第5話

俊輔が解放されたのはその日の深夜だった。

警察の事情聴取は長時間に及んだが、話すことはほとんど何もなかった。

――犯人はあなたを狙ったのか?

わからない。

――犯人に心当たりは?

ない。

――あのお店で何をしていた?

これが一番厄介な質問だった。俊輔も一生懸命説明はした。しかし、俊輔自身がよくわかっていないのだから、説明のしようがない。それに警察の方もうまく理解できないらしい。

だが、なんて言えば理解してもらえる?少し前にコーヒーを買って、間違えてカフェラテのボタンを押してしまって、後できちんと差額の支払いをしたけど、ネットで動画を拡散されて、炎上して、特定されて、馬の頭をかぶった変な奴に殺されかけて、事務室の奥に逃げ込んで、皆本さんと二人で震えていたところを警察が助けてくれた?

自分でも何を言ってるのかわからない。

車が店に突っ込んだ直後、俊輔は消防に電話をかけた。そして、俊輔はその通話を切るのを忘れたまま、皆本さんと二人で事務室の奥に逃げ込んでいた。

音声を聞いた消防は、即座に警察に協力要請をしていた。

裏口は開けられないよう、外に障害物が置かれていたらしい。

「犯人があらかじめ準備をしたのでしょう」

助けてくれた警察官が教えてくれた。

「しかし、危ないところでした。犯人は調理室で火をつける算段をしていたようです。調理室の床にはフライヤーの油が撒かれ、その上にちぎった雑誌や段ボールが重ねられていました。あとは火をつけるだけ、と言う状態でした」

そう聞いて、俊輔と皆本さんはさらに震え上がった。

「犯人は?」

皆本さんが震える声で聞く。

「我々が到着した時には、すでに姿はなくて……現在総力を挙げて周囲を捜索しております」

それから警察署に移動し、事情聴取が始まった。俊輔は自分の車で、皆本さんはパトカーで移動し、そこからは別室に入れられた。

「そもそも、犯人は本当にあなたを狙ったんですか?だって、三人も亡くなっているのに、あなたは生きてるじゃないですか?」

取調室で警察官の一人はそう言って、鼻を鳴らした。

「あなたがあんまり言うから話を聞いている訳ですが、あの、アルバイトの赤い髪した女性……皆本さん?でしたっけ?彼女もそんなこと言ってなかったですし。あれは絶対無差別殺人だって言ってました。私もそう思います。だから、正直、あなたの話はよくわからない。犯人が店長の西本さんを狙った、って言うならわかるんだけどね」

全く同じ話を数十回繰り返してようやく、もう帰っていいと言われた。時刻は23時を回っていた。玄関に立つ警官に皆本さんのことを尋ねるが、わからない、と言われた。

俊輔の車は警察署の駐車場に止めてある。ドアを開けて、運転席に座る。気が抜けて、体が泥のように重く感じる。シートを倒して、ため息をつく。空腹だった。助手席には食べそびれた昼ごはんの弁当が袋に入れて置いてある。日中、車の中で放置した弁当なんて、普段なら絶対食べないが、今は構わなかった。腹を壊したところでどうでもいい、という気分だった。

弁当を食べ切ったところで、ポケットからスマホを取り出す。iPhone8。もう4年くらい使っている。ホーム画面から『app store』を開く。『Twitter』と検索して、アプリのダウンロードを開始する。インストールが完了したので、アプリを起動する。

――『始めるには電話番号、メールアドレス、アカウント名を入力してください』

俊輔はため息をついてスマホをスリープにする。

亡くなった三人のことを考える。最初の一人はマガジンラックに挟まれ、ナイフで刺し殺された。ナイフは眼窩を突き抜け、脳にまで達していた。次は西本さん。手と顔を滅多刺しにされていたらしい。西本は犯人の足を掴んで抵抗している時に眼窩を突き刺された。その衝撃で西本さんの脳は力一杯手を握りしめろ、という指令を出して息絶えた。犯人はその手を外すために、彼の手を滅多刺しにする必要があったのだろう、と警官は言った。西本さんの手には犯人の服の一部が握られていた。

もう一人は……。

窓をノックする音で俊輔は目を開いた。

「……ごめんなさい。帰る方法がなくて」

皆本さんは疲れ切った顔をしていた。

助手席に皆本さんを乗せて車を発車させる。

「警察の人たちも送るって言ってくれたんだけど、パトカーで家に帰るのはちょっと……」

「わかるよ」

「……ねぇ、なんで犯人は私たちを放っておいたんだと思います?」

「それは勘弁してくれ」

俊輔自身が思っていた以上に大きな声が出て、自分でも驚く。皆本さんはビクッと身体を震わせ、小さな声でごめんなさいと言った。そこから5分ほどは無言のドライブが続いた。

「……そこをちょっと行った先で降ろして下さい」

俊輔は大きなため息をついで車を止めた。

「……ごめんよ。ちょっと気が立っていて」

「いいえ。……送ってくれてありがとうございました」

「犯人がなんで僕らを放っておいたか……僕もそれが知りたくて、さっきTwitterをダウンロードしてみたんだよ。何かわかるかもって思って。でも、あれとこれを登録しろ、みたいなメッセージが出て、やめちゃった」

「……そう」

彼女はポケットを探るとスマホを取り出した。

Twitterを起動して、検索をかける。

「事件のこと、もう記事になってる。犯人は店長に恨みを持つ者だろう、ですって。警察の人もそう言ってた」

「僕の炎上の件はどうなってる?」

「なんでですか?」

「ちょっと調べて欲しいだけさ」

「いいですけど……」

皆本さんは眉間にシワを寄せてスマホの画面を見つめている。ウィンドウの明かりで照らされた彼女はとても幼く見えた。20代だと思っていたけど、もしかしたらまだ10代なのかもしれない。

「あ、本部がコメント出してる。『……動画にあるような事実は確認されませんでした。当該男性の行為は過誤によるもので、その場で店員に申し出、差額のお支払いもされておられます。

この事実は当店の監視カメラでも確認しております。

該当の動画は当店を利用する善意のお客様の行動を、悪意で持って切り取り、拡散しており、非常に悪質な行為と言わざるを得ません。

お客様に安心して当社の店舗をご利用いただくため、今後も厳格な対応をしてまいります』ですって」

「そうか、よかった……」

「例の動画の方は…うわ、沢山コメントついてるなー。あ!いいコメントが増えたんだ。

『この人はきちんと差額を払っていたらしいですが、なんでこんな中途半端なところで動画を切っているんですか?』

『この男性が差額を払ったところも見ていたんじゃないですか?なんでこんなことするんですか?』

『最低なのはアンタだよ』

……ですって」

「……いいコメントがついたのはいつ頃?」

俊輔はハンドルに体重を任せる。心臓が高鳴って胸が苦しい。

「えーっと、今日の13時過ぎかな?本社がコメントを出したのが今日の12時過ぎだったらしいし……。

あ、12時10分に写真をあげてる人がいる!

『犯人はこの人?なんかおじさんがコンビニの事務所に連れていかれてる』……えー嫌だ私が写ってるー。あ、西本さんも…… 」

俊輔は黙って皆本さんの顔を見つめる。皆本さんも真剣な顔で俊介を見返す。皆本さんはしばらく黙り込んだ後、目線をスマホに戻す。

「さっきの写真、『わかった、今から向かう』ってコメントしてる人がいる」

皆本さんは画面を差し出す。コメントの下に書かれた時刻は12時15分。あれが始まったのは12時30分頃だ。

俊輔は皆本さんから携帯を受け取る。

「これ、このコメントしてる人の他のツイート?は見れないの?」

「……見れるけど、私は見たくない」

「やり方を教えて、自分でやるから」

「左上のアイコンをクリックしたら見れるはずだけど……その……馬みたいな画像のところ」

言われてみると、ツイートの左上には丸く切り取られた馬の顔がついていた。アイコンを押す指が震える。

最新のコメントは『クソを掃除してくる。今日は忙しい』。次は、『車がポシャったけど、まぁ、正義の犠牲だな』、『危うくクソに騙されるところだった。気をつけないと』、『正義の行いの邪魔をする奴はみんなクソの一味だ。あの親父も邪魔しなければよかったのに』、『立ち読みしてる奴らはクソの一味だ。あんなの泥棒と一緒だ』『裏口は塞いだ。俺に手ぬかりはない』。

さらに遡ると、皆本さんが見せてくれたカニの写真が載ったツイートがあった。

俊輔はスマホを皆本さんに返した。皆本さんはまるで汚いものを触るように指先で受け取った。

「このスマホ捨てようかな……」

「いいかもね」

「私、あのお店辞める。お店で働くのは楽しいんだけど……楽しかったんだけど、多分、もう楽しめそうにないし。

でも、明日からどうしようかな。仕事探さなきゃだし。学校でも行ってみようかな。どこか遠くに引っ越してもいいな。……あ、ごめんなさい、こんな話」

「わかるよ」

俊輔は感心する。やっぱり強いなぁ。もう、明日のことを考えてるのか。

「送ってくれてありがとう。さようなら」

皆本さんはするりと車を抜け出して、歩き去っていく。

俊輔は皆本さんの後ろ姿が見えなくなったところで、自宅に向かって車を発進させた。

……三人目の被害者はコンビニから少し離れたアパートで見つかった。被害者は近所の大学に通う学生だった。俊輔たちが取調べを受けている間、アパートの駐車場に例の車が乗り捨てられているのが発見されたのだ。警察がアパートを調べる中で、被害者を発見した。彼はナイフで首を裂かれた上に、顔を滅多刺しにされていた。その顔はぐちゃぐちゃに潰れていたらしい。

翌朝、テレビのワイドショーでより詳しい状況がわかった。犯人は被害者の家に例のマスクと凶器、それから返り血を浴びた服を残していたらしい。そして、被害者の部屋でシャワーを浴び、被害者の服を着て去っていった。

俊輔は部屋を後にする犯人の姿がありありと目に浮かぶ。だが、犯人の顔だけは見えない。顔にはあの馬の頭が付いている。

俊輔は事件からしばらくして、Twitterのアプリをダウンロードした。そして、例の動画を投稿したアカウントを探した。それはすぐに見つかった。アカウントの画像は、漫画の吹き出しを切り取ったものだった。

例の動画のツイートには未だにコメントが増えている。ほとんどは投稿主を非難するものだった。事件後、『吹き出し』は沈黙を保ったままだ。それまでは継続的に日々の出来事を報告したり、知り合いと思しき人とのたわいもないやりとりをしたりしていたのに。『吹き出し』のツイートを遡っていくと、自宅のアパートの前で猫と戯れる動画が見つかった。それは三人目の被害者が住んでいたのと同じアパートのように見えた。

次は例のアカウントを探した。あの馬の顔のアカウントだ。

例の動画ツイートにつけられたコメントを辿ろうとしたが、見つけられなかった。『クソの一味』などの言葉で検索をかけたが、それも引っかかってこない。もうアカウントを消してしまったのかもしれない。

事件後、しばらくしてあのコンビニの前を通りかかると、いつのまにか更地になっていた。だが、それを見ても、何の感慨も湧かなかった。

結局、犯人はまだ捕まっていない。まだその辺をうろついているかも知れない。俊輔は街ですれ違う人を見て、犯人を思い出す事がある。背格好や、雰囲気、立ち姿が似た人を見かけると動悸が高まり、全身から汗が吹き出す。あの犯人のように頭のおかしな人間が当たり前の顔をして、街を歩き回っている。そう考えると、こちらの頭がおかしくなりそうになる。

だが、そんな時にはいつも皆本さんを思い出す。あのあっけらかんとした強さと、間延びした声を。

皆本さんとはあの後一度も会っていない。彼女はどこかへ引っ越したらしい。多分、県外だと思う。なぜ知っているか?昼休みに彼女のTwitterをチェックするのが俊輔の新たな日課になっているからだ。

あれだけの事があった後も、彼女は当たり前にTwitterを更新している。今のバイトのこと、引っ越した家のこと、家族のこと……。色んな情報を垂れ流している。考えなしで危なっかしいが、それが彼女のいいところでもある、と俊輔は思う。

いつかまた偶然を装って会いに行くのもいいかもしれない。気をつけろよ、と忠告してやるのだ。世の中には何をするかわからない奴がいるんだから、と。

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馬男 ハクセキレイ @MalbaLinnaeus

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