第71話 宇宙人(警備責任者)


 スマートグラスを装着して歩いていると、拡張現実で表示される標識や警告表示が通路のあちこちでまたたいているのが見えた。お気に入りの歌を口ずさみながらトコトコ歩く白蜘蛛に対しても、無数の警告が表示されていたが、当然ハクには見えていなかった。


 すると今度はホログラムで無数の警告が投影される。白蜘蛛は目の前に浮かび上がる警告を興味深そうに見つめるが、すぐに興味をなくしてしまう。おそらく文字が理解できないからなのだろう。


 旧文明期以前の映像作品を見て育ったベティは、兵器工場の通路を歩きながら、まるで大昔の映画に登場するような未来の施設を歩いている気分になった。無機質な壁は綺麗に磨かれ、床にはゴミひとつ落ちていない。


 行き先を案内してくれるホログラムが注意を引く派手な色でまたたいたかと思えば、廃墟の街では絶対に見られない綺麗な状態の機械人形や超小型ドローンが廊下を自由に行き来している。


「あとは宇宙人がいれば完璧だね」と、ベティはつぶやく。

 人類が架空の異星種族と戦争する娯楽映画が好きだった。荒唐無稽こうとうむけいに思えるような物語もあったけれど、頭を空っぽにして見ることのできる作品は日常の嫌なことを忘れさせてくれた。


 ちなみにゾンビを題材だいざいにした映画は人気にんきがないし、ベティもあまりこのみじゃなかった。不死の化け物は人擬きだけで充分だと思っていた。


 データベースのライブラリーは、〈旧文明期以前〉の文学作品や映像作品であふれている。情報端末と電子貨幣さえあれば、どんなジャンルの映像も見ることができた。もちろん、端末を入手しなければいけなかったし、生体認証によるアカウントの作成は必要だった。でもそれは大きな障害にならない。


 どのような〈携帯情報端末〉であれ――たとえ胡散うさん臭い露店で買える最安値の端末でも、データベースに接続することはできたし、その日の昼食さえあきらめれば、どのような境遇きょうぐうで生きている人間でも作品を楽しめた。


 野蛮な略奪者たちのように文字が読めなくても、簡易的なAIインターフェースがサポートしてくれるので、端末の所有者が求めているモノは常に提供される。


 けれど識字率が低いということもあり、文学作品を好む人間はそれほど多くない。手軽に楽しめる映像作品に慣れ親しんでしまうことにも原因があるのかもしれない。


 幼いころに情報端末を手に入れられる環境にいる人間は、端末の画面を通して見ることのできる未知の世界に魅了され、集中力を必要とする読書を面倒だと感じるようになる。


 もちろんそれだけが原因ではないのだろう。この世界では教育を受けられる人間は少ない。権力を持つ一部の人間が……たとえば、鳥籠の支配層などが知識を独占してしまうことも問題なのかもしれない。知識は力であり、人々を支配するために必要不可欠なモノとして扱われていた。


 それは極端な例でもある。人々が文字や計算方法を学ぶ機会はいくらでもある。だから誰もが読書に否定的というわけではない。


 個人差はあるが、旧文明期以前の世界に夢中になり、遺物を収集するコレクターになる人間もいれば、過去の文学作品を通じて世界を変えるためのなにかしらのヒントを得て、慈善団体で働くキッカケを手に入れる人間もいる。


 組合に所属するため適切な教材を手に入れて勉学に励む人間がいる一方、危険な思想のとりこになって妄想にとらわれるあまり犯罪者になる人間もいる。


 しかし多くの人間は廃墟の街で過酷な生活を強いられているため、情報端末を入手できたとしても、日々の労働に追われて勉強する余裕なんてなかった。だから自然と映像作品ばかり楽しむようになる。そうして鳥籠で生活する人間と、廃墟の街で暮らす人々の間にみぞが広がっていく。その格差は人々の心をむしばむ。


 廃墟の街で略奪者として生活することを余儀なくされている人間が、鳥籠で暮らす人々に抱く怒りや憎しみは、このような情勢ではぐくまれていくのかもしれない。いずれにせよ、人類は多くの問題を抱え、人擬きや変異体からの脅威に直面しているにもかかわらず、今も飽きることなく殺し合いを続けている。


 ベティたちは十字路までやってくると、拡張現実の矢印に導かれるまま作業場に続く通路に入っていく。すると廊下の先から奇妙なモノが歩いてくるのが見えた。旧式の機械人形なのだろうか、とベティは首をかしげた。


 けれどよく見ると、それは映画で目にしたことのある大昔の宇宙服を着た人造人間らしき人物であることに気がついた。それも洗練されたデザインの宇宙服ではなく、いかにも宇宙服といった仰々ぎょうぎょうしくて古臭いデザインの宇宙服だった。


 その宇宙飛行士は、見知った人間と挨拶をするときのように、ハクに向かって片手をあげて馴れ馴れしく声をかけた。そしてベティの前で立ち止まると、彼女の顔に大きなヘルメットを近づける。純金のコーティングが施されたバイザーには、眉を寄せるベティの顔が映り込んでいた。


『いやはや、これは実に驚くべき生物だ!』と、宇宙服に備え付けられたスピーカーから男性の興奮した声が聞こえる。『君は廃墟の街を不法に占拠している〝出来損ない〟の生物とは違うみたいですね。〈データベース〉の記録を照合しても市民情報は確認できませんが、たしかに人間だ。生きている人間を見るのは何年ぶりだろうか』


「えっと……」

 ベティは苦笑いをみせる。

「あなたは?」


『その髪は――』

 宇宙飛行士は彼女の質問を無視する。

『自分で桃色に染めているのですか?』


「モモ?」

『そのあざやかなピンク色です!』


 宇宙飛行士の横に桃花色に染められた抽象絵画が投影されると、ベティは頭を横に振る。

「ううん、染めてないよ。これは地毛だよ」


『やはりそうでしたか、そんな気がしていました。母親も同じ髪色だったのでしょうか』

「そうだけど……」


『面白い!』

 男性の動きに合わせてバイザーが開くと、謎の液体に浸かった得体の知れない生物の頭蓋骨が見えた。それはスピーカーから男性の声が聞こえるたびに、あごをカクカク動かしていた。


「……その顔」

 ベティが驚愕した表情をみせて後退あとずさると、宇宙飛行士も異変に気づいたのか、ヘルメットのバイザーを確かめる。


『驚かせてしまったみたいですね。ですが手前のことは、どうか気にしないでください。それよりも、あなたの母親について教えてくれますか?』


「……どうして母親?」

 ヘルメットの中で透明な液体に浸かった頭蓋骨が動くと、真っ暗な眼窩がんかがベティに向けられる。


『これは個人的な趣味のようなモノと言いますか、手前は失われた人類史について研究しているのです。あなたの血筋……この場合、起源と呼ばれるモノをたどることで、失われた人類がどのような結末を迎えることになったのか、その真相に近づくことができるかもしれないと考えているのです』


「残念だけど、母親はもういないんだ」

『お気の毒に……』


 宇宙飛行士が頭蓋骨を動かすと、ヘルメット内に気泡が湧き立つのが見えた。

『しかしながら諸行しょぎょう無常むじょうは世の常です。気をしっかり持ってください!』


 それから宇宙飛行士は大袈裟おおげさな態度で言った。

『おっと、手前としたことが、大事な用事があるのを忘れていました。このあたりで失礼させてもらいますよ』


 謎の宇宙飛行士はそう言うと、ハクにやってみせたように片手をあげてライナスに挨拶すると、そそくさと姿を消してしまう。


「あの人も人造人間なの……?」

 ベティの質問に青年はうなずいてから答える。

「工場の警備責任者だ」


 作業場に続く扉が開放されると、白蜘蛛がトコトコとやってくる。

『このあたり、しつれい、する!』

 ハクはさっそく宇宙飛行士の言葉をマネすると、片脚で地面をビシッと叩いてから作業場に入っていった。

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