4-5
朝早起きして、栞は名古屋へ向かう新幹線に乗っていた。コツコツ貯めていたお小遣いを使い果たし、往復の切符を買った。電話で話した通り、堀北のお見舞いに行くことにした。
東京駅で手土産を買い、堀北が病室で退屈しないように何冊か本を持ってくると鞄はかなりの重さになってしまった。
一度行ったことはあっても、一人で遠く離れた地に行くことは初めてで、不安と少しの高揚、そして堀北に会えることの喜びを抱えていた。
窓から見える景色は速いようでゆっくりにも見え、物語ならどんな風に表現するのだろうと考えていた。
鞄から新幹線の中で読むつもりだった本を取り出す。
題名は『わたしでないわたし』というものだ。これは双子の姉妹が幼少期から大人へと成長していく物語。一卵性双生児である姉妹は両親からもセットで扱われ、周りからは見分けをつけてもらえない。
初めはそれが当たり前だったが、段々と芽生える自我がそれを受け入れられなくしていく。双子の姉妹はお互いを自分と混同して考えてしまい、自分を見失ってしまう。
自分と同じ顔をした全く別の人間が居ることの気味の悪さが、読者にも伝わる描かれ方をしている。途中、どちらが起こした行動かわからない描写が入り、読者を悩ませる。
作中、警察に補導された妹を姉が迎えに行く場面がある。その時、心ない警察官が仕事で来れなかった両親を責めると、姉は警察官に向かって言った。
『あなたは友人が居なく、孤立していた時、たまたま優しくしてくれた人が不良と呼ばれる人だったらどうしますか? 不良と仲良くなり、同じように不良になるのは確かに肯定されるものではありません。ですが、それは親にはどうすることもできないと私は思うんです。親には責任があって、子供を見てあげなければならない。でも、四六時中一緒に居るわけではない子供に対して、親が理解できることにも限界があるとは思いませんか?』
栞はこの姉の言葉がよく理解できた。子供が犯した罪は親が責任を取る。このことは理解できるが、子供の罪に対して親が糾弾されるのは間違っている。子供の責任を取るのは親でも、子供の罪を親のものとして扱い、子供を一人の人間として扱わない世の中は正しくないと栞は思った。
日本に限った話ではないのかもしれないが、連帯責任というものが日本は特に強いと感じる。殺人犯の家族が関係のない周囲の人間から責め立てられ、村八分にされる日本は、栞はズレていると感じる。その家族は何も悪いことをしていないのに、なぜ責められなければならないのか。なぜ周囲の人は責める権利があると勘違いしているのか。
双子の姉妹は大人になり、やがて自分を確立していく。アイデンティティが不安定な双子の葛藤が細かく描かれていて、読み応えのある本だった。
半分ほど読んだところで、まもなく名古屋に到着するというアナウンスが流れ、栞は本を閉じた。
新幹線を降りて、以前堀北と来た通りの経路を一人でなぞる。目的の駅に着くと、前と同じように堀北の祖母が駅前に車で迎えに来てくれていた。
「おはようございます」
「おはよう。遠くまでありがとうね」
堀北の祖母は笑っていたが、少し暗い顔をしていた。
病院へ向かう車内では、極力堀北の内容は避けて、世間話をしていたがそのうち話すこともなくなってお互い黙っていた。
「あの、堀北……勇樹くんのために本を持ってきました。病室で退屈かなと思って」
「ありがとう。ゆうちゃんも喜ぶわ」
「手土産も持ってきたんですけど、食べれますかね?」
「どうだろうね。お医者さんに訊いてみようかね」
会話はやはり弾まず、気まずい空気のまま病院に到着した。堀北の祖母に付いて歩き、堀北の病室の前まで来た。
「ゆうちゃん、栞さんが来てくれたよ」
「花木さん! 遠くまでありがとう」
数日振りに見た堀北は少し痩せたように見えた。
「これ、本とお土産。食べれるかわからなかったけど、買ってきちゃった」
「ありがとう」
堀北は栞から本と手土産を受けとると、大事そうに胸の前で抱えた。
「私はちょっと休んでくるから二人で話してなさいね」
堀北の祖母は気を遣ってくれたのか、栞と堀北を二人きりにしてくれた。ぎこちない空気が流れ、堀北がくすっと笑った。
「なんかすごく久し振りに会った気分」
「ほんとだね。具合、どうなの?」
「うーん、ちょっと治療が必要になっちゃって。夏休みの後も学校休まなきゃいけないかも」
「そうなんだ」
堀北は栞に心配をかけまいと詳しいことは言わない。
「この前はビックリさせてごめんね」
「ううん。私は平気」
「お父さんとお母さんとのことは、もう大丈夫?」
この状況で他人の心配ができる堀北に栞は感心した。
「うん。前向きにこれからどうするか、考えようと思う」
「俺が言うのもおかしいんだけど、花木さんが頑張ってくれて嬉しいよ。なんか前よりかっこよくなった」
「私ね、堀北が最初に言ってたことが最近わかってきた気がする。私は物語に逃げてた。でも、私はどう頑張ったって現実にしか生きられない。現実には辛いこととか苦しいことがたくさんあるけど、それを受け入れて現実を見なかったら、堀北が見せてくれて、教えてくれた、楽しくて、綺麗で、儚くて、愛しい現実も見れないんだって、やっとわかった」
堀北は栞の真面目な話を少し場違いではないかと思うような嬉しそうな顔で聞いていた。
「やっぱり、花木さんはすごいよ。俺も最近思うことがあるんだ」
「なに?」
「花木さんに話しかけて良かったなって思うんだ」
堀北の嘘偽りない言葉は、栞の顔に熱を与えた。
「私も、それは思うよ」
堀北も少し恥ずかしそうにして、二人でそれがおかしくて笑った。それから他愛のない話をして、栞は病室を出た。すると、待合室で座っていた一人の女性が栞に気づいて近づいてきた。
「こんにちは。あなたが花木さん?」
「あ、はい、花木栞です。えっと……」
「堀北勇樹の母です。この前は勇樹を助けてくれてありがとう」
丁寧に頭を下げた堀北の母は、堀北によく似ていたが、少しやつれているようだった。
「少しお話ししてくれないかしら?」
堀北の母と病院の外に出て木陰の下のベンチに並んで腰かけた。
「最近あの子とよく遊んでくれてるのよね?」
「遊んでる、というか一緒に本を読んでるというか」
「野球を辞めてから、どこか寂しそうにしてたあの子が最近はとても楽しそうだったの。それはきっとあなたがいてくれたからでしょうね」
栞はなんと言えばいいかわからず黙って話を聞いていた。
「病気のことは、あの子から聞いた?」
「はい。あまり詳しくは聞けてないのですが……」
それから堀北の母は、辛いことを思い出すように眉間に皺を寄せながら話してくれた。
「あの子が中学生の頃、突然病気が発覚したわ。原因は不明。でも、勇樹のように突然病気が発症することはあるみたいなの。医学の進歩で確実に死んでしまうような病気ではなかったけど、入院して治療をする息子を見るのはとても辛かったわ。副作用で髪が抜け落ちて、日に日に細くなっていって……」
鼻を啜る堀北の母にハンカチを差し出したが、堀北の母は手でそれを制した。
「何とか治療が終わって、高校に入ってからは普通の生活ができていたわ。私も病気のことを忘れる日があったくらい。でも、彼の中の悪魔はまた動き出してしまったわ」
ごめんね、と言って堀北の母は涙をぬぐうと栞に笑いかけた。腫れた目が痛々しい。
「退院したら、また勇樹と遊んであげてね」
「もちろんです」
病院へ戻る堀北の母の背中に栞は声をかけた。
「堀北に! 勇樹くんに、待ってるって伝えてもらえますか!」
堀北の母は微笑んで何度も頷いた。また、頬に涙がつたっていた。
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