第53話 苗床(ミスズ)
ミスズは耳が痛くなるような静寂のなか、
人擬きが多く潜んでいる部屋を見つけると、アネモネたちに協力してもらいながら素早く脅威を排除していった。ミスズが使用する特殊な兵器は不死の化け物を完全に殺すことのできる能力が備わっていたので、それほど苦労することなく人擬きを相手にすることができた。
とは言え、廃墟の街を徘徊する比較的安全に対処できる個体と異なり、変異を繰り返してきた異形の生物を相手にするのは精神的にも疲れる。けれど廃墟から脅威を取り除くことは、人擬きに襲われる人々を減らし、不死の化け物に変異する人間の数を抑えることにもつながるので、決して無駄な行為ではなかった。
アネモネたちの調査によって人擬きの存在が確認されていた部屋に到着すると、ミスズは扉をゆっくり開いて、息を殺したような静けさと得体の知れない緊張感に呑み込まれてしまわないように、意識をはっきりさせる。
ガラスのない窓枠から差し込む光に照らされた薄暗い室内には、長い時間を経て変異し続けたグロテスクな人擬きが立ち尽くしていた。
まるで樹木が枝を伸ばすように、人擬きの頭部からは無数の指が生えていて、その長く細い指は崩落した天井の隙間から見える空に向かって伸びている。
腹部から垂れ下がる厚い皮膚には苔が生え、足元からは骨のように硬質化した数本の脚と、複雑な関節を持つ腕が伸び、床にがっしりと食い込んでいた。そのおかげなのか、
地面に根付いた植物のように、身動きひとつ取れないと思われる人擬きがどのようにして生命活動を続けられるのか謎だったが、その疑問はすぐに解消する。ブヨブヨとした皮膚の奥にある腕の付け根には、
観察したことで推測することしかできないが、この化け物は無数の腕を触手のように伸ばし、吸盤の内側にある口のような器官を左右にパックリと開いて、小さな昆虫や小動物を捕食していたのだろう。だからこそ動くことができなくても生き続けることができたのかもしれない。
ビーが操作する偵察ユニットによって室内の状況が確認できると、ミスズはライフルの銃口を下げ、銃身に手を添えながらスリングを使って
『気をつけて、ミスズ』
イヤホンを介してカグヤの声が聞こえると、彼女はうなずき、タクティカルゴーグルに拡張現実で表示されていたターゲットマークに照準を合わせて引き金を引いた。
ハンドガンの機関部から乾いた金属音が聞こえるのとほぼ同時に、人擬きの身体に銃弾が食い込み血煙が上がる。けれど化け物に変化はない。瞳のない暗い眼下から赤黒い粘液質の液体を流しながら、ブヨブヨとした皮膚を震わせている。
偵察ユニットがやってくると、扇状に広がるレーザーを頭の天辺から足の爪先まで照射して人擬きのスキャンを行う。
『銃弾が頭部に命中したことを確認しました』
ビーの声が聞こえる。
『けれど生命活動は維持されています』
ライフルを構えながら部屋に入ってきたケンジとベティは、グロテスクな人擬きを見て顔をしかめる。
「その化け物は、ミスズのハンドガンを使っても殺せないのか?」
ケンジは室内の様子を確認しながら訊ねた。
『わかりません。ですが……』と、ビーは人擬きの腹部にレーザーを照射しながら言う。『心臓と思われる器官を複数確認しました』
「心臓?」
『それに頭部らしきモノも
「その心臓の位置を教えてくれ」
ケンジはそう言うと、チェストリグに挿していたナイフを抜き、人擬きの動きに注意しながら近寄る。
『無闇に接近するのは危険ですよ』
「こいつがなにかを仕出かす前に、さっさと心臓の位置を教えてくれ」
『やれやれ』と、ビーは溜息をつく。
レーザーを照射して目印をつけると、ケンジは人擬きの腹部にナイフを突き刺して、ゆっくり縦に裂いていった。すると黄土色の
「うげぇ」
鼻が曲がるような悪臭にベティが顔をしかめると、ミスズは装着していたガスマスクのフェイスシールドをトントンと指先で叩く。それを見たベティは、タクティカルベルトに引っ掛けていたガスマスクのことを思い出してすぐに装着する。
人擬きの腹部を切り裂いたケンジは刃に付着した体液を丁寧に拭き取ると、ナイフを鞘に戻し、ヌメリのある気色悪い傷口に手を入れ、厚い皮膚を強引に広げる。
「それは……子供の頭ですか?」
ミスズの問いにケンジはうなずいた。
「ああ、不完全だが身体も確認できる」
照明装置を向けると、ジュクジュクした脂肪や肉に埋もれるように、小さな心臓が鼓動しているのが確認できた。
「感染したときに妊娠してたのかな?」
ベティの質問に答えたのはビーだった。
『いえ。身体のあちこちに生えている手足と同様、
「身体のなかで分身になるような化け物をつくっていたってこと?」
『はい。そしておそらく、これが〈
「苗床……」部屋に入ってきたアネモネが言う。「ジャンクタウンの傭兵たちが噂していたのを聞いたことがあるけど、異形の化け物を無限に生み出しているっていう人擬きがそいつなのか?」
『まだ変異を続けている不完全な個体なので断言することはできませんが、少なくともこの個体は、複数の人擬きが融合して誕生する〈肉塊型〉とは異なる特徴を持っています』
「なら、その苗床で間違いないかな……」
アネモネは腰に手をあて、あれこれと考えたあと、義手を変形させて旧文明の鋼材でつくられた特殊な刃を出現させる。
人造人間のペパーミントがアネモネのために用意してくれた黒い刃には、複雑な幾何学模様が彫られていて、その溝には神経系を犯す毒が流れている。
その刃を見たベティは首をかしげる。
「ねぇ、お姉さま。その毒は人擬きに効果がないってペパーミントが言ってたけど、なにをするつもりなの?」
「人擬きはダメでも、苗床が生み出す化け物に効果があるのか試してみたいんだ」
アネモネはそう言うと、少しも
心臓は激しく不規則な動きを見せたあと、完全に鼓動を止めるが、刃を抜いてしばらくすると動きを再開させた。
「やっぱりダメか……」
アネモネは毒に注意しながら刃に付着した体液を拭き取ると、義手をもとの状態に戻した。
『ビー、苗床のなかでつくられている化け物の正確な位置を教えてくれる?』
カグヤの声が聞こえると、ビーは人擬きを再スキャンして情報を送信する。カグヤはその情報を精査して、ミスズに新たな射撃位置をつたえた。
全ての個体に銃弾を撃ち込むと、苗床本体の生命活動は徐々に維持できなくなり、やがて完全に死んだことが確認できた。しかし苗床の生態について多くを知らないミスズたちは、念のため死骸を焼却処分することにした。
「どうやら体内の化け物に対処しないと、こいつらは殺せないみたいだな」
ケンジは人擬きの体液で汚れたグローブを炎のなかに投げ捨てると、苗床を分析するため、スマートグラスで記録していた映像をカグヤとペパーミントに送信することにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます