。


 すぐに仲間たちに知らせなければいけない。そう思って傭兵が振り返ると、グシャリと嫌な感覚がして足元で何かが潰れる。照明装置を向けると、手のひらほどの大きさの蜘蛛を踏み潰していた。


 傭兵は舌打ちすると、近くに転がっていた瓦礫でブーツに付着した肉片をこすり落とそうとする。けれどその瓦礫がれきには別の蜘蛛がのっていた。脚の長い朽葉くちば色の蜘蛛は、無数の眼を真っ赤に発光させながら、侵入者のことをじっと見つめる。


 傭兵が怖気おじけづいて後退あとずさると、真っ赤に発光する眼が――数え切れないほどの小さな眼が、照明の光が届かない暗闇に次々と浮かび上がるのが見えた。それは壁や床だけではなく、天井にも張り付いていた。


 蜘蛛の大群に囲まれていた。傭兵がそれに気がついたときには、もうどうすることもできなくなっていた。次の瞬間、無数の蜘蛛が飛び掛かってくるのが見えた。


 レーザーライフルから発射された閃光が薄暗い廊下を真っ赤に染める。その淡い光は上階につながる非常階段を探していた別の傭兵の目に届いた。


 彼はすぐに本隊と連絡を取ると、先行していた仲間を掩護えんごするため、暗い通路を全速力で駆けた。変異体と交戦しているであろう仲間のことを心配するあまり、バックパックに張り付いていた蜘蛛の存在を見落としてしまう。


 小さな蜘蛛は長い脚をそろりと動かして気づかれないように移動すると、傭兵の首にみついて特殊な神経毒を一気に流し込んだ。汚染物質に備えて着こんでいた化学防護服を過信していた傭兵は、熱したアイスピックで刺されたようなするどい痛みに耐えきれず、その場に倒れ込んでしまう。


 走っていたからなのか、息があがっていてひどく苦しかった。倒れたときに肩から外れた照明装置を探そうとして視線を動かすと、無数の蜘蛛に囲まれていることに気がついた。傭兵は驚いてすぐに立ち上がろうとするが、身体からだの力が抜けて倒れてしまう。


 なにが起きたのか理解することができず、混乱した頭で目を動かすと、肩に真っ赤な眼をした蜘蛛が乗っていることに気がついた。思わず悲鳴がれる。けれど身体は動かせないままだった。


 それどころか、いまでは意識すら曖昧あいまいになっていることに気がついた。ここで大量の蜘蛛にい殺されるのだろうか。そこまで考えたとき、傭兵の意識は消滅した。


 先行していた仲間から連絡を受けていた部隊が通路に到着すると、命令を無視して先走っていた仲間が暗闇のなか、ひとりで立っているのが見えた。床に転がる照明装置によって暗闇に浮かび上がる仲間の異変に気がつくと、先頭に立っていた傭兵はレーザーライフルを構えた。


 フラフラと身体を揺らすように立ち尽くしていた仲間の背中に、長い脚を持つ蜘蛛の影が見えたのだ。ガスマスクの側面にあるスイッチを操作して視界を拡大すると、仲間の首に咬みついている蜘蛛の姿がハッキリと見えた。


 神経毒におかされて、おかしくなっているのかもしれない。さっさと蜘蛛を殺して仲間を助けよう。そう思って蜘蛛に照準を合わせると、それまで病人のように立ち尽くしていた仲間が、ぎこちない動きでライフルを構えるのが見えた。けれど、そのすぐあとなにが起きたのか、彼は知ることができなかった。


 蜘蛛の毒によって操られていた傭兵は、部隊に向かって容赦のない攻撃を開始した。真っ赤な眼を持つ蜘蛛の大群は、侵入者たちが殺し合う姿を最後まで見届けると、戦闘を生き延びたあわれな傭兵に襲いかかった。


 小さな蜘蛛の視界を介して状況を見守っていた彼女は満足すると、建物の外にいる侵入者を捕まえにいくことにした。あれはいい家畜になるだろう。姉妹たちも抜け駆けしたことを許してくれるだろう。


 そう言えば、と彼女は混沌とした夢の断片を思いだしながら思わず笑ってしまう。

 夢のなかでも家畜について考えていたと思うと、おかしくてたまらなくなってしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る