第3話
その日、コンビニの雰囲気がいつもと違っていた。俊輔がレジに並ぶと、いつもは品出しをしたり、掃除をしたりしている例の中年男性が皆本さんの後ろに張り付いていた。
「あ……いらっしゃいませ」
皆本さんは明らかに緊張している。俊輔の姿を見ると、後ろに立つ中年男性に小さく頷いた。
俊輔は戸惑う。僕、何かしたか?しゃべりすぎ?いや、でも、電子レンジが終わるのを待つ間だけだし。あれ?もしかしてセクハラとか?え?なんだ?
「……どうぞ?」
皆本さんが呼んでいる。俊輔は恐る恐る品物をカウンターに乗せる。今日は幕の内弁当と野菜ジュースだ。
「温めますか?」
「あ、はい」
皆本さんの表情は固い。つられて俊輔も緊張してしまう。
「あの、申し訳ありません」
会計を終えたところで皆本さんの背後に立つ男性が口を開いた。
俊輔の心臓がキュッと収縮する。
「……はい、なんでしょう?」
「えーっと……お忙しいところ大変申し訳ないんですが、少しだけお話しさせていただけないでしょうか?」
「……今ですか?」
時計を見ると、12時15分。昼休みは13時までだ。
「あ、できればで結構です。ただ、少し……」
男性が言い淀む。横を見ると皆本さんが泣きそうな顔で俯いている。なんなのだろう?俊輔は背中と脇に汗が流れるのを感じる。
「えっと、今お昼休みなので……5分、10分とかなら……」
「ありがとうございます。そうしますと、こちらへどうぞ」
男性はカウンターの天板を開けて、通路を作る。
事務所に連れて行かれるのか。俊輔は胃の中に石を飲み込んだような気分に襲われる。
周囲のお客さんから、不審そうな目を向けられているのがわかる。俊輔は重い足を引きずるようにして、カウンターの内側に入る。男性の先導で、次が俊輔、その後ろに皆本さんが続く。
カウンターの奥の扉を進むと、そこにはフライヤーと手洗い場、あと、何かよくわからない大きな四角い機械と、業務用の冷蔵庫らしきものが置かれている。ちょっと狭いですけど、と言いながら男性は次の扉の先へと進んでいく。
そこに細長く奥に伸びる部屋だった。手前にはパソコンの置かれた事務机が二つ横に並び、奥には金属ラックに段ボールやペットボトル、カップラーメン等が積まれている。部屋の手前側は少し広くなっていて、机の後ろのスペースにロッカーが置かれ、カーテンで仕切りが作られている。ロッカースペースの壁にはホワイトボードがかけられ、シフト表が張り出してある。
足元には買い物カゴに弁当や惣菜のパウチが突っ込まれている。換気が悪いらしく、食品の匂いと、段ボールの埃っぽい匂いが充満している。
「こんなところですみません、私、当店の店長をしております西本と申します」
西本さんは名刺を差し出した。俊輔は慌ててポケットを探る。ズボンの尻ポケットから名刺入れを取り出し、意味もわからず交換する。
「どうぞ、おかけください」
西本さんはパイプ椅子を開いて、俊輔の前に置いた。緩慢とした動きで俊輔が椅子に座ると、向かい合うように西本さんが座った。皆本さんは立ったままだ。
「お時間をお取りして申し訳ありません。今日は簡単に用件のご説明だけさせていただいて、正式な謝罪は改めてさせていただければと思いますが……」
「謝罪……ですか?」
「ごめんなさい!」
突然、皆本さんが頭を下げる。状況が飲み込めない俊輔は、西本さんと皆本さんを交互に見る。
「えー、と、何が何だかわからないんですけど」
「そうですね、それじゃあまず、これをご覧ください」
西本さんがスマホを差し出す。画面には停止中の動画が映っている。レジで会計をする男性の後ろ姿を映したものだ。
これが何か?と言いかけたところで気が付いた。これは俊輔の後ろ姿だ。このネイビーのフリースはこの間、この店に着て来たものだ。
「この動画をご覧になられたことは?」
俊輔は首を振る。
「これはSNSに上げられた動画です」
西本が動画を再生する。
俊輔がレジで会計をしている。背景はモザイクが入れられ、レジを打つ店員の目元には黒い線が入れられている。だが、その線はほとんど意味をなしていない。派手な赤とオレンジの髪がしっかり映り込んでいる。こんな髪の人は皆本さん以外いないだろう。
俊輔は、会計をすますとカフェマシーンに向かう。手にはコーヒーカップを持っている。カメラは一瞬、カップにズームする。手振れで何を写しているのかよくわからない。ズームが戻る。俊輔はカフェマシーンに向き合い、ボタンを押す。カメラは俊輔の押したボタンにズームする。
ホットカフェラテ。レギュラー。
画面がズームから戻る。少しして俊輔は頭をかく。そして、カップを取り出す。
動画はそこで終わる。ものの1分ほどの動画だ。
「……えっと、なんですか?これ?」
「今、この動画がSNSで拡散されていまして。……言ってしまえば、炎上している状態です」
「炎上ですか?これが?」
「炎上してるのはTwitterなんですが……このツイートですね」
西本さんは再びスマホの画面を掲げる。
画面には埋め込み動画と一緒に
『コーヒー用カップにカフェラテを入れる親父!直前は店員の若いねぇちゃんに一方的に話続けてるし、マジやばい奴!』
というコメントが付けられている。
「いや……この間、私、ちゃんと差額お支払いしましたよね?間違えたのは確かですけど……」
「あ、それはそうです。こちらでも確認しています。その点については全く問題ありません。ただ、この動画が今、リツイート……閲覧件数が十数万件になっていて。批判的なコメントがたくさん付いて、中には過激なものもあるみたいなんです」
「過激……?」
「はい、こういうことする人は許せない、とか、犯罪者だ、とか、逮捕しろ、だとかそんな感じで」
「でも、ただの誤解でしょ?説明すればいいだけなんじゃないですか?」
「そうですね。説明は当社の方できちんとさせていただきます。ですが……問題はですね。炎上がエスカレートして、犯人を特定しようとする輩がいると言うことです」
「犯人って……」
「あ、いや、すみません。言葉が悪かったです。……ただ、この動画に映る男性ーーあなたが何者かを調べて、嫌がらせしようとしている輩がいるんです。その過程で、このお店と、彼女はもう特定されてしまいました」
「ごめんなさい!」
それまで黙っていた皆本さんが声を上げる。涙声になっている。
「私がTwitterで色々……それでお店のこともバレちゃって……それで……」
うまく言葉が出て来ず、西本さんが引き取って話し始める。
「彼女がSNSに上げた画像やコメントから、このお店が特定されたんです。数日前にカニの画像を上げたのが決定打だったようです。SNSで個人を特定するのによく使う手らしいんですよ、このカニ。とはいえ、この動画がある以上、彼女が何もしなくても特定されるのは時間の問題だったでしょう」
「……本当にごめんなさい」
皆本さんが俯く。その姿に俊輔は申し訳ないような気持ちになる。彼女にはいつものようにニコニコ笑っていてほしい。
「えーと、今ひとつピンと来ていないんですが、そんなに謝らなくていいですよ。今のところ何の害もないですし。それにネットの炎上っていったところで、たかだかコーヒーとカフェラテを取り違えただけです。そんな大した話じゃないでしょう?差額も50円やそこらで、僕もきちんと払ってますし。後ろ暗いところなんてないんですから、皆本さんもそんな泣かなくてもいいですって」
皆本さんは顔を上げた。ほんの少し、いつもの笑みが浮かんでいる。
「……本当に申し訳ありません。先ほども少し言いましたが、炎上が想定外に大きくなっているため、この件は本社から公式に経緯を説明するコメントを出すことにしております。お客様に何か被害が出る前に、事態を収束できればと考えております。しかし、しばらくの間ですが、このお店をご利用いただくのは控えた方がいいかもしれません」
「え?そこまでしないといけないですか?炎上って言ったって、ネットの話じゃないですか。ネット上の人間に何ができるって言うんです?」
西本さんは一瞬、面食らったような顔をして、俊輔を見る。
「……例えば、悪意ある人があなたの職場に電話をかけて有る事無い事、言いふらすことができます。もちろん、一人でやっても大した意味はない。ですが、何人もの人が何度も何度も電話してきたらどうですか?何日も何日も。あなたの会社の方も困るでしょう。
『ネット上の人間』なんて、存在しません。彼らは現実に生きる人間です。あなたや私のように。あなたの隣にいる人が、この炎上に加担しているかもしれないんです。軽く見てはいけません」
西本の顔は妙に真剣で、俊輔は少し寒気がした。さっきコンビニでこちらを見ていたお客さんの顔が頭に浮かぶ。
「……すみません、出過ぎたことを言いました。ですが、気をつけるに越したことはありませんので」
西本さんが頭を下げる。皆本さんも一緒になって頭を下げている。俊輔はなんだか居た堪れない気分になる。
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