第3話 依頼(ミスズ)
旧文明期以前の倒壊した廃墟の側に屈み込むと、ミスズは外套ですっぽりと身を包み、環境追従型迷彩を起動した。するとミスズの周囲に転がる瓦礫や建物壁面の色相や質感が外套の表層に再現されて、景色に溶け込むようにして姿を隠していく。
完全に透明になれる訳ではないが、じっとしていれば敵に発見されることはないだろう。それからミスズは深呼吸すると、ゆっくりした動作で肩に提げていたライフルを構えて、照準器を使って建物の陰から通りの向こうを覗き見る。
縦に細長い廃墟の上階にライフルを構える狙撃手と、単眼鏡を覗き込む観測手の姿を確認することができた。タクティカルゴーグルの機能を使って視線の先を拡大表示すると、朽葉色のボロ布を身につけた略奪者たちの姿がしっかりと視認できた。
ミスズはすぐに別の場所に待機していたレイラに敵の位置情報を送信すると、攻撃に備えて合図を待った。
『ミスズ』と、カグヤの声がイヤーカフ型イヤホンを介して聞こえる。『射撃支援を行うから、標的を視界に捉えた状態を維持しておいてね』
「わかりました」
ミスズは小声で返事をすると、ライフルの銃口を観測手に向けた。
略奪者でもある観測手は、頭髪を刈り上げていて側頭部にカタカナの入れ墨を入れていたが、それはただ文字を出鱈目に並べただけのもので、言葉としての意味をなしていなかった。文字は読めないが、書体を気に入って適当に入れた入れ墨とも考えられたが、もとより無法者の略奪者が考えることなどミスズには理解できなかった。
カグヤの支援によって視界の先に表示されているターゲットマークは、その奇妙な入れ墨をした観測手の胸部で赤く点滅していた。
レイラの合図がイヤホン越しに聞こえると、ミスズは躊躇することなく引き金を引いた。狙撃手の頭部から骨片と血煙が噴き出すと、一瞬の間を置いて観測手の胸に銃弾が命中する。
『タンゴ、ダウン。狙撃手の射殺を確認した』
カグヤの声が聞こえると、ミスズはすぐに復唱した。
「ターゲット、ダウン。敵の射殺を完了しました」
『こっちからも敵の姿は見えない』と、レイラの落ち着いた声が聞こえる。『カラスを使って周辺索敵を行う。カグヤはそのままミスズの支援を頼む』
『了解』
ミスズはゆっくり立ち上がると、さっと周囲を見回してから、先ほど殺害していた略奪者の側に戻る。
首筋にコンバットナイフが突き刺さった状態で倒れていた略奪者の女性は、喉元の傷口から血液を噴き出しながら何かを口にしていたけれど、ミスズには女性が何を言っているのか理解できなかった。
ミスズは女性の側にしゃがみ込んで、女性がミスズに向かって伸ばした手を取る。垢や泥で汚れた手は冷たく、やがて力が抜けて地面に落下した。ミスズは女性の遺体からナイフを引き抜くと、女性が使っていたボロ布で血液を拭き取った。
女性の茶色い頭髪は雑に刈り上げられていて、綺麗な青い瞳は覚醒剤の影響なのか、真っ赤に充血していて瞳孔が開いていた。身につけている衣類も最低限のもので、肌のほとんどを露出していた。
綺麗な顔立ちをしていたが、ずっと以前に鼻を折られていたのか左に曲がっていて、開いた口から見える前歯は大きく欠けていた。略奪者になっていなければ、別の人生が……真っ当な暮らしができたのかもしれない。
その瞬間、理由は分からなかったけど、胸の奥から激しい感情が込み上げてくるのが分かった。死んでしまった女性も好きこのんで略奪者になった訳じゃない。この過酷な世界で行き場を失くし、あるいは孤児として生きてきて、他者から奪わなければ生きていけない境遇に立たされた。だから略奪者になったのだろう。
望んで奪ってきたわけじゃない。それが間違っていることだと認識すらしていなかったのかもしれない。何故なら、彼女がこの世界で生き延びるには、その方法しかなかったのだから。
けれど同情することはできない。ジャンクタウンで活動する情報屋『イーサン』から請け負った依頼は、略奪者たちに誘拐された子供たちを略奪者の根城から救い出すことだった。この女性もその誘拐に関係のある人間だ。
であるなら、彼女の死を哀れんでいるわけにはいかない。現にミスズは彼女に攻撃されて、やむを得ず反撃して、ナイフで彼女を殺すことになったのだから。
ミスズは昂った感情を冷ますように、震える唇でそっと息を吐き出すと、気持ちを切り替えて立ち上がる。
『大丈夫、ミスズ?』
カグヤの声が聞こえると、それまで感じていた孤独感と悲しみが薄れていく。
「大丈夫です。それより、レイラはどこに?」
『レイダーたちが占拠してた建物に入っていったよ。ミスズもすぐにレイの援護に向かって』
「わかりました」
ちらりと青い空に視線を向けると、鴉型偵察ドローンの影が横切るのが見えた。
九階建ての細長い建物は、旧文明期の高層建築物に挟まれていて、空中回廊や太い配管が複雑に入り組みながら建物の全容を覆い隠していた。ミスズは迷彩を起動しながら建物に接近すると、繁茂する雑草に埋もれていた両開きの大扉を足場にして建物に侵入する。
『建物内はカラスを使って索敵できないから、まだ敵が残っているかもしれない。油断しないで常に周囲の動きに警戒してね』
「……了解」
ミスズはカグヤの言葉にうなずくと、ライフルを背中のハーネスに吊るして、腰のホルスターからハンドガンを抜いた。
すると上階から騒がしい銃声が聞こえてきた。レイラから受信している映像を素早く確認すると、薄暗い部屋の中で略奪者たちの残党と戦闘になっていることが分かった。ミスズは拡張現実で表示される矢印を頼りに急いで上階に向かう。
非常階段を駆け上がっていると、上階から一斉射撃を受ける。が、旧文明期の遺物であるミスズのハンドガンは、彼女の周囲にシールドの膜を発生させていたので、旧式のアサルトライフルから発射される弾丸が効果を発揮することはなかった。
しかしシールドの膜はずっと生成できるわけではない。ミスズは物陰に隠れて射撃が止まるのを待つと、一瞬の隙を突いて一気に上階に向かう。
身体能力を向上させるスキンスーツを使っているからなのか、ミスズは人間離れした速度で上階に姿を見せ、略奪者たちを驚かせるが、彼らはすぐに応戦しようとする。けれどミスズは間髪を入れずに射撃を行い、容赦なく略奪者を射殺していく。
『ミスズ!』
警告音と共にカグヤの声が聞こえると、ミスズは素早く振り返る。目の前にはナイフを振り上げ、血走った目で彼女を睨んでいる男が立っていた。ナイフを避けることはできない。そう考えた瞬間、男の頭部が歪んで、目や鼻から血液を噴き出しながら吹き飛んでいく姿が見えた。
呆気にとられて立ちつくすミスズの前に現れたのは、職人の手で精巧に造られた人形のような綺麗な顔立ちをした青年だった。どうやらミスズの背後に突然現れた男を殴り飛ばしたのはレイラだったようだ。青年は口元を隠していた首巻を下げた。
「大丈夫か、ミスズ?」
ミスズは茫然としながらレイラの濃紅色の瞳を見つめて、それからハッとしてうなずいた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
ミスズの言葉に答えるように、レイラはいつものように憂いを帯びた表情を見せて、それから首巻で口元を隠した。
「監禁されている女性と子供たちを見つけた」レイラは言う。
「隊商から連れ去られた子供たちで間違いないだろう」
「子供たちは無事ですか?」ミスズは緊張しながら訊ねた。
「大丈夫。まだクスリ漬けにされていない。でも……女性たちは酷い扱いをされていたみたいだ。すぐにここから連れ出そう」
「わかりました」
レイラが歩き出すと、ミスズは彼のあとについていきながら、子供たちが無事だったことにホッと息をついた。
廃墟で暮らす孤児や、隊商から誘拐された子供たちは覚醒剤を与えられて、殺しを強要されるとレイラに聞いていたので、ずっと不安だったのだ。略奪者たちは誘拐した子供たちを戦士として教育するため、子供たちが殺すことに抵抗や疑問をもたないように、少しずつ殺しに慣らしていく。
彼らが最初に殺すのは、敵対するレイダーギャングから攫ってきて、慰み者としても使いモノにならなくなった人々だという。
背が高くスラリとしたレイラの背中を見ながら、不安で胸がざわつく。誘拐された子供たちはどんな環境で生きてきたのだろうか。ストレス障害を抱えることなく、また以前の生活に戻れるのだろうか?
部屋に入ると腐臭が鼻についた。大型犬のための檻がずらりと並び、それぞれの檻には全裸にされた女性と子供たちが監禁されていた。彼女たちの身体は酷く汚れていて、乾燥した汚物が肌に付着し、足元は自身の尿で濡れていた。
それは攫ってきた女性や子供たちから抵抗する意思と、人間としての尊厳を奪うための拷問だったのかもしれない。心臓を鷲掴みにされたような、眩暈がする恐怖を感じて、ふとレイラに視線を向けると、彼の周囲の空気が陽炎のように揺らめいているのが見えた。しかしそれは錯覚だったのか、すぐに奇妙な現象は確認できなくなる。
「ミスズ。すぐに彼女たちを解放しよう」レイラの声は落ち着いていたが、感情が乱れていることは発光する瞳の色で分かった。
「わかりました」ミスズはうなずくと、レイラのあとに続いた。
彼女にはレイラの心境が手に取るように分かった。そしてだからこそ思うのだ。こんな狂った世界で生きていくには、彼は優しすぎるのだと。レイラが抱いているであろう感情に、ミスズは胸が締め付けられるような思いがした。
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