第57話 準備(ベティ)


 不潔な男が大袈裟おおげさな手振りで指示を出すと、ボロ切れを身につけた幼い子供たちが何処どこかに駆けていくのが見えた。


 しばらくすると子供たちは雨水が入っていると思われるびついたバケツを持って戻ってくる。男は子供の手からバケツをひったくるようにして奪い取ると、人擬きの臓器やら手足が入った大鍋に水を注いで火にかける。


 それから男は、なにかを期待して近くで待機していた子供たちを怒鳴りつけ殴り、何処どこかに追い払ってしまうと、赤黒く変色した雑巾を使って肉切り包丁についた血液を丁寧に拭きとり、次々と運ばれてくるみにくい化け物の処理に取り掛かる。


「ねぇ、人擬きって食べても大丈夫なのかな?」

 タブレット型端末の画面に表示されている映像を確認していた姉妹のひとりが、ベティの質問に反応して顔をあげる。姉妹たちは誰もが双子のように似た顔立ちをしているが、彼女は鼻筋に特徴的な傷跡があるので、簡単に見分けることができた。


「大丈夫って、なにが?」

「たとえばさ、お腹のなかで悪さしないのかなって……」


 癖になっているのか、彼女は中指を使って鼻筋を撫でる。

「あの不完全な形態の人擬きは、〈苗床なえどこ〉によって産み出されているモノなんだけど――」


「ちょっと待って。どうして苗床が出てくるの?」

 ベティが彼女の言葉を遮るようにしてたずねると、彼女は怪訝な目をした。

「苗床を神さまのように崇めている異常な組織が存在する。その情報を提供してくれたのは、あなたたちでしょ?」


「そうだけど、あいつらは本当に苗床を信仰する組織だったの?」

「イーサンの諜報部隊に協力してもらいながら調べたから、まず間違いないよ。そしてそうであるなら、少し考えるだけで、あれが苗床によって生み出された化け物だって想像できるでしょ?」


「うん……でも、苗床はあいつらの神さまなんだよね。その神さまが生み出すモノを食べちゃってもいいの?」


「さぁ? イカれたカルト集団のやることなんて、そもそも私には理解できない」と、彼女は肩をすくめる。「それで、あれを食べてもいいのかって質問だけど、あれは人擬きの驚異的な生命力は引き継いでいるから、食べたら大変なことになるかもしれない。けどバラバラにされちゃってるし、所詮しょせんは出来損ないの人擬きだから、腹のなかで消化されて終わりだと思う」


「人擬きの肉って消化できるの?」と、ベティは困惑しながらく。

「廃墟のあちこちで虫に食われてる人擬きを見たことがあるでしょ?」


「あるけど……。でもさ、基本的に人擬きは殺せないんじゃないの?」


「たしかに人擬きは痛みを感じないように見えるし、どんなに傷つけても何日か放っておくだけで傷を治してしまう。そして変異を繰り返しながら、私たちにとって脅威になるような危険な化け物に変わる。でも身体を動かすための栄養が補給できなければ、いずれ動けなくなってしまう。それは知ってるよね?」


「うん、知ってるよ」

 ベティは苦笑いを見せる。

「当然でしょ」


 彼女はベティの言葉にうなずくと、鼻筋に触れながら言う。

「何年もかけて変異し続けた人擬きなら、身体のあちこちに栄養になるものを取り込むことのできる器官を持っている。だから手足を切断し頭部を潰しても、完全に殺すことはできない。その器官を使って草や昆虫、それに小動物を捕えて栄養にしちゃうからね。たとえ頭部から切り離した身体を焼却して炭に変えても、体内に蓄えたエネルギーを使って、いずれ醜い肉塊になって再生してしまう。けどあれは誕生して間もない化け物」


「あそこまで身体をバラバラにされちゃったら、栄養を補給することはできない?」


「そうだね。で、さっきの質問だけど」と、彼女は本題に戻る。「食べても大丈夫かと聞かれたら、私は〝わからない〟としか答えられない。腹を壊すかもしれないし、人間を好んで食べる食人鬼たちのように、なにかしら悪い影響を受けるかもしれない。でもそれは彼らの問題で、私には関係のないこと」


「ふぅん」ベティは言う。「とにかく狂った連中だってことなんだね」

「そういうこと」と、姉妹は笑顔をみせる。


 ふいにハチの羽音にも似た重低音が聞こえたかと思うと、敵拠点を監視していた偵察ドローンが飛んでくるのが見えた。それは手のひらほどの小型の機体で、回転翼を使って飛行する旧式のドローンだった。それが数十機ほど、こちらに向かって真直ぐ飛んでくる。


 今も敵拠点の周囲には監視を続けるドローンが何機も飛んでいるようだったが、バッテリーを交換するため、何度も屋上に戻ってくる必要があるみたいだ。ベティは充電を必要とせず、いつも空中に浮かんでいる偵察ユニットの存在を知っていたので、姉妹たちが使用するドローンが不便なモノに感じた。


 いつの間にか灰色の厚い雲に覆われていた空に視線を向けると、一羽のカラスが高層建築物の間を優雅に飛んでいるのが見えた。


「ねぇ、あのカラスはレイのかな?」

 ベティの言葉に反応して、姉妹のひとりは単眼鏡を使ってカラスの姿を確認する。

「そうだね。あれはレイラのカラスだよ。でもどうして分かったの?」


「どうしてって?」

「目がいいんだな。これがなければ、周囲の景色と見分けられなかったよ」


 姉妹はそう言うと、手元の単眼鏡を見つめる。

「普通だよ。それより、どうして一目見ただけでレイのカラスだって分かったの?」


「それはね」と、彼女は得意げに言う。「間違って攻撃しないように、レイラのカラスは私たちが使う〈戦術ネットワーク〉に登録してあるんだよ。ほら、廃墟の街にはコウモリやら得体の知れない生物が飛んでるだろ?」


「せんじゅつ……ねっとわーく?」

 ベティは首をかしげる。

「なにそれ?」


「〈戦術データ・リンク〉のことだよ。戦場の情報をリアルタイムに共有するだけじゃなくて、カグヤから直接支援を得られるようにするためのシステム。あなたの端末も共有ネットワークにつないであるんでしょ?」


「あぁ……あのネットワークのことね」

 ベティは大きくうなずくと、あたりを見まわしてケンジが近くにいないか確認する。ケンジがいたら、またレイラの話を聞いていなかったのかと小言をグチグチ言われていたのだろう。


 それからしばらくの間、軽迫撃砲を所定の位置に設置して襲撃の準備を進めている姉妹たちの様子を横目に見ながら、敵拠点の監視を続けていると、別行動をとっていたレイラたちが建物に近づいてくるのが見えた。


 ヌゥモとナミを連れて廃墟の街を歩いてきたからなのか、合流するまでそれなりの時間が掛かったみたいだが、予定していた時間内に到着することができたようだ。


 白蜘蛛のハクは、持ち前のかんの良さで建物屋上にいるベティの姿を見つけると、そそくさと建物に飛びついてトコトコと外壁を登ってくる。


『ベティ、みつけた!』

 ハクはそう言うと、フサフサの体毛に覆われた長い脚を使ってベティを抱き寄せる。


 姉妹たちはすでにハクと行動を共にしていたので、今さらハクの姿を見て驚くようなことはしない。けれどハクを知らない人間が見たら、セーラー服を着た少女が大蜘蛛に襲われていると勘違いしそうなシチュエーションだったのは間違いない。


『おみやげ、もってきた』

 どうやって運んできたのか、ハクは赤い果実をどさどさと地面に落とす。


「ありがとう、ハク」

 ベティは満面の笑みで感謝したが、その果実は人間が食べられるモノではなかったので、ハクに食べてもらうことにしたようだ。ハクはしょくを使って器用に果実を口元に運んで食べていく。


 ムシャムシャと果実を食べる姿は可愛くもあったが、やはりハクを知らない人間が見たら、果汁で口の周りを真っ赤に染めたハクは恐ろしいモンスターにしか見えなかっただろう。

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