第9話 偵察(カラス)


 軍事企業エボシの試作型自律偵察ユニット『H-P018ヤタガラス』は、日向にじっと留まって暖かな太陽光を全身に受けながら、心地いい時間を過ごしていた。実際は太陽光で充電しているだけだったのだが、ヤタガラスにとってそれは些細なことだった。重要なのは、日向でじっとしていると気持ちがいいということだった。


 ヤタガラスは基本的に自由だった。どこまでも広がる廃墟の街を見ながら、大空を悠々と飛ぶこともできたし、日向ぼっこを楽しみながら、あり余る時間を無駄に過ごすこともできた。


 けれどカラスは主人と一緒に街の探索をするのが好きだったので、主人の側を離れるつもりはなかったし、日向ぼっこもほどほどに楽しむつもりだった。


 それに、ヤタガラスには重要な仕事があった。それは主人の命を脅かす敵対的な生物を探し出し、警告することだった。もちろん主人と共に廃墟の街を探索して、貴重な物資を見つけ出すことも大切な任務だったが、廃墟の街は危険に溢れていた。


 だから常に目を光らせている必要があった。街がどうしてこんな危険な場所になってしまったのか、その理由は分からなかったが、とにかく重要なのは主人の命を危険に晒さないように注意を払うことだった。


 記憶にある大昔の空には、たくさんの仲間が飛んでいたが、今ではヤタガラスのような能力を持つカラスは見なくなった。長い眠りの果てに目を覚ましたとき、世界の姿は一変していて、特別な能力を持った偵察ユニットは大空から姿を消していた。


 仲間たちとは仲が良く、家族のような関係だった。大空を飛びながら取り留めのない会話を楽しんでいたので、仲間がいなくなって寂しいと感じたこともあった。けれど主人といると、その寂しさを感じないほどに毎日が刺激に溢れている。だから仲間のいなくなった空が虚しいモノになることはなかった。


 似た能力を持った仲間はいなくても、鳥はたくさん飛んでいて退屈することもない。襲い掛かってくる昆虫型変異体にはうんざりしているけれど、基本的に空は穏やかだった。


 ヤタガラスが廃墟から突き出した鉄骨にとまって翼を休めていると、白い蜘蛛がゆっくり接近してくるのが見えた。深淵の娘がカラスを驚かせようとしていることは一目瞭然だったが、カラスはあえて気がついていないフリをして、日向ぼっこを続けた。


『みつけた!』

 可愛らしい子供の声が聞こえると、ヤタガラスは翼を広げて飛び上がり、大袈裟に驚いたフリをした。どういう訳か、カラスには白蜘蛛の声が聞こえた。深淵の娘が人間と会話をしたという記録は、少なくともエボシのデータベースでは確認できなかったので、白蜘蛛が特別な個体だということは理解できた。


 その白蜘蛛が腹部を振りながらカラスに問いかける。

『からす、ひま?』


 ヤタガラスは頭部を横に振って白蜘蛛の言葉を否定したあと、フサフサの体毛が生えているハクの頭胸部にとまる。


『みて、たからもの』

 白蜘蛛はそう言うと、綺麗に磨かれた金属板を触肢に挟みながら見せてくれた。その金属板にはハクのパッチリした眼と、金属板を覗き込むカラスの姿が映り込んでいた。それを見たハクは子供特有の無邪気な声でクスクス笑う。何が楽しいのか分からなかったが、カラスも興奮して翼をバサバサと動かした。


 ヤタガラスに主人の声が届いたのは、ちょうどそのときだった。どうやら五十メートルほど先にある廃墟を偵察してきて欲しいみたいだ。カラスはインターフェースで付近一帯の地図を参照すると、大空に向かって飛び立った。


 ちなみに主人が仕事の指示を出すとき、ただカラスに命令するのではなく、必ずそれができるのか確認してから仕事を頼むようにしていた。主人が機械人形や人工知能に偏見を持たず、対等に接しようとしていることは知っていたが、主人のそんな変わった性格もカラスは好きだった。


 風に乗って一気に上昇したヤタガラスが廃墟の街に視線を向けると、白蜘蛛が一生懸命ついてきているのが見えた。ハクは建物の壁面に向かって糸を吐き出して、建物の間を器用に移動していた。


 深淵の娘が一緒に来てくれるなら、主人の手を煩わせることなく、敵対的な生物を排除できるかもしれない。カラスはそう考えていたが、白蜘蛛は途中で気になるものでも見つけたのか、ふらりと何処かに行ってしまう。


 カラスは気を取り直して、目的の廃墟を偵察することにした。ゆっくり旋回しながら建物に接近すると、旧文明期の人類をも悩ませた不死の化け物が、建物の周囲を徘徊している姿が確認できた。


 人擬きの情報を素早く主人に送信すると、カラスは他に脅威になりそうな生物が潜んでいないか慎重に確認していく。すると建物上階に武装した人間が隠れていることが分かった。恐らく略奪者と呼ばれるタイプの野蛮な人間なのだろう。


 武装集団は旧式のアサルトライフルで武装していて、廃墟の周囲に集まっていた人擬きに対して攻撃を始めようとしていた。


 建物を包囲している人擬きの正確な数も把握していないのに、無闇に攻撃を始めるのは、あまりにも不用心で間違った選択に思えた。が、それは彼らの問題だった。カラスは略奪者の人数と、集団が所持している武器の情報を入手すると、まとめて主人に送信することにした。


 返事はすぐに来た。どうやら主人は戦闘に巻き込まれないように、移動経路を変更するようだった。


 主人に感謝されたあと、ヤタガラスは銃弾が飛んでこない安全な場所まで移動して、戦闘の行方を見守ることにした。


 赤茶色に錆びついた鉄骨にとまると、環境追従型迷彩を起動した。すると足元の鉄骨がスキャンされて、翼の表層に鉄骨の色相と質感が再現されていく。そうしてカラスの姿は周囲の景色に溶け込み、奇妙に捩じれた鉄骨にしか見えなくなった。


 ややあって、騒がしい銃声が聞こえてきた。ヤタガラスは視線の先を拡大すると、人擬きに対して射撃を行っている男性の姿を確認する。建物周辺に集まってきていた人擬きの数に恐怖して、我慢できなくなって出鱈目に銃弾を撃ち込んでしまったのだろう。銃声が鳴り響くと、人擬きの群れが凄まじい勢いで建物内に侵入していく。


 絶体絶命に思われた略奪者たちだったが、集団の中には手練れの戦士がいて、仲間に的確な指示を出しながら、人擬きの群れに対して冷静に対処している様子が確認できた。


 カラスは建物に反響する人擬きの奇声を聞きながら、集団の中心になっている女性を観察する。彼女は鮮やかな空色の頭髪に、白地のサイバネティックアームを装着していて、旧文明期の試作型ライフルを背中にハーネスで吊るしていた。


 略奪者の集団は、彼女の指示で階段付近にバリケードを設置して、階段を駆け上がってくる人擬きを順番に無力化していく。変異が進み、四つん這いになって素早く移動するタイプの人擬きもいたが、略奪者たちが連れていた大型犬の活躍もあって、集団は人擬きを次々に無力化することに成功していた。


 傭兵組合に所属している人間が人擬きに対処している場面には、これまでも何度か遭遇していたが、粗末な装備しか持たない略奪者が人擬きを圧倒している場面を見るのは初めてのことだった。やはりあの女性の活躍が大きいのだろう。


 と、主人から連絡が来る。どうやら別の場所でも略奪者たちの戦闘が確認されたみたいだ。偵察を頼まれたヤタガラスは迷彩を解くと、大空に向かって飛び上がる。


 女性のことを忘れないために、カラスは彼女の情報を保存することにした。廃墟の上空はカラスの縄張りだったので、彼女の活躍が見られるチャンスはまたやってくるだろう。


 またひとつ楽しみができたカラスは、青く澄んだ大空を悠々と飛んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る