第69話 呪符(ハク)


 車両整備専用の区画にヴィードルを止めると、ベティは機械人形によって整備される複数の車両を眺めながらハクのもとに向かう。垂直多関節ロボットアームが整備している車両のなかには、〈サスカッチ〉と呼ばれる自律型戦車の姿もあった。廃墟の街でソレらしき残骸を見かけることがあったが、完全な状態の戦車を見るのは初めてだった。


 高い天井に視線を向けると、ホログラムで投影される安全衛生スローガンの間を無数の〈物資搬送用ドローン〉が飛んでいるのが見えた。


 車両の整備に使用される部品が詰まった半透明のコンテナボックスを運んでいるようだったが、システムによって飛行ルートが厳格に決められているのか、驚くような速度で飛行しているのにもかかわらず衝突事故を起こすことはなかった。


 ハクの周囲に集まっていた機械人形は、セーラー服を着た少女が近づいてくるのを確認すると、ビープ音を鳴らして次々と不満を訴えた。彼女は首をかしげると、機械人形に囲まれているハクに視線を向けた。


「ハク、ドロイドたちの仕事を邪魔したらダメだよ」

 白蜘蛛はベティの言葉に反応してトコトコとその場で身体の向きを変えると、ベシベシと床を叩いた。


『じゃま、ちがう。ハク、みてた』

 ハクの背後にちらりと視線を向けると、作業台に置かれた工具が見えた。綺麗に磨き上げられた旧文明の工具がハクの関心を引いたのだろう。


「たしかに、この場所には気になるモノが沢山たくさんある」ベティは真剣な面持ちで言った。「でもレイと合流しないといけないから、ペパーミントの作業場に行こうよ」


『レイ、どこいった?』

 白蜘蛛が工具の側を離れると、機械人形たちは安心したようにビープ音を鳴らして作業に戻った。


「ペパーミントと一緒に、あの気色悪い化け物を調べるって言ってたでしょ」

『ベティ、わすれた?』


「ううん、わたしは忘れてないよ」

『バケモノ、みる?』

「ちょっと気になるけど、ハクはどうしたい?」


『たんけん、いく』ハクはしょくで床をトントンと叩く。

「探検か……」

 ベティは天井に視線を向けると、いそがしそうに飛んでいくドローンを見ながら笑顔になる。


「たしかにそれは面白そうだね」

『ん。たのしい』


 ハクが別の区画に続く通路に入ろうとすると、ライナスが姿をみせる。

「工場内を勝手に歩かれては困る」

『もんだい、ない』とハクは言う。


「いや、問題はある。工場には我々でも立ち入りが許可されていない区画が複数存在する。そのような場所は警備システムによって厳重に管理されていて、資格を持たない生物の接近を許さない。その区画に近づくことは、生命としての機能を恒久的こうきゅうてきに損なうことを意味している」


『ちょっと、むずかしい』

 ハクが身体を斜めにかたむけると、ライナスはピクリと眉を動かした。


「言葉を使ってはなしをすることに慣れてしまって、無理に言語を理解しようとしているからだ。〈深淵の娘〉のように、考えを直接読めばいい」


『ふんふん』ハクはうなずくように身体を揺らしたあと、ベシベシと床を叩いた。『ライナス、かしこいな!』


 白蜘蛛は青年の肩に触肢を軽くのせたあと、腹部を震わせる。

『きけん、わかった』


 ハクはベティの側まで戻ると、長い脚を伸ばして器用に彼女をきかかえる。そしてそのままライナスの横を通って通路の先に行こうとする。


「待て」青年はハクの前に立つ。

「理解してくれたのではないのか?」


『ハク、まもる。もんだい、ない』

「違う。そういうことではない。いいか――」


 会話を聞きながら白蜘蛛の脚に掴まっていたベティは、廊下の先に気になるモノを見つける。


「ねぇ、ライナス。あの隔壁の先にはなにがあるの?」

 青年はわずかに身体を動かすと、ベティの視線を追う。


「兵器を研究していた施設だ。現在は警備システムによって管理される立ち入り禁止区画でもある」


『しすてむ、ずるいな』と、ハクは言う。

意地悪いじわるで封鎖しているわけではない。危険な技術を扱っていた場所だから封鎖しているんだ」


『ふぅん……。たからもの、ある?』

「話を聞いていなかったのか」


 ベティはフサフサの脚から抜け出すと、隔壁の前まで小走りで向かう。それを見たライナスは溜息をついたが、相変あいかわらず無表情で感情は読めなかった。


「これって、おふだだよね」

 隔壁には数え切れないほどの紙が貼り付けられていた。得体の知れない生物が描かれた札や、複雑な模様が描かれた札、そして難しい漢字がビッシリと書き込まれた札もあった。


 青年はベティのとなりにやってくると、無数の札を見ながら言った。

じゅ、あるいは護符ごふのようなモノだ」と。


「じゅふ……なんのために壁に貼り付けてるの?」

「この先にある遺物を隠すためだと言われているが、真相を知るものはいない」


 ハクは隔壁の側に神社のようなモノを見つけると、小さな鳥居から覗き込むようにしてほこらのなかを確認する。


 ハクの身体よりも小さな祠の左右に白い狐の石像が鎮座しているのが見えたが、祠の中は暗くてハッキリと確認することはできなかった。もっと近くで見ようとして鳥居に近づくと、言い知れない恐怖を感じてハクはすぐに神社の側を離れた。


 真っ白な体毛を逆立てながら近づいてくる白蜘蛛を見てベティは首をかしげたが、気にすることなくその体毛を撫でた。奇妙なことに神社の存在に気がついているのはハクだけだった。異様な神社は明らかに二人の視界に入っていたが、まるで無視をするかのように二人は神社のことを話題にしなかった。


「遺物か……」ベティは腰に手をあてながら無数の札を眺める。

「それってつまり、この御札おふだには呪文のような効果があるってことだよね」


「それを証明することは難しいが、たしかに呪文のような効果があるのかもしれない。旧文明期には〝混沌〟の力を兵器として利用できないか研究していた勢力がいたからな」


「混沌の力……それって、工場の地下で見た空間のゆがみがどうのこうのってやつだよね」


 青年はじっとベティを見つめて、それから言った。

「混沌に関わる事象じしょうの研究もしていたのかもしれない」


「なんかヤバくない?」ベティは隔壁から距離を取る。

「あの縦穴の底で見た気持ち悪い化け物を呼び寄せようとしてたってことだよね?」


「自然発生する空間の歪み――彼らが〈神の門〉と呼んでいた現象を制御する研究はしていても、異形の生物をこちら側の世界に召喚するような危険な研究はしていないと思う」


「ほんとに?」

「偉大な文明を築き上げた人間が、どうして我が家に害虫を招き入れるようなおろかな行為をすると思うんだ」


「だって天才科学者ってみんなイカれてるんでしょ?」

「映画の見過ぎだ」


「なら、なにをしてたの?」

「話を聞いていなかったのか、混沌の力を兵器として利用するための研究をしていたんだ」


 ベティは眉間に皺を寄せると、壁に貼り付けられた無数の札を見つめる。

「この御札に超自然的な力を宿して、呪文を使おうとしてたのかな?」


 ライナスは瞳をチカチカ発光させたあと、意味ありげにうなずく。

「彼らは科学によって混沌の領域に存在する奇跡を再現しようとしていた」

「御札で呪文か……。お守りの効果を強力にした感じなのかな?」


 ベティが口にすると妙に稚拙ちせつで非現実的なことに思えたが、研究していた事実は変えられない。


 それに、隔壁に貼り付けられていた無数の札は文明崩壊以降、誰も交換していないが、紙が劣化している様子は確認できなかった。自然界の法則を無視するような、未確認の現象によって札が存在していることは間違いないのだろう。


 ベティが札に手を伸ばすと、青年は落ち着いた声で彼女の行動をさとす。

「やめておけ。未知の力に触れた人間は〈混沌の意思〉と呼ばれるモノに魅了され、やがて発狂してしまうといわれている。痛い目に遭いたくなければ、無闇に触れないことだ」


『ベティ、あぶない』

 ハクは彼女を抱きかかえると、さっさと隔壁の前を離れてしまう。ベティは残念に思ったが、工場には面白そうな秘密が他にもありそうだった。

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