第72話 視線(ペパーミント)


 ペパーミントに案内された作業場は、〈苗床なえどこ〉を研究するためだけに用意された場所だったのか、冷凍庫のような装置と作業机がポツンと置かれているだけで閑散としていた。


 部屋の中央には、素通しガラスに覆われた四角い巨大なおりがあり、そのなかに腐乱死体のようなグロテスクな姿をした〈苗床〉が収監しゅうかんされているのが見えた。


 透明な檻のなかで、まるで樹木のようにたたずむ不死の化け物は、粘液質の体液に覆われた身体からだから植物の根のようにも見える肉の触手を放射状に伸ばしている。無数の触手からは黄土色の体液が染み出し、粘菌の変形体のように、異常な速度で分裂を繰り返して巨大化しながら檻を侵食していた。


 輸送コンテナに収監していたときにも同様の現象が確認できた。おそらく自分自身の肉体を使って、安全に〝複製〟を産み出すために周囲の環境を変化させているのだろう。


 もっとも、皮膚を持たず皮下脂肪や筋繊維が剥き出しの赤子のような化け物が〈苗床〉の複製なのかも疑問だった。意思を持たない腫瘍しゅようのようなモノが、肉体から剥がれ落ちているだけなのかもしれない。それがどうして人間の胎児に似た姿をしているのかは謎だったが、それは研究が進めば分かることだ。


 レイラがちらりと視線を動かすと、その赤子のような化け物が入った檻が部屋の隅にあることが確認できた。素通しの強化ガラスは銃弾も無効化するモノだったので、ただいずりまわることしかできない化け物が、ガラスを割って逃げ出す心配はないだろう。もちろん、〈苗床〉が収監されている檻を破壊することも困難だ。


 シールドの薄い膜に覆われていた檻に向かって歩いていくと、〈苗床〉はレイラの動きに反応して、肉の触手をムチのように振りガラスに勢いよく叩きつけた。敵拠点で〈苗床〉に接近したときには見られなかった反応だったので、警戒していなかったレイラは驚いて思わず後退あとずさる。


 それを〈巣〉と呼んでもいいのか分からなかったが、〈苗床〉が周囲の環境を変化させている間は、攻撃される危険性があることが分かった。


 脂肪の間に臓器ぞうきのようなモノがギッシリ詰まった触手が、ガラスの表面をすべるようにしてズルリと動くと、気色悪い体液がガラスに残り糸を引く。と、見慣れない円盤型のドローンが飛んでくるのが見えた。手のひらほどの機体はビープ音を鳴らしてレイラに挨拶すると、ゆっくり檻に近づいていく。


 するとガラスの表面に変化が生じて、ドローンはガラスを通り抜けるようにして檻のなかに入る。レイラがガラスだと思っていたモノは、旧文明の何か――彼には想像もできないような物質ぶっしつだったようだ。


 レイラは新しいオモチャを見つけた子どものように、好奇心を含んだ笑みを浮かべると、檻のそばを離れてペパーミントのもとに向かう。


 作業机のすぐ近くにある装置からは、数本の太いケーブルが伸びていてガラスの檻に接続されていた。あの見慣れない装置は、シールド生成に関係するモノなのかもしれない、とレイラは考えた。あるいは測定器のたぐい、いずれにしろ彼の知らない装置だった。


 好奇心に目を輝かせているレイラの横顔を見て、ペパーミントは嬉しそうな笑みを浮かべるが、それを恥じらうように下唇を噛む。そしていつものように澄ました表情で彼を見つめる。彼女の視線に気がつくと、レイラもやわらかい笑みを浮かべて、彼女の青い瞳を見つめる。


 ペパーミントは目をらすようにコンソールディスプレイに視線を落とすと、なんでもないことのように言った。


「あなたが怪我をしていなくて良かった」

「怪我?」レイラは怪訝けげんな表情をみせるが、すぐに略奪者たちとの戦闘について話していることに気がついて笑顔になる。「ああ、大丈夫だよ。おかげさまで奇襲は成功した。それに、混沌の領域から戻ってきてから身体からだの調子がいいんだ」


「旧式の小火器で武装した略奪者は、もう相手にならない?」

「そんな感じだ」

「……そう」


 ディスプレイを見つめるペパーミントの横顔を眺めていたレイラは、彼女の綺麗なあごのラインに見とれながらたずねた。


「ペパーミントは?」

 今度は彼女が怪訝な表情をみせることになった。

「私がどうしたの?」


「工場での暮らしについてきたかったんだ。以前、俺に話してくれただろ。この場所にいると、時々ときどき孤独を感じることがあるって」


 しばらく間があって、それから彼女は言った。

「どうしてそんなことを訊くの?」


「俺はまだペパーミントのことをあきらめていないんだ」レイラは悪戯いたずらっぽい子どものような笑みをみせる。「この工場から君を連れ出すことばかり考えている」


「冗談はキライよ」

「冗談なんか言わないさ、俺は本気だよ」


 ペパーミントは端末から視線を外すと、青く澄んだ眸でレイラを見つめる。

「どうして私のことを気にかけてくれるの?」


「たぶん、君のことが好きなんだと思う」

「好き?」彼女はひどく驚きながら聞き返した。


「ああ。大切だって思っている人間が寂しさや孤独を感じていたら、その状況を変えるために、自分にできることがないのか考えてしまうんだ」


「もしかして私のことを口説くどいてるの?」

「口説く?」レイラは困ったように眉を寄せる。「どうしてそんな話になるんだ?」

 ペパーミントは彼のことをじっと見つめたあと、大きな溜息をついた。

「そうね」


 急に不機嫌ふきげんな表情をみせるペパーミントに困惑しながらレイラはたずねた。


「ごめん、なにか気にさわるようなことを言った?」

「言ってない、だから気にしないで」


「そっか……」レイラはしぼんだ風船のようにちぢこまると、話題を探すように視線を泳がせる。「えっと……この化け物についてなにか分かりそうか?」


 彼女はもう一度だけワザと大きな溜息をつくと、端末を操作して人擬きの情報をディスプレイに表示する。〈苗床〉は現在、檻のなかに侵入したドローンによってスキャンされていた。レイラが接近したときに見せたような反応はなく、檻の中央に佇んだまま触手を四方に伸ばして空間を侵食していた。


「私も人擬きについては詳しくは知らない。だから確かなことは言えないけど……」

 彼女はそう言うと、檻のなかにいる化け物に視線を向ける。


「ペパーミントはどんなことが起きていると考えているんだ?」

「そうね……。これは極端な例だけど、レイは巨人症って言葉を聞いたことがある?」


 知らなかったので、〈データベース〉を使ってすぐに情報を取得する。

「脳の下垂体かすいたい腫瘍しゅようができることで、成長ホルモンが過激に分泌されて身体からだが異常なほど大きくなる病気のことか?」


「ええ。下垂体の作用を受けて骨が伸長しんちょうするように、人擬きの体内にも、絶えず細胞の修復をうながすモノが存在している。その影響で人擬きは不老不死のような存在になっている。そのことは知っているでしょ?」

 レイラはうなずいてから彼女の質問に答えた。


「旧文明の人類が服用していた〈仙丹せんたん〉と呼ばれるクスリの所為せいで、未知の変異ウィルスが誕生して、人々を自我のない化け物に変えていった」


「そう。だから人擬きの体内で起きている異常を正すことができれば、不死の化け物を殺すことができるようになるかもしれない」


 レイラが真剣な面持ちで檻に視線を向けると、ペパーミントは彼の表情を盗み見るように、そっと横顔を見つめた。それはいとおしむような感情が含まれた優しい眼差しだった。


「えっと」レイラは険しい表情で言う。

「成長ホルモンの分泌を減少させることが巨人症の治療につながるように、人擬きの細胞を絶えず修復して増殖させているモノをなんらかの方法で断つことができれば、連中を殺せるようになるんだな」


 レイラに見つめられると、彼女はすぐに視線を逸らした。

「ええ。それがどういうモノなのかは分からないけれど、この〈苗床〉を研究することで、その答えが得られるかもしれない」

「そうか……」


 レイラは腕を組むと、檻のなかの化け物を見つめる。それから思い出したように言った。

「それでさっきの話だけど、俺たちと一緒に――」


 するとペパーミントは彼の言葉をさえぎって質問した。

「ねえ、そこにカグヤはいる?」


「いや、今はミスズたちの支援をしていていそがしいみたいだ。彼女に用事があるのか?」

「ううん、それよりレイにきたかったことがあるんだけど」

 レイラは肩をすくめてみせると、彼女の言葉を待った。


「レイは自分のことを話したがらないけれど、なにか理由があるの?」

「理由……」レイラは天井に視線を向ける。「考えたこともないよ。昔の記憶がないから、人に話すようなことがないだけなのかもしれない」


「他人と話をするのはきらい?」

「嫌いじゃないよ」


「なら、人とのつながりができることが怖い?」

「まさか」彼はひきつった笑みを見せた。


 レイラの胸に手を置くと、ペパーミントは困ったような表情を見せながら言った。

「ある人のことが気になっているの……理由は分からないけど、その人に夢中で、ずっとその人のことばかり考えてしまうの。……レイにもそういう特別な人っている?」


「俺は――」

 彼の表情がくもるのを見て、ペパーミントは急にいたたまれない気持ちになった。そして寂しさを感じながら情けない気分になった。


「ごめん、やっぱり知りたくないかも。今の質問はなかったことにして」

 彼女の言葉にレイラが困惑していると、作業場の隔壁が開いてハクとベティの笑い声が聞こえてきた。

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