第13話 遺物(アネモネ)
海風によって運ばれた砂が堆積する薄暗い廃墟で、光沢のない濡羽色の装甲を持つひし形のドローンを起動させる。機体の周囲に重力場を発生させて浮かび上がるドローンは、装甲を変形させながら機体中央に収納されていた魚眼レンズを露出させる。
赤紫がかった薄いコーティングがされたレンズが、機体の奥から迫り出して、カチリと音を立てて装甲の表面に隙間なくピタリと合わさると、単眼にも見えるレンズから扇状に広がる赤色のレーザーが照射される。
白いタンクトップにレザーパンツという質素な服装だったアネモネが、頭のてっぺんから足の爪先までスキャンされたあと、ドローンは短いビープ音を鳴らした。
「これで大丈夫だと思う……」
アネモネはそう言うと、白地に金で装飾が施されたサイバネティックアームの動きを確認する。
「義手のソフトウェアに問題が?」
薄汚れた戦闘服を着て、瓦礫に腰掛けていたケンジは、温かい戦闘糧食を咀嚼しながらアネモネの側に浮かんでいたドローンに視線を向けた。
「今のところ、異常は検知されていないみたいだ」と彼女は答えた。
「なら、そのドローンの制御にも問題はないんだな?」
「ああ。ドローンとの交信には、こいつが必要になるけどな」
彼女はそう言うと、スチールボックスに丁寧に梱包されていたタクティカルゴーグルを手に取る。
ジャンクタウンでイーサンに会ってから数日、アネモネとケンジは数人の仲間を連れて海岸線近くの廃墟に来ていた。集落の住人を攫っている怪物を探し出して、処理するのが彼女たちの目的だったが、本格的に怪物の捜索を始める前に、不死の導き手と呼ばれる宗教団体から入手していた物資の確認作業を行っていた。
それらの物資は、守護者に襲われた教団の戦闘部隊が残したモノだった。それが偶然だったのか、あるいは教団を標的にした襲撃だったのか、アネモネたちには分からなかったが、狂った守護者は信者を皆殺しにすると、近くの廃墟を占拠していたアネモネたちに襲い掛かった。
襲撃の巻き添えになって部隊を壊滅させられたが、なんとか生き延びたアネモネたちは、旧文明の遺物だと思われる貴重なドローンを入手することができた。
アネモネがゴーグルを装着すると、視線の先に拡張現実でインターフェースが表示される。言語設定は日本語になっていたが、漢字が苦手だったアネモネは表示された文章のほとんどが理解できなかった。
彼女はゴーグルと一緒に保管されていたカード型端末を手に取る。端末には教団が用意したファイルが保存されていた。暗号化されていたので、中身は確認できなかったが、なんのために使うのかは分かっていた。
アネモネは義手から伸ばしたフラットケーブルを端末に接続して、そのファイルを使ってゴーグルのシステムにアクセスする権限を取得する。
優れた防弾機能を備えたゴーグルには、レンズに投射される情報から発せられる光の反射を防ぐための機能がついていて、インターフェースによって各種情報が表示されている際には、半透明のレンズが曇りガラスのように暗くなる仕様だった。
またゴーグルは装着している人間の思考を受信して、ドローンからの情報をレンズに投射する特殊な装置も備えているようだった。
〈生体認証によるユーザー登録が完了しました〉
合成音声による無機質で事務的な女性の声が内耳に聞こえると、アネモネはビクリと驚いたが、ゴーグルを介して声が聞こえていることに気がついた。
〈半自律型偵察ユニット『H-1838』のシステムにアクセスできます。テキストインターフェースでの操作、もしくは音声操作が可能に――〉
「文字を読むのは苦手なんだ。音声操作で頼む」
咄嗟に言葉を口にして後悔したが、どうやら問題なかったみたいだ。
〈――確認しました。音声操作でのサポートを行います。では言語を処理するための応答学習を行います。あなたの思考電位、そして声をユニットに認識させるため、ランダムな単語を発します。その単語がイメージするモノを思い浮かべながら、私の言葉を繰り返してください〉
「了解」
何が起きるのか見当もつかなかったが、取り敢えず指示に従うことにした。
〈ヘビ〉
「……ヘビ」
〈追放〉
「追放」
〈宇宙〉
「うちゅう?」
〈海〉
「海」
〈次の単語は声に出さず、頭の中だけで繰り返してください〉
アネモネ何も言わず、コクリとうなずいた。
「なぁ、どうしたんだ?」
ケンジが顔をしかめるが、アネモネは眉を寄せるだけで何も言わなかった。
〈りんご〉
合成音声が内耳に聞こえると、アネモネは声に出さずに言葉を繰り返した。
『りんご』
〈コンピュータ〉
『コンピュータ』
〈泥〉
『泥……』
〈ホルス〉
「ほるす?」
〈――ありがとうございました。ソフトウェアの学習が進めば、ユニットとの交信に言葉を発する必要はなくなりますが、対話に慣れるまでの間は、声に出して指示することを勧めます〉
「わかった」
〈ありがとうございます。では音声操作でのサポートを開始します。ユニットにあなたの情報を登録します。あなたの個人情報をユニットに登録しますか?〉
「かまわないよ。登録してくれ」
〈ありがとうございます。それでは、あなたの名前を教えてください〉
「アネモネ」
〈――認識しました。ユーザー名をアネモネで登録しますか〉
「ああ。それで頼むよ」
〈軍用規格の偵察ユニットは多くの部隊に配属されます。混乱を避けるため、ユニットを識別する名前をつけることができます。ユニット〈H-1838〉に名前をつけますか?〉
「名前……それはなんでもいいのか?」
〈はい、登録名は自由に決められます〉
「それじゃ……」
アネモネはひし形の小型ドローンを見つめながら言った。
「ビー」
〈ユニット名を“ビー”で、登録します。ユニットとの対話、交信には登録された名前が使用されます〉
ドローンの特徴的なビープ音からビーと決めたが、インターフェースには何故かアニメ調にデフォルメされた可愛らしいミツバチのキャラクターが表示されていた。
『アネモネさまのサポートは、ビーが担当します。これからよろしくお願いします』
人間味のある女性の声が内耳に聞こえると、拡張現実で表示されたミツバチが視界の先で踊るように飛び回る。それに反応しているのか、ドローンも短いビープ音を鳴らした。
「あなたがビーってこと?」
『はい。私がアネモネさまのビーです』
「そうか……これからよろしく」
自分専用のドローンを手に入れられたことを知って、アネモネは思わず笑みを浮かべる。
「さっきからどうしたんだ?」と、それを見ていたケンジは呆れながら言う。「ドラッグはもう二度とやらないんじゃなかったのか?」
アネモネは溜息をつくと、ドローンの登録を行っていたことを説明した。
「つまり、そいつは姉さん専用のドローンになったってことか?」
「みたいだな」アネモネは得意げな笑みを見せる。
「そいつはどうやって姉さんのことを認識してるんだ?」
『データベースに登録された生体情報によって認識しています』ビーの声がドローンから聞こえる。『現在はアネモネさまの声に反応していますが、いずれ脳の活動を学習して、対話がなくとも必要な支援を行えるようになります』
「支援って、具体的に何ができるんだ?」
『戦闘支援です。偵察ユニットなので周辺索敵が主な仕事になりますが、ユニットの改造を行えば、戦闘に参加することも可能になります』
「ヤバいだろ」
アネモネの言葉にケンジは肩をすくめた。
「たしかにヤバいドローンだな。怪物を探すのにも使える」
「ところで」アネモネは小声で言った。「エムの部下は役に立つと思うか?」
「どうだろうな……」
ケンジは戦闘糧食の缶詰を床に置くと、近くに立っていた女性に声をかけた。
「なぁに?」と、女性は気怠そうな声で言った。
「怪物と戦闘になるかもしれない、戦いの準備はできているのか?」
「さっさとそのクソがいる場所に連れてってくださいよぉ。わたしがひとりで相手しますから」
ケンジがアネモネに視線を向けると、彼女はそっと溜息をついた。
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