第66話 追跡者(狩人)
雲に
「どうしたの、ハク?」と、目を細めながら前方を睨んでいたベティが反応する。
『てき、みつけた』
ハクの幼い声が聞こえると、彼女はコンソールを操作して動体センサーを起動するが、ひび割れたディスプレイには何も表示されなかった。
「マジでなんなの、このポンコツ!」
ディスプレイを乱暴に叩いたあと、防弾仕様のフロントガラスを睨む。けれど人擬きや脅威になりそうな昆虫の姿は見つけられなかった。
ベティのとなりに座っていたレイラも、敵意を視覚化できる瞳の能力を使い前方を確認するが、敵対的な生物を見つけることができなかった。
まるで吸血鬼のようにレイラの眸が紅く発光しているのを見てベティは眉を
そのため道路上に放置された車両や瓦礫、そして地盤崩落による深い縦穴を自分自身の目で確認して
険しい表情でヴィードルを操縦するベティを尻目に、レイラは錆びついた鉄板の隙間から身を乗り出して素早く車両の屋根に移動すると、ハクに掴まりながら周囲を見まわした。
すると赤紫色の
『一時的に姿を隠すことができる装備を使っているのかも』
カグヤの声が内耳に聞こえると、レイラは瞳の能力を使って敵の位置を再度確認する。
「追跡してくる連中は俺とハクで対処するから、ベティはこのまま姉妹たちのヴィードルを護衛してくれ」
「相手は人間なの!?」彼女は声を張り上げる。
「ああ、行商人を護衛していた連中が追ってきたのかもしれない。兵器工場まで追ってきたら厄介だから、ここでケリをつける」
輸送コンテナを積載した大型ヴィードルの護衛に、廃車寸前のヴィードルを使っていたので、簡単に襲撃できるカモに見えたのだろう。姿は見られていないと思っていたが、上空にドローンが飛んでいたのかもしれない。
「わかった。戦う準備はできてるから、掩護が必要になったら遠慮なく言ってね」
「ベティも用心してくれ」
レイラは羽織っていた外套で全身を包み込むと、環境追従型迷彩を起動し、ハクと共にヴィードルから飛び降りた。
『レイ、こっち』
ハクにはレイラの姿がハッキリ見えているのか、長い脚を伸ばして彼を抱き寄せると、そのまま近くの建物に向かって飛び上がる。
ハクの脚に抱えられていたレイラは、ライフルのチャージングハンドルを引いて薬室に初弾を送り込むと、いつでも射撃ができるように準備する。追跡者からは殺意を含んだ敵意を感じ取っているので、攻撃することを
■
白蜘蛛が動き出すと追跡者たちは瓦礫に身を隠し、建物の壁に張り付いた大蜘蛛に銃口を向ける。彼らは廃墟の街で多くの変異体を狩り、毛皮や外骨格を
「
『わかってる』仲間の声がイヤホンから聞こえる。
『それよりコンテナを運んでたヴィードルはどうするんだ?』
「すでに対処している。てめぇらはあの蜘蛛に集中しろ」
『了解。……おい、ハリシャ! あの白い毛皮には高値がつきそうだ。頭部に弾丸を撃ち込んで一発で仕留めろ!』
物陰に潜んでいた女性は、仲間の乱暴な口調にうんざりしながらボルトハンドルを操作して弾丸を薬室に送り込む。
すでに白蜘蛛に照準は合わせていた。あとは引き金を引くだけでよかったが、蟲使いの姿が急に消えたことが気がかりだった。辺境で暮らす蛮族が迷彩機能を備えた旧文明の装備を使っているなんて話は、今まで一度も聞いたことがなかった。
息を止め引き金に指をかけたときだった。こちらに
次の瞬間、すさまじい衝撃を受けてライフルが吹き飛び、顔面を思いっきり殴られたような痛みを感じて地面に倒れ込む。視界は真っ暗で何も見えない。肉が焦げるような嫌な臭いがしたかと思うと、急に身体が震え出し、頭を動かそうとするたびに全身に炎が駆けぬけるような鋭い痛みを感じた。
狩人たちは仲間の異変に気がついたが、混乱することなく冷静に対処しようとする。蜘蛛が吐き出した糸によって仲間の顔面が溶けていくのを間近で目撃した狩人は、蜘蛛の側面に移動して攻撃しようとした。しかし物陰から出た瞬間、嫌な銃声が聞こえ、気がつくと無数の銃弾を受けて地面に倒れていた。
『やつには俺たちの姿が見えているのか!』
光学迷彩を使って姿を隠していた狩人たちは驚き、何人かは後先考えずに白蜘蛛に向かって一斉射撃を行う。
しかしそれらの銃弾は白蜘蛛を傷つけることができなかった。蜘蛛は軽やかに飛び上がると、狩人のひとりに向かって脚を振り下ろした。切断された首が地面に転がるころには、白蜘蛛はすでに別の場所に隠れていた味方に向かって飛び掛かっていた。
『アラムがやられた!』
狩人のひとりが叫んだ直後、彼の胸に数発の銃弾が直撃するのが見えた。ボディアーマーのおかげで命拾いしたかと思ったが、
「クソが」
廃墟に潜んでいた狩人は痰を吐きだすと、白蜘蛛のすぐ近くに姿を見せた青年に銃口を向けた。けれど射撃を行う寸前、青年は幽霊のように姿を消し、間を置かずに別の位置に隠れていた仲間が銃撃にさらされる。
「どうなってるんだ」
タクティカルゴーグルに表示されていた仲間のシグナルが次々と消えていくのを、狩人は苛立ちながら見ていることしかできなかった。
□
廃墟に潜んでいた狩人の背後まで迫っていたハクは、レイラの声が聞こえると音もなく狩人のそばを離れた。
『レイ、どうした?』
倒壊していた巨大な彫像の足元に隠れていたレイラは立ち上がると、ベティたちが敵の戦闘車両に襲われていることを伝えた。
『ベティ、たすける』
ハクが地面をベシベシ叩くと、脚先に付着していた血液と肉片が糸を引く。
「ああ、すぐに助けに行こう」レイラはそう言うと、廃墟に潜んでいた追跡者にちらりと視線を向ける。「連中はもう追ってこないだろう」
■
得体の知れない蟲使いと白蜘蛛がいなくなると、狩人は人擬きと昆虫に警戒しながら廃墟を出て、仲間に生存者がいるのか確認しに向かった。
「ありゃ化け物だな……」
狩人はひとり
手のひらに収まるほど小さな装置は、周囲の風景を瞬時にスキャンし、身体の周囲に展開した不可視の膜に風景を投影することで姿を隠すことのできる旧文明の貴重な遺物だった。光学技術を利用した高価な装置だったが、蟲使いと白蜘蛛には通用しなかった。
仲間の死を確認して迷彩装置を回収し終えるころには、大型ヴィードルを襲撃していた仲間の反応も消えてしまう。
「あっちもダメだったか……」
狩人は戦闘中に記録していた青年の画像をタクティカルゴーグルのレンズに表示する。恐ろしい白蜘蛛を使役する蟲使いの情報を傭兵組合に提供すれば、それなりの報酬が手に入るかもしれないが、仲間の命と釣り合うほどの報酬にならないことは分かっていた。
狩人の生き残りは地面に転がっていた部隊長の首に向かって痰を吐くと、本隊と合流するためにその場を離れた。あとに残されたのは、かつて仲間だったものたちの遺体と、その死体を目当てに集まる人擬きだけだった。
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