第6話 販売所(ハク)


 廃墟の街で暮らす人々が危険な変異体や人擬きを避けて、旧文明期の施設を利用して築いた『鳥籠』と呼ばれる街の近くまで来ていたハクは、行商人の大型ヴィードルや傭兵たちの多脚型戦闘車両が行き交う大通りを離れて、人間が近づかない入り組んだ路地に向かった。


 薄暗い路地には植物が繁茂していて、放置車両からは背の高い雑草が顔を出しているのが見えた。


 ハクはつる植物がからみつく建物の壁面に張り付きながら、カビ臭い路地を進んだ。歩道橋に飛び乗って遠くを見つめると、水草が浮かぶ冠水した道路が見えた。ハクは横道に入ると、ゴミに埋もれた通りに出る。すると前方で何かがチカチカと発光するのが見えた。警戒しながら近づいてみると、土に埋もれているドローンだと分かった。


『かくれんぼ?』

 ハクが可愛らしい声で訊ねると、ドローンは短いビープ音で答えた。周囲の土を掘り返すと、縦に細長い円盤型ドローンが土の中から出てくる。機体の周囲に重力場を発生させて飛行しているのか、音もなく空中に静止していた。


『なにもの?』

 ハクが訊ねるとドローンはビープ音を鳴らして、それから商品広告のホログラムを投影した。それは高周波振動発生装置を搭載した包丁の広告映像で、柄に超小型核融合電池を装着することで、まな板すらも簡単に切断できることを紹介する立体映像だった。


 その広告映像を見て、包丁を購入したがる料理人がいるのかは謎だったが、ハクは色彩豊かな映像が動くのを楽しそうにじっと見つめていた。


 すると広告ドローンは短いビープ音を鳴らしてから、薄暗い路地の先にゆっくり飛んでいく。どうやら企業の商品を宣伝するため、決められた経路を飛行するようにソフトウェアにあらかじめ移動プログラムが組まれているようだった。それを知らないハクは、ドローンのあとについていくことにした。


 ドローンが薄暗い路地を照らしながらゆっくり飛んでいくと、ネズミや昆虫がカサカサと下水に逃げていくのが見えた。ハクはドローンから聞こえてくるリズム感の良い音楽を聴きながら路地を進んでいく。


 けれど放置車両が積み上げられて、壁のように通路を塞いでいる場所までやってくると、ドローンは音楽を止め、レーザーを照射して周囲のスキャンを行う。そしてこれ以上進めないことが分かると、来た道を引き返していった。


 ハクもドローンのあとについていこうとしたが、積み上げられた放置車両の先で人間の声が聞こえると、飛んでいくドローンの姿をじっと見つめながら、これからどうするのか考えた。


 しかしやはり好奇心には抗えなかった。ハクはドローンを諦めて放置車両の先に何があるのか確かめに行くことにした。人間には注意しなければいけないので、気配を消しながら、ゆっくり移動して壁の向こうが見渡せる場所まで移動した。


 積み上げられた廃車の先には、かつて公衆トイレとして利用されていた建物の廃墟があるのが確認できた。入り口の周囲には、ボロ布や鉄板を加工した自作の防具を身につけた複数の人間がいて、何をするでもなく無言で立っている様子が見えた。


 人間が手にしている武器は旧式のアサルトライフルや、鉄パイプを加工した粗末な銃だったので、ハクにとって脅威にはならなかったが、レイラとミスズの言葉を思い出して無闇に関わらないように心掛けた。


 その場所はレイダーギャングが管理する覚醒剤の販売所だったが、それを知らないハクは、廃墟内に何があるのか気になってしまう。やはり我慢ができなくなると、ハクはそろりと建物の壁面を移動して、となりの建物上階から落下していた巨大な彫像が転がる公衆トイレの屋上に移動する。


 彫像は背広姿の男の半身像だったが、ハクはそれに関心を持たず、緑青に覆われた彫像の上を移動して崩れた天井から廃墟内の様子を確かめることにした。


 汚物が付着した茶色い便器の側に、数人の人間が立っているのが見えた。それらの人間の頭部には、ヘルメット型の端末が装着されていて、壁際に設置された装置に向かって無数のケーブルが伸びているのが見えた。


 それは薬物の依存性を高めるために、快楽を伴う仮想現実を見せるための装置だった。その装置とつながっている人間は、涎を垂らしながらぼうっと立っていて、時折身体を激しく痙攣させる以外に、目立った動きを見せることはなかった。


 そこにタバコを吸っている女性が入ってきて、端末を使用している人間の腕に注射器を押し当てるのが見えた。覚醒剤が投与されているのだろう。覚醒剤によって刺激を得た人間は、服を着たまま尿を漏らしていた。するとタバコを吸っていた女性は舌打ちして、尿を漏らしていた人間を蹴り飛ばして悪態をついた。


 ハクは人間が使用していた端末が気になったが、入り口が狭く廃墟に入ることは困難だったので、諦めてその場から離れることにした。と、背後で物音がしたのはその時だった。ハクの目の前には、旧式のアサルトライフルで武装した略奪者が立っていた。彼は驚きに目を見開いていたが、すぐに何かを喚きながらハクに銃口を向けた。


 ハクは間髪を入れずに略奪者に向かって強酸性の糸の塊を吐き出して、男の頭部を破壊することにした。けれど蒸気を立てながら溶かされていく顔面の痛みに苦しんでいた男は、小銃を出鱈目に乱射して、騒がしい音を立ててしまう。


「大蜘蛛だ!」

 別の略奪者の声が聞こえると、廃墟の入り口で待機していた略奪者たちが建物屋上に続々と集まってくるのが見えた。


「どうしてこんなところに大蜘蛛がいるんだ!」

 ハクは顔を溶かされて絶命していた略奪者の身体に長い糸を吐き出すと、触肢で糸を掴んで、迫ってきていた略奪者たちに男の死骸を放り投げた。死骸の直撃を受けた数人の略奪者はそのまま建物から転げ落ちるが、直撃を逃れた略奪者たちは彫像に隠れながら射撃を開始する。


 旧式のライフルから撃ち出される銃弾では、ハクの体表を貫通して傷つけることはできなかったが、その攻撃が煩わしいことに変わりない。ハクは高く跳躍すると、略奪者たちの背後に回り、長い脚を使った攻撃を行う。


 鋭い鉤爪のついたハクの脚が振り下ろされるたびに、略奪者たちの身体は切断されて、辺りに内臓と血液が飛び散る。が、薬物の作用で興奮している略奪者たちは、死の恐怖を感じることなく白蜘蛛に向かって行く。


 ハクは網のように広がる糸を吐き出して略奪者たちの動きを止めると、鉤爪をザクザクと突き刺して致命傷を与える。しかし周囲の建物に潜んでいた略奪者の一団が現れて、白蜘蛛に向かって一斉射撃を始めると、ハクは建物の壁面を使って素早く撤退することを選択した。


 略奪者たちは執拗に攻撃を続けて、その戦闘音は周辺の人擬きを誘き寄せることになった。


 ハクはそれを好機と捉えて、通路を塞ぐように積み上げられていた廃車に体当たりをして、路地を一気に開放した。すると人擬きの群れは廃車を踏み越えてこちら側に侵入してきて、略奪者たちに次々と襲い掛かった。


 公衆トイレのなかでじっとしていた人間も同様の目に遭う。彼らは仮想現実の世界を楽しみながら、人としての死を迎えることになった。


『やれやれ……』

 略奪者たちが人擬きに襲われる様子を見ていたハクは溜息をつくと、殺戮の現場になってしまった薬物の販売所を離れた。襲撃によって略奪者の大半は人擬きに食べられ、生き延びた者たちも人擬きウィルスに感染して悲惨な最期を迎えることになった。


 しばらくすると、商品の広告映像を流すドローンがやってきたが、広告に注目する者はひとりもいなかった。

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