第4話 行商人(ハク)


 いつものように白蜘蛛のハクはこっそり拠点を抜け出して、朝から廃墟の街を散策していた。これといった目的はなく、廃墟の街を探索する行為そのものを楽しんでいるようだった。


 高層建築物が立ち並ぶ区画を離れて、幹線道路沿いの公園にやってくると、亜熱帯のジャングルを思わせる光景が広がっているのが見えた。生い茂る草木は公園の敷地を越えて、放置車両が多く残された道路を侵食している様子も確認できた。


 瓦礫に埋め尽くされた灰色の街に、突如出現した植物の鮮やかな緑は、ハクの興味を引くには充分な景色だった。


 ハクは張り付いていた建物壁面から飛び降りると、音もなく車両の側に着地し、身を低くしながら周囲の様子を窺う。公園と道路の境目に数頭のシカがいて、のんびり草を食む姿が確認できた。


 ハクが〈深淵の娘〉の特性を使って気配を消しているからなのか、臆病で警戒心が強いシカはハクの存在にまったく気づいていないようだった。


 シカの観察を続けていると、シカが急に首を持ち上げて、道路の先に視線を向けるのが見えた。シカは耳を動かしながら、周囲の音をしきりに気にしている様子だった。すると騒がしい銃声が建物に反響して、それまでゆったり草を食んでいた数頭のシカが逃げるように公園に向かって駆けていくのが見えた。


 シカが森に消えていくと、ハクは道路沿いの廃墟に入って薄闇のなかに身を隠した。しばらくじっとしていると、金属がひしゃげる音が聞こえてきて、放置車両を踏み潰しながら進む大型の多脚車両が見えてくる。


 ヴィードルと呼ばれる車両の近くには武装した人間が何人もいて、談笑しながら移動していた。しかしハクの存在には気がついていなかったのか、集団はハクが身を隠していた廃墟の前をのんびりと通過していく。


 その集団は鳥籠間で交易を行っている行商人の一団だったが、それを知れないハクは、人間の行列がどこに向かっているのか気になって廃墟から出て行こうとする。と、そのときだった。


 また騒がしい銃声がすると、ハクはビクリと驚いて、すぐに身を低くして姿を隠した。出鱈目に銃を乱射していたのは隊商の護衛として雇われていた傭兵だった。虫の居所が悪いのか、建物や錆びついた放置車両に向かって銃弾を撃ち込んでいた。


 廃墟の街を移動している際には、人擬きや変異体の注意を引かないために、無闇に音を立ててはいけない。それは誰もが知っていることだったが、その傭兵は常識を無視した振る舞いをしていた。


 アサルトライフルを乱射している男性は、集団のなかでもそれなりの地位にいる人間だったのか、彼を注意しようとするものはいなかった。男性を雇っていた商人たちですら、嫌な顔をしていたが、銃を手に持った男性に注意することはなかった。


 廃墟に潜んでいたハクは、腐臭をまとう生物の接近にふと気がついた。しかし傭兵たちは話に夢中になっていて、生物の接近に気がついてないようだった。ハクは周囲の様子を窺いながら外に出ていくと、廃墟の壁面を移動して建物上階に向かう。幸いなことに、ハクの動きに気がつくものはいなかった。


 ハクが通りを見渡せる位置に到着すると、商人たちの列から悲鳴が上がる。ハクがパッチリした眼を向けると、商人の腕に噛みついている人擬きの姿が見えた。商人たちが騒ぎ始めると、傭兵たちは慌てながら現場に駆け付けて、パニックになっていた商人から人擬きを引き離して容赦なく銃弾を撃ち込んでいく。


 そして数人がかりでやっと一体の人擬きを無力化すると、彼らは銃を乱射していた男性に詰め寄り口論を始めた。


 すると銃声を聞きつけた別の人擬きが、瓦礫や放置車両の中から這い出てくるのが見えた。けれど仲間の治療をしていた商人たちは人擬きの出現に気づかず、また口論していた傭兵たちも人擬きの接近に気づくのが遅れた。そしてまた被害が出てしまう。


 数体の人擬きと傭兵たちの間で激しい戦闘が始まると、ハクは銃弾が飛んでこない位置まで移動して、戦闘が決着するまで見守ることにした。


 そのまま戦闘に参加しても良かったのだが、廃墟の街で散策しているときには、できるだけ人間に関わらないようにしなければいけない。ハクはレイラと交わした言葉を思い出しながら、アサルトライフルを手に戦う傭兵たちを見つめた。


『にんげん、きけん……』

 ハクはそう呟くと、負傷していた商人に注意を向ける。


 人擬きに襲われて出血していた人間は、仲間たちの手で応急手当が行われていたが、ハクには負傷者がまとっていた気配が僅かに変わったことが分かった。


 ハクにはその理由が分からなかったが、負傷者は人擬きウィルスに感染してしまっていたのだろう。数時間もすれば容態が悪化して、最終的には不死の化け物に変異して、動くモノを見境なく襲うようになる。


 傭兵たちは負傷することなく人擬きを無力化することに成功するが、先ほどの失敗を繰り返さないように、しっかりと周囲の安全確認を行う。ハクも一緒になって敵の気配を探るが、近くに潜んでいる人擬きは確認できなかった。


 戦闘を終えた傭兵たちが商人たちのもとに戻ると、それまで傭兵たちの指示に従っていた商人たちが不満を口にするようになった。けれどそれは仕方のないことだった。隊商は傭兵の無責任な振る舞いの所為で人擬きに襲われてしまったのだから。


 商人と傭兵たちの言い争いは、やがて最悪の結果を招いてしまう。負傷し治療を終えていた商人はおもむろに立ち上がると、襲撃の原因にもなった男性に対して銃弾を撃ち込んでしまう。


 意識が朦朧としていて、正しい判断ができなかったのだろう。その光景を見ていた傭兵たちは唖然としてしまうが、すぐに応戦して、争いに加わっていなかった商人たちも負傷させてしまう。


 ハクは激しくなっていく争いをハラハラしながら見つめていた。先ほどまで楽しそうに話をしていた人間たちが、急に殺し合いをするようになった理由は分からなかったが、騒がしい音を立てながら銃弾が飛び交う光景は、いつ見てもドキドキした。


 そんな激しい銃弾が飛び交うなか、商人のひとりが路肩に止めてあった大型ヴィードルに飛び乗ると、傭兵を踏み潰そうとして車両の脚を持ち上げた。しかしコクピットに向かって無数の銃弾が飛んでいくと、商人はあっけなく射殺され、制御を失ったヴィードルはそのまま廃墟に衝突して動きを止めてしまう。


 そこでハクは人擬きの気配を察知する。どうやら戦闘音を聞きつけた人擬きが、こちらに向かって集まってきているようだった。


 ハクは最後まで戦闘の様子を見物していたかったが、公園に広がる森に逃げていったシカのことが気になっていたので、そこから移動することに決めた。なにより、ハクはじっとしていることが苦手だった。


 ハクが跳躍して森のなかに飛び込むと、通りの向こうから現れた人擬きの群れが隊商に襲い掛かる。そこで彼らは、自分たちが取り返しのつかない間違いを犯したことに気がついた。しかし後悔するには遅すぎた。


 彼らはすぐに争いを止めて、協力して人擬きに対処したが、戦闘を生き延びられた者は僅かだった。そして生き残った者たちも人擬きウィルスに感染していて、未来は絶望的だった。


 そうして廃墟の街に新たな人擬きが誕生することになる。彼らは安全な場所に避難して、傷の手当てをするかもしれない。あるいは、これから自分たちの身に起こることに悲観的になって自殺するかもしれない。


 しかしそれは白蜘蛛に関係のないことだった。ハクは樹木の間を移動しながら、シカを見つけ出す方法を一生懸命になって考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る