第63話 隠し部屋(ユイナ)


 膨らんだ死体から滴る茶色い体液に濡れた床には、無残に痛めつけられた青年の遺体が転がり、腐敗し悪臭を放つ切断された腕にはドブネズミがかじりついている。


 埃っぽく薄暗い廊下と異なり、その部屋は天井から吊るされた無数の照明器具のおかげで明るく、室内の惨状をハッキリと確認することができた。


 数人の部下を連れて部屋に入ってきたユイナは、逆さまに吊るされた女性の首なし遺体の側に立っていたレイラの姿を見つけると、口元を引き締めた。


 死体を見つめる青年の赤い眸は金色に発光し、独り言のようにブツブツと何かをつぶやいている。カグヤと話をしているのだろう。ユイナは青年の横顔をじっと見ながら、彼と話ができる機会を待った。


 しばらくして戦闘の結果を報告し終えると、レイラは負傷者についてユイナにたずねた。数人の姉妹が怪我をしたが、いずれも軽傷だと伝えると青年は安心したのか、人間味のある柔らかな表情を見せた。


「それで――」と、ユイナは室内に視線を向けながら言う。

「連中はこの部屋でなにをしていたの?」


 レイラは全裸の死体に視線を戻すと、パックリと裂けた腹部を見つめる。内臓が抜かれていて、肉と脂肪の間に見慣れない羽虫が張り付いているのが見えた。


「ここで処理された遺体の一部が〈苗床〉の食料にされていたみたいだ」

「まるで食肉処理された動物ね」


「ああ、ベティとハクも別の場所で同じような部屋を見つけた」

「苗床の本体は見つけたの?」


 レイラは頭を横に振ると、壁際に置かれた金属製の棚に視線を向けた。棚に収められていた頭部は、暇つぶしに切り刻まれていたのか、頬にナイフが突き刺さったままだった。


「残念だけど、地下に続く秘密の通路はまだ見つかっていない」

「情報を持っていそうな敵戦闘員はいないの?」


「地下に逃げ込んだ女がいたけど、アネモネの毒にやられて死んだよ」

「そう」


 まるで漬物容器に詰められた野菜のように、腐敗した人間の腕がギッシリと入っている金属容器を見てユイナは顔をしかめると、部屋の奥からやってきたヌゥモ・ヴェイに注意を向ける。


 ヤトの戦士と呼ばれる得体の知れない男は、どこか超然としていて近寄り難い気配をまとっていて、レイラよりも気味が悪い存在だった。ヌゥモは感情のない爬虫類のような冷たい目でユイナを見たあと、レイラに小声で何かを伝えた。


「わかった」と、レイラはうなずく。

「確認してくるから、ヌゥモはミスズたちと合流して苗床の本体を探してくれ」


 ヌゥモがいなくなると、ユイナは部屋の奥に向かって歩き出したレイラのあとについていった。


「彼はここで何を見つけたの?」

「苗床が生み出した化け物を見つけたみたいだ」


 天井から吊るされた無数の死体が確認できる檻のなかには、皮膚のない赤子のような化け物が這いずり、腐敗した遺体から滴る体液に濡れていた。タイルが剥がれた汚れた床には、吐き気を催す茶色い体液が溜まり、小さな化け物はその体液を舐め、小さな手ですくっては口に含んでいた。


 狭い部屋の隅には木製のテーブルが置かれていて、女性の下着や男性物のコンバットブーツが無雑作にのっている。


 この部屋で働いていた何者かは慌てて出ていったのか、食べかけの戦闘糧食が放置されていて、その上に艶のある黒々としたゴキブリが数匹、触角を動かしながら張り付いていた。ここで働いていた人間が何をしていたにせよ、最悪の労働環境だったのは間違いない。


 ユイナは思わずガスマスクの状態を確認し、それからとなりに立っていたレイラに質問した。

「この化け物も回収するの?」


「いや。すでに必要な数は確保できているから、こいつらはここで焼却する」

「それが賢明ね」


 レイラは小銃を肩に提げると、ホルスターからハンドガンを抜きながら言った。

「ところで、この化け物はどれくらいの期間で立って歩くようになるんだ?」


 生理的嫌悪感を抱いているのか、ユイナは険しい表情を見せる。

「詳しいことは分からないけれど、異常な速度で成長するってことは知ってる」


「街ではあまり見かけないけど、なにか理由があるのか?」

「虫に食べられてしまうからだと思う。廃墟で脅威になるのは、人擬きだけじゃないから」


 レイラは顔をしかめると、ベチャベチャと床を這っていた化け物に銃口を向けた。


 化け物の処理を終えると、苗床を探していたミスズから連絡がくる。

「苗床は地下の隠し部屋で見つかった」と、ユイナは素っ気なく言う。


「イーサンの情報通りか……」

「正確すぎて、ちょっと怖い」


 彼女の言葉にレイラは肩をすくめ、そしてテーブルを占拠していた無数のゴキブリに気がつくと、ユイナを残してそそくさと部屋を出ていく。どうやら昆虫嫌いは治っていないみたいだ。


 目的の場所に近づくと、戦闘員の死体を多く見かけるようになった。揃いの戦闘服を身につけた集団は雇われの傭兵で、建物の外で見かけた戦闘員よりも上等な装備で身を固めていた。


 レイラは死体に手を合わせると、アサルトライフルの予備弾倉をいくつか回収していく。


「教祖と呼ばれていた女性の護衛部隊だな」

「そうね。金で雇われた傭兵みたいだけど、まともな組織はカルトの護衛なんて引き受けない」

「組合に属さない危険な集団か……略奪者たちと変わらないな」


 隠し部屋の中央には、無数の鎖につながれた苗床が樹木のように立ち尽くしていた。脂肪に覆われたイモムシのような生物は、薄桜色の肌を持ち、それはヌメリのある体液で濡れている。


 気色悪い脂肪の間には、昆虫の脚にも似た細くしなやかな腕がいくつもついていて、人間のそれに酷似した手は空気を掴むように開いたり閉じたりしていた。


 そのみにくい化け物の下腹部には、肉が詰まった腸にも見えるチューブ状の器官がついていて、律動する器官が地下に続く縦穴に向かってのびているのが確認できた。縦穴のそばには錆びついた梯子か掛けられていて、薄暗い穴の底に金属製のコンテナが置かれているのが見えた。


 どうやらその不気味な器官は、そのコンテナにつながれているようだ。


 レイラはコンテナの内部が見える位置まで移動すると、照明装置を使って内部の様子を確認する。そこには赤子にも似た醜い化け物が這っていた。そのチューブ状の物体は、生殖器官のようなモノなのかもしれない。


「ここで化け物が生み出されているのか……」

 しゃがみ込んで地下の様子を確認していたレイラの側には、薄汚れた白衣を身につけた女性の死体が横たわっていた。


 切断された青年の頭部を胸に抱く女性の姿は、預言者ヨカナーンの首を持ち上げ、その唇に口づけをしようとしているサロメの姿を連想させたが、そこには狂気をはらんだ女性の――あるいは、熱に浮かされた女性から漂う妖艶ようえんな気配はなく、どこまでも現実的でグロテスクなモノでしかなかった。


「彼女が教祖さまね」と、ユイナはゴミを見るような目つきで女性の死体を眺めた。

 レイラもその女性の顔には見覚えがあった。ベティが手に入れていた端末に彼女の映像が残されていた。人間を解体する様子を事細かく説明し、記録していた女性でもあった。


「ミスズたちが始末したのか?」

「違うよ」近くにいたユウナが答えた。

「私たちが部屋を見つけたときには、もうそこに倒れてた」


「仲間に裏切られたのか?」

 彼女の腹部にはナイフが刺さっていて、側頭部は貫通した銃弾によって破裂するように欠けていた。


 それからレイラとユイナは、地上で待機していた姉妹たちの大型ヴィードルまで、苗床の本体をどうやって運び出すのか仲間たちと相談することした。すでに敵拠点の制圧は済んでいたが、時間をかけてしまうと人擬きが集まってきてしまう。素早く行動する必要があった。


「ハクに手伝ってもらうか……」

 レイラはそう言うと、痙攣するように身体からだを揺らしていた苗床に目を向けた。

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