第60話 檻(ベティ)


 天井から等間隔にるされた小型の照明装置を見ながら、ベティとハクは薄暗い通路を進んだ。道幅は狭く、ハクがやっと通れるほどの空間しかなかったにもかかわらず、床にはゴミが散乱し、くるぶしほどの高さまで積み上げられた缶詰や泥のようなモノであふれていた。


 ゴミには気色悪い昆虫がむらがっていて、触角を揺らしながら動いている様子が確認できた。


 時折ときおり、地震のように通路が揺れて、天井からパラパラと砂や塵が降ってきていた。ユイナが指揮している部隊が軽迫撃砲による攻撃を続けているのだろう。


「ねぇ、ハク」ベティが言う。

「作戦の段取りは覚えてる?」


『ううん。しらない』

「そっか……困ったね」


『こまった』

 ハクはしょくこすり合わせると、ゴミの隙間に蜘蛛の子を散らすように隠れる昆虫の動きを眼で追う。


 ベティは両開きの扉が開け放たれているのを見つけると、覗き込むようにして室内の様子を確認してギョッとした。狭い部屋のなかには手製の機械で逆さに吊るされた無数の死体があり、そのほとんどの死体は性器から鳩尾みぞおちまでパックリと腹が裂かれていて、内臓が綺麗に取り除かれていた。


 まだ乾いていない赤黒い血液が、ヌラヌラと濡れた髪の間を縫って床にしたたり落ちているのを見ながらベティは顔をしかめる。部屋は糞尿と血液、それに刺激臭で満たされていて、ガスマスクを装着していなければ大変なことになっていただろう。


「マジか……あいつら人間も喰うのか」

『にんげん、くう?』


 ハクがそう言って扉の前にあらわれたときだった。深淵の娘が持つ恐ろしい気配にあてられて、部屋のなかに隠れていた男性が腰を抜かして小銃を取り落とした。


 この部屋で死体の解体を行っていた男はベティの接近に気がつくと、小銃を構えて攻撃の準備をしていた。ハクが少しでも遅れていたら、彼女の頭部に銃弾が食い込んでいたことだろう。


 ベティは物音が聞こえると、すぐにしゃがみ込み、吊るされた無数の死体の間から見えた男性に数発の銃弾を撃ち込んだ。男の顔面に銃弾が食い込むと、後頭部が破裂して骨片と一緒に薄桜色の脳が飛び散って壁に付着する。


「危なかった……」

 ベティは息を吐き出しながら言うと、ハクが身体を斜めにかたむける。


『てき?』

「うん、敵だったよ。ここで死体を処理してたやつかも」


 まだ血液すら乾いていない新鮮な死体が吊るされていた所為せいなのか、ハクは複数の気配に混乱して敵の存在に気がつかなかった。ハクは同じ失敗をしないように、集中して敵の気配を探る。すると部屋の奥で動いている生物の気配を複数感じ取る。


「また敵の戦闘員かな?」

 ベティはライフルを構えると、吊るされた死体の間を通って部屋の奥に向かう。腐敗が始まり溶けだした死体から滴り落ちる体液で足元はヌルヌルしていて、ベチャベチャと嫌な音を立てる。


 金属製の引き扉は、普段は太い鎖と南京錠で施錠されているのだろう、扉のすぐ横の壁に鎖がぶら下がっているのが見えた。しかしどういうわけか扉は施錠されておらず、簡単に開くことができた。


 部屋を覗き込んだベティの目に飛び込んできたのは、金属製の檻に入った人間の姿だった。身ぐるみをがされた人々は、男女の区別なく裸の状態で鎖につながれていた。薬物も使用されているのか、意識が朦朧もうろうとした状態で汚い床に座り込んでいた。その檻のなかには汚物のほかにも人骨が転がり、不衛生な環境になっていた。


 床に広がる汚水に注意しながらハクが部屋に入ってくる。

『てき?』


「ううん。敵じゃないみたい」

 ベティは干からびた人間の頭部を見ながら言う。

「それに、今回の作戦とも関係ない人たちだね」


 おそらく廃墟の街で捕まり、戦闘員たちの――あるいは、苗床が化け物を生み出すための食料にされていた人々なのだろう。


 ベティはハクに頼んで檻を破壊してもらうと、捕らわれていた人々が逃げ出せるようにしてあげた。けれどこの場所から出て行く気力のある者はいないだろう。それに逃げられたとしても、廃墟の街で生き延びるだけの体力もない。


 でもだからといって彼らを〝助ける〟という選択肢は存在しない。それはベティにとって見慣れた光景だったからだ。この世界では弱いモノから死んでいく。


 部屋の隅に置かれたテーブルには、食べかけの戦闘糧食と〈メタ・シュガー〉の吸入器らしきモノも確認できた。つい手を伸ばして回収しようとしたが、吸入器には血液がべっとりと付着していたので諦めることにした。


「行こう、ハク。ここには何もない」

 部屋を出るときに、ちらりと檻のなかに入っていた人間の様子を確認したが、相変わらず無気力で動く気配すらなかった。


 食肉処理場の様相ようそうていする部屋を出て薄暗い廊下に戻り、道沿いに進んでいると激しい揺れに襲われた。先ほどまで感じていた迫撃砲による揺れと異なるそれは、おそらくレイラの兵器によるものなのだろう。


 敵拠点の本部を攻撃しているレイラたちの様子を確認すると、あんじょう、パワードスーツを装備した敵戦闘員の部隊に対して反重力弾を撃ち込んでいるレイラの姿が見えた。


「建物が崩れなければいいんだけど……」

 ベティが不安そうに天井を見上げていると、先行していたハクが通路の先で脚を振る。


『ベティ、こっち』

 ハクのそばに向かうと、短い階段の先に金属製の厚い扉があり、厳重に閉ざされていることが分かった。


「さっきみたいに、糸を吐き出して扉をかせる?」

 ハクはベシベシと扉を叩くと、触肢をゴシゴシと擦り合わせる。


『ちょっと、むずかしい』

「ハクの糸でも熔かすのに苦労する金属か……旧文明の鋼材かな?」


 ベティは扉の側にあった操作パネルを適当に操作する。ディスプレイは起動するが、扉を開放するには暗証番号が必要だった。


「ねぇ、カグヤ。わたしの声が聞こえる?」

 イヤホンに指をあてると、彼女はカグヤの返事を待った。

『聞こえてるよ。なにか問題が起きた?』


「うん、大問題だよ。扉が開かない」

『扉……?』


 カグヤはベティのガスマスクに備えつけられたカメラを介して状況を確認する。

『システムに接続できたら、なんとかなるかも』


「さすがだね! ねぇ、ハク。カグヤが扉を開いてくれるって」ベティは笑顔でハクに報告すると、操作パネルを見ながら言った。「それで、わたしはどうすればいい?」

『ちょっと待ってね……』


 しばらくの沈黙のあと、カグヤの声が聞こえる。

『接触接続しないとダメみたい。専用のグローブをペパーミントにもらったでしょ?』


「そう言えば――」

 ベティはぬいぐるみリュックの中身を確認する。

「あった。これでいいんだよね」


 ベティが取り出したのは、一見すれば何の変哲へんてつもないタクティカルグローブだったが、指先には情報端末に無線接続できる極小チップが埋め込まれていて、カグヤの支援があれば接触接続を可能にしてくれるものだった。


「操作パネルに触れるね」と、グローブを装着したベティが言う。

『うん。いつでもいいよ』


 手のひらでバチっと電気が流れる音が聞こえたかと思うと、厚くて重い扉がゆっくり開いていくのが見えた。


 扉が開くと同時に青白い照明で部屋の中が明るくなる。

「これは……」と、ベティは驚いてハッと息を呑む。


 ハクは清潔な部屋の中に入ると、トコトコと身体を回転させて八つの眼でベティを見つめる。

『たからもの?』

「うん。これはヤバいかもしれない」


 室内には金属製の棚が並び、そこには数十個のキャリングケースが収められていた。部屋の中央に置かれたテーブルには、開いた状態のケースがのっていて、その中身がニ十センチほどの小さな機械だということが分かった。


 ベティがその機械を手に取ると、すぐにカグヤの声が聞こえた。

『お手柄だね、ベティ。それは民生用のドローンだけど、ジャンクタウンで手に入るようなプロペラ式の古い機体じゃなくて、反重力装置を搭載した機体だよ』


「はんじゅうりょく? えっと……つまり、旧文明の遺物ってことだよね」

『そう。貴重な遺物だよ』


 ベティは嬉しくなって思わずハクに抱きついた。

「ハク! これは旧文明の遺物だよ!」

『おたから!』と、ハクも興奮して腹部を震わせる。


『戦闘員たちに奪われないように、そこを警備するための部隊をユイナに派遣してもらうよ』とカグヤが言う。『それじゃ、私はこのままレイラたちの戦闘支援を続けるね』


「わかった。ありがとう、カグヤ」

『どういたしまして』

 通信を終えるとベティはドローンに視線を落とし、そして思わず笑顔になった。

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