第59話 廃墟(ベティ)


 産まれたばかりの胎児が埋葬されることなく、道端に野晒のざらしにされているのを見たことがある。腐敗して膨らんだみにくい肉塊はグロテスクで、まるでこの世界に憎しみと呪いを撒き散らすような、そんな恐ろしい姿をしている。


 檻のなかでうように動き回っていたのは、その胎児に似た姿をした気色悪い生物だった。皮膚のない真っ赤な身体は粘液質の体液でヌラヌラと濡れていて、歯のない口からは異様に長い舌が垂れている。


 それはベティの姿を見つけると、小さく潰れた真っ黒な瞳でじっと彼女のことを見つめる。そして悲鳴にも笑い声にも聞こえる奇妙な声で一斉に鳴きだす。


 ベティは顔をしかめると、すぐに檻のそばを離れた。

「ペパーミント、聞こえる?」彼女はイヤホンに中指をあてながら言う。


『ええ、ちゃんと聞こえてる。それにベティのゴーグルを介して、そっちの状況もしっかり見えてるわ』


「なら話が早い。この化け物はサンプルになると思う?」

『結果を出せるのかは分からないけど、貴重なサンプルになるのは間違いないわね』


「やっぱり〈苗床なえどこ〉が必要なのかな?」

『そうね。でもその気色悪い生物も生きた状態で確保して欲しい』


 ベティは檻のなかで重なり合うように這っていた生物に視線を向ける。

「わかった。わたしはどうすればいい?」


『もうカグヤに位置情報は送信したから、回収は姉妹たちに任せても大丈夫。ベティは無茶しないで戦闘を生き延びることだけを考えて』


「了解」

 ベティは通信を終えると、入り口に罠が仕掛けられていた建物に視線を向けた。


 横倒しになった高層建築物の瓦礫がれきによって、廃墟は破滅的な被害を受けていた。しかし基礎がしっかりしていたからなのか、あるいは旧文明の建材のおかげなのか、今も崩れることなく建っていた。


 ベティはガラスのない窓枠に近づくと、廃墟内の様子を確認しようとしたが、爆発で舞い上がった砂煙の所為せいで視界が悪く、室内がどうなっているのか分からなかった。


 タクティカルゴーグルの代りにガスマスクを装着すると、フェイスシールドに表示される情報でアネモネたちの動きを確認する。敵拠点の制圧は順調に進んでいるようだった。


「ねぇ、ハク。これから建物に入るけど、ほかにも罠があるかもしれないから、わたしの近くにいてね」


 砂まみれになっていたハクは、水に濡れた犬のように身体を振るわせて砂を払う。

『ん。はなれない』


 ベティはうなずくと、ロケット弾や砲弾が炸裂する音を聞きながら、ぬいぐるみリュックから端末を取り出して手早く操作した。すると素通しだったガスマスクのフェイスシールドが黒くにごり、ナイトビジョンに切り替わる。


「行くよ、ハク」

 カービンライフルを構えながら建物内に足を踏み入れる。他にも罠が仕掛けられていないか調べていると、背後で物音がして振り返る。テントに隠れていた子供たちがやってきていて、壁際に並べられたテーブルにむらがっているのが見えた。そのテーブルには得体の知れない肉が入った鍋や缶詰が無雑作に置かれてた。


 子供たちが目当てにしていたのは食料なのだろう。腹を空かせた子供は肉を手づかみにすると、飢えた獣のようにクチャクチャと肉を咀嚼そしゃくする。足元には頭部を失った料理人の死体が横たわっていたが、誰も気にしていなかった。


『ベティ』

 ハクの声が聞こえると、彼女は気を取り直して暗い廊下を進んだ。と、視線の先で何かが動く気配がしてベティは立ち止まる。けれどハクの気配に驚いた犬が逃げているだけだった。


「ハク、近くに敵が隠れているか分かる?」


『てき?』

 瓦礫を引っ繰り返して遊んでいたハクが言う。

『けはい、あるよ』


 白蜘蛛は軽快な動きで天井に張り付くと、逆さになった状態で廊下の先に向かう。現実離れした光景だったが、もう見慣れていて驚くようなことはしなかった。


 罠に注意しながら暗い廊下を進む。天井が崩落していて日の光が差し込む場所までやってくると、ベティはナイトビジョンを切って普通の視界に戻してから、錆びた金属扉の前で立ち止まる。


「鎖で施錠されてる……敵は本当にこの中にいるの?」

『ん。まちがいない』


 ハクは扉の持ち手に向かってペッと糸の塊を吐き出す。すると白い蒸気を立てながら持ち手に巻き付けられていた鎖もろともけていった。


「ほかにも入り口があるかもしれない。わたしはここから突入するから、ハクは敵が逃げないように別の入り口を探してきてくれる?」

『りょうかい』


 白蜘蛛が薄闇のなかに消えてしまうと、ベティはハクと連絡を取る手段がないことに気がついた。けれどなんとかなるだろうと楽観的に考えることにした。そもそもどうやって会話ができているのかも分かっていないのだ。


 ハクは壁が崩れていた場所を見つけると、建物の外に出てから目的の部屋の真上まで移動した。なにか考えがあって屋上に向かった訳ではなかったが、天井が崩落していて簡単に侵入できそうな場所を見つけることができた。


 ハクは意識して気配を消すと、長い脚をそろりと動かしながら部屋に侵入する。高い天井から吊るされた青白い照明で部屋は明るく、武装した複数の人間が待機していることが確認できた。


 ハクが罠にかかったときに大きな音を立ててしまったからなのだろう、戦闘員はベティたちの侵入に気がついていて、ライフルの銃口を扉に向けていた。

『ベティ、まって』


 扉を押し開こうとしていたベティはハクの声が頭の中で聞こえると、すぐに扉から距離を取った。


「ハク、どうしたの?」彼女は小声で言った。ハクに自分の声が届くのか分からなかったが、無意識に返事をしていた。けれどベティの声はしっかりとハクに届いていたようだ。すぐにハクの幼い声が頭のなかで響いた。


『てき、みつけた。そこ、まってて』

「わかった。攻撃の準備ができたら合図して、わたしも突入する」


 部屋の中から物音が聞こえたかと思うと、ハクの声が頭に響いた。

『もう、だいじょうぶ』


 ベティは深く息を吸い込んでゆっくり吐き出すと、ライフルを構え、壁に身を隠しながら一気に扉を開いた。敵からの銃撃に備えて身構えていたが、扉の先は静まり返っていてなんの反応もなかった。覗き込むように部屋の中を確認すると、あちこちに戦闘員の死体が転がっているのが見えた。


『たおした』

 天井から飛び降りてきたハクがクスクス笑いながら言う。


 ベティは引き金から指を外すと、近寄ってきたハクを撫でて、それから周囲に視線を向ける。死体は全部で四つだった。建物の外にいた軽装の戦闘員と異なり、戦闘服を着こんだ重武装の人間で、ボディアーマーすら装備していた。


 ハクがあっという間に始末した戦闘員は、ここで何か重要なモノを警備していたのかもしれない。拠点が襲撃されているのだ。貴重な戦力をこんな場所で遊ばせたりしないだろう。


 ベティは金属製の棚が並べられた部屋に視線を向ける。備蓄倉庫として使用されていたのか、それらの棚には旧式のライフルや缶詰が並べられていた。しかし遺物のたぐいは確認できない。


「ハク、この部屋には秘密があるのかもしれない」

『たからもの、ある?』と、ハクは身体をかたむける。


「うん。旧文明の遺物が隠されているかも」

『いぶつ!』


 ハクは興奮して腹部を震わせると、貴重なモノがないか調べに向かう。


 結論から言うと、遺物らしきものは見つけられなかった。けれど地下につながる階段と通路は見つけることができた。


 ベティはガッカリしてしまうが、通路を見つけたハクは脚を高く上げて、腹部を振りながら奇妙な踊りを見せてくれた。得意げに踊るハクは、どこか間抜けな姿をしていたが、可愛かったのでベティはすぐに機嫌がよくなった。

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