第72話 視線(ペパーミント)
ペパーミントに案内された作業場は、〈
部屋の中央には、素通しガラスに覆われた四角い巨大な
透明な檻のなかで、まるで樹木のように
輸送コンテナに収監していたときにも同様の現象が確認できた。おそらく自分自身の肉体を使って、安全に〝複製〟を産み出すために周囲の環境を変化させているのだろう。
もっとも、皮膚を持たず皮下脂肪や筋繊維が剥き出しの赤子のような化け物が〈苗床〉の複製なのかも疑問だった。意思を持たない
レイラがちらりと視線を動かすと、その赤子のような化け物が入った檻が部屋の隅にあることが確認できた。素通しの強化ガラスは銃弾も無効化するモノだったので、ただ
シールドの薄い膜に覆われていた檻に向かって歩いていくと、〈苗床〉はレイラの動きに反応して、肉の触手をムチのように振りガラスに勢いよく叩きつけた。敵拠点で〈苗床〉に接近したときには見られなかった反応だったので、警戒していなかったレイラは驚いて思わず
それを〈巣〉と呼んでもいいのか分からなかったが、〈苗床〉が周囲の環境を変化させている間は、攻撃される危険性があることが分かった。
脂肪の間に
するとガラスの表面に変化が生じて、ドローンはガラスを通り抜けるようにして檻のなかに入る。レイラがガラスだと思っていたモノは、旧文明の何か――彼には想像もできないような
レイラは新しいオモチャを見つけた子どものように、好奇心を含んだ笑みを浮かべると、檻のそばを離れてペパーミントのもとに向かう。
作業机のすぐ近くにある装置からは、数本の太いケーブルが伸びていてガラスの檻に接続されていた。あの見慣れない装置は、シールド生成に関係するモノなのかもしれない、とレイラは考えた。あるいは測定器の
好奇心に目を輝かせているレイラの横顔を見て、ペパーミントは嬉しそうな笑みを浮かべるが、それを恥じらうように下唇を噛む。そしていつものように澄ました表情で彼を見つめる。彼女の視線に気がつくと、レイラもやわらかい笑みを浮かべて、彼女の青い瞳を見つめる。
ペパーミントは目を
「あなたが怪我をしていなくて良かった」
「怪我?」レイラは
「旧式の小火器で武装した略奪者は、もう相手にならない?」
「そんな感じだ」
「……そう」
ディスプレイを見つめるペパーミントの横顔を眺めていたレイラは、彼女の綺麗な
「ペパーミントは?」
今度は彼女が怪訝な表情をみせることになった。
「私がどうしたの?」
「工場での暮らしについて
しばらく間があって、それから彼女は言った。
「どうしてそんなことを訊くの?」
「俺はまだペパーミントのことを
「冗談はキライよ」
「冗談なんか言わないさ、俺は本気だよ」
ペパーミントは端末から視線を外すと、青く澄んだ眸でレイラを見つめる。
「どうして私のことを気にかけてくれるの?」
「たぶん、君のことが好きなんだと思う」
「好き?」彼女はひどく驚きながら聞き返した。
「ああ。大切だって思っている人間が寂しさや孤独を感じていたら、その状況を変えるために、自分にできることがないのか考えてしまうんだ」
「もしかして私のことを
「口説く?」レイラは困ったように眉を寄せる。「どうしてそんな話になるんだ?」
ペパーミントは彼のことをじっと見つめたあと、大きな溜息をついた。
「そうね」
急に
「ごめん、なにか気に
「言ってない、だから気にしないで」
「そっか……」レイラは
彼女はもう一度だけワザと大きな溜息をつくと、端末を操作して人擬きの情報をディスプレイに表示する。〈苗床〉は現在、檻のなかに侵入したドローンによってスキャンされていた。レイラが接近したときに見せたような反応はなく、檻の中央に佇んだまま触手を四方に伸ばして空間を侵食していた。
「私も人擬きについては詳しくは知らない。だから確かなことは言えないけど……」
彼女はそう言うと、檻のなかにいる化け物に視線を向ける。
「ペパーミントはどんなことが起きていると考えているんだ?」
「そうね……。これは極端な例だけど、レイは巨人症って言葉を聞いたことがある?」
知らなかったので、〈データベース〉を使ってすぐに情報を取得する。
「脳の
「ええ。下垂体の作用を受けて骨が
レイラはうなずいてから彼女の質問に答えた。
「旧文明の人類が服用していた〈
「そう。だから人擬きの体内で起きている異常を正すことができれば、不死の化け物を殺すことができるようになるかもしれない」
レイラが真剣な面持ちで檻に視線を向けると、ペパーミントは彼の表情を盗み見るように、そっと横顔を見つめた。それは
「えっと」レイラは険しい表情で言う。
「成長ホルモンの分泌を減少させることが巨人症の治療につながるように、人擬きの細胞を絶えず修復して増殖させているモノを
レイラに見つめられると、彼女はすぐに視線を逸らした。
「ええ。それがどういうモノなのかは分からないけれど、この〈苗床〉を研究することで、その答えが得られるかもしれない」
「そうか……」
レイラは腕を組むと、檻のなかの化け物を見つめる。それから思い出したように言った。
「それでさっきの話だけど、俺たちと一緒に――」
するとペパーミントは彼の言葉を
「ねえ、そこにカグヤはいる?」
「いや、今はミスズたちの支援をしていて
「ううん、それよりレイに
レイラは肩をすくめてみせると、彼女の言葉を待った。
「レイは自分のことを話したがらないけれど、
「理由……」レイラは天井に視線を向ける。「考えたこともないよ。昔の記憶がないから、人に話すようなことがないだけなのかもしれない」
「他人と話をするのは
「嫌いじゃないよ」
「なら、人とのつながりができることが怖い?」
「まさか」彼はひきつった笑みを見せた。
レイラの胸に手を置くと、ペパーミントは困ったような表情を見せながら言った。
「ある人のことが気になっているの……理由は分からないけど、その人に夢中で、ずっとその人のことばかり考えてしまうの。……レイにもそういう特別な人っている?」
「俺は――」
彼の表情が
「ごめん、やっぱり知りたくないかも。今の質問はなかったことにして」
彼女の言葉にレイラが困惑していると、作業場の隔壁が開いてハクとベティの笑い声が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます