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栞は何とか涙を押さえ込み、電話の相手に悟られないように深呼吸してから電話に出た。
「もしもし」
「もしもし花木さん? 今大丈夫?」
声が聞こえてきただけで安心して気が緩みそうになった。
「うん。大丈夫」
「良かった。この前はごめんね、あと本当にありがとう」
「堀北は……どうなの?」
「正直に言うと良くはないかも。これから少し治療するために入院することになった」
堀北の声色だけでは、治療すれば問題ないのか、やせ我慢をしているか判断つかず、もどかしかった。
「いやー、入院する前に出掛けられて良かったよ。おばあちゃんもすごい喜んでたし。花木さんのこともすごく気に入ってたよ」
「そっか……」
数秒沈黙が流れ、何か話さなければならないと思ったが、気の利いた言葉が思いつかない。
「花木さん、何かあった?」
栞よりも先に堀北が相手を気遣う言葉を使ってきた。
「ううん、大したことないよ」
「大したことなくても、俺は話してほしいな」
栞は堀北の優しさにまた泣きそうになった。堀北の方が辛い立場にいるはずなのに、この中で相手を思い遣ることができる堀北が素直にすごいと思った。
「私、今まで現実から目を逸らしてた。本を読むことで現実を受け止めることから逃げてた。でも今日、向き合うことにしたの。それは、堀北が現実の素晴らしさ、現実でしか味わえないことを教えてくれたからできたことなの。だから、ありがとう」
堀北は黙って聞いていたと思ったが、栞の話を聞き終わるとくすくすと笑い出した。
「どうして笑ってるの?」
「ごめんごめん、嬉しいんだ。花木さんが現実と向き合う覚悟を決めたことも、花木さんにそう言ってもらえたことも。俺も誰かに言葉を届けられたんだって」
堀北は以前、誰かに言葉を残せるようになりたいと言っていた。栞の心は既に堀北からもらった言葉で溢れている。
「堀北、私ね」
それから栞は今日の出来事を話した。父親とぶつかり、子供は親の言うことを聞いていればいいと言われ左頬が腫れたこと。母親に体を売れと言われ、この上なく憎らしく思ったこと。
でも二人とも栞と同じで見たくない現実を抱えて逃げていたということに気づけたこと。両親にぶつけた言葉は全て栞自身にも当てはまることで、跳ね返って自分にも突き刺さったこと。
久し振りに涙の塩辛さを思い出したこと。
堀北は静かに話を聞いていて、電話の向こうからは息づかいだけが聞こえていた。
「これで二人が変わって、私も変わって、家族が元通りになるとは思ってない。私の言葉が二人に届いたのかどうかもわからない。でも、私はこれからどうなっても私の家族を、現実を受け入れようって思うんだ」
堀北は電話の向こうで鼻をすすっていた。
「堀北、泣いてる?」
「いや……だって……、花木さんがこんなに頑張ったってことが嬉しくて」
堀北が泣いているのがなんだかおかしくて栞は笑った。
「堀北がいてくれたからだよ。堀北の言葉があったから現実と向き合おうって思った。だから、私は堀北がいてくれないと頑張れないから、早く良くなってね」
堀北の泣く声がしばらく右耳に届いていた。
「花木さん、お願いがあるんだ。今俺、本持ってなくてさ、何かの物語を聞かせてくれたりしないかな?」
「いいよ。どんなのがいい?」
「そうだな、青春ものがいいかな」
堀北の要望に合わせて、栞は頭の中の本棚から高校生に上がった頃に読んだ物語を引っ張り出した。それは、高校生のカップルの話。
別々の高校に通うカップルはいつも放課後に待ち合わせてデートをする。周りからは、育ちが良く大人しそうな彼女と、運動ができそうな程よく引き締まった体つきで、勉強もできそうな彼氏に見えている。しかし実は、お互い正反対の特徴を持っており、彼女の方は活発で彼氏の方は運動が苦手で勉強も並み。お互いその事を隠している。
なぜそんなことになったかと言うと、二人が初めて会った時に二人とも恋に落ちるわけだが、お互い相手が好きなタイプを勘違いしてしまっているため、二人して無理にキャラ作りをしているのだ。
バレそうでバレない関係がコミカルに描かれていて、読んでいてハラハラして面白い。最終的にはバレてしまうのだが、嘘をついて関わることが無意味なこと、それで出来上がった関係の寂しさに二人は気づくのだ。
「うん、信頼したい相手に嘘をついてまで関わるのは違うよね」
「そうなんだけど、その中で印象的なのがあって、お互い秘密がバレた後に彼氏が言うんだけど、『嘘は良くないけど、僕は君の嘘が嬉しかった。だって、僕に好かれようとしてくれた優しい嘘だから。嘘なんてつかなくてもうまくいってたかもしれないけど、こんなに優しい嘘があるなんて知らなかった』」
嘘は確かに良くないが、捉え方によっては多かれ少なかれ人は嘘を織り混ぜながら生きている。キャラクター、話を大袈裟に話す、悩みがあっても悩みがないと言う、言いたいことがあるのにグッとこらえてわかりましたと言う。優しい嘘、人を想った結果の嘘は必ずしも否定されるものではないのかもしれない。
「優しい嘘、かぁ。悪くはない響きだね。ガリガリの太っちょ、みたいで」
「……どういうこと?」
「あれ? 伝わらなかった?」
変なことを言う堀北が懐かしくて栞はまた笑った。それからしばらく他愛のない話をした。そろそろ切る頃合いの時に栞は堀北に尋ねた。
「お見舞い、行ってもいい?」
電話の向こうで数秒の沈黙があり、堀北は小さくありがとうと言った。
「来てもらう立場で言うのもなんだけど、八月の半ばまでには来てもらえると嬉しいかも」
「すぐ行く。明日か、明後日にでも」
「ありがとう」
栞が電話を切ろうとしたとき、堀北が待ってと言って栞はもう一度電話を耳に当てた。
「言い忘れてた。花木さんは花木さんだよ。他の誰に何と言われようと、自分を決めるのは、自分の物語を書けるのは自分だけだからね」
「うん。ありがとう」
今度こそ栞は電話を切った。
両親から言われた言葉が、正しいとか間違っているとかは考えないことにした。栞に二人の血が流れていることは事実で、二人が両親であることも変えようがない。
それを受け入れた上で、栞がどうなりたいか、どうしたいかを考えていくことが大切なのだ。
栞は本を手に取った。今までは物語を読んで現実を忘れようとしていた。しかし今は読んでも、純粋に物語を楽しめる気がしていた。
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