1 変わり者の世界

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帰りのホームルームが終わり、掃除を済ませた後、多くの生徒は部活動に参加するために小走りで廊下を通り過ぎる。


部活動に所属していない所謂いわゆる帰宅部の花木はなきしおりは、せわしない校内をゆっくりと歩き、図書室に向かう。


四月に二年生に進級したばかりだが、特別生活が変わるわけではない。毎日訪れている図書室には、受験勉強をしている三年生がまばらに居るだけで、大会に向けて部活動の士気が上がる5月のこの時期に図書室にいる下級生は栞くらいだ。


今日は掃除が長引き、いつもより遅く図書室に入ったが、普段と変わらず静かで落ち着く場所だ。古くなった本の少しカビ臭く、木の香りが籠った匂いが栞は好きだった。三階にある図書室からは校庭がよく見える。栞は決まって一番奥の窓際の席に座っていて、読書の合間に校庭を眺めながら下校時間ギリギリまで図書室に居座る。


いつものように勝手に自分の席と決めつけている場所に向かうと異変に気づいた。図書室では見かけたことがない男子生徒がその席に座って本を読んでいた。髪型は坊主から少し髪が伸びた短髪で、背筋がピンと伸びていて学ランを第一ボタンまで閉めている、いかにも真面目そうな生徒だった。一見野球部の生徒に見えたが、校庭では既に野球部が練習を始めているため、栞のように帰宅部か今日は活動がない部活動の生徒なのかもしれない。


栞は仕方なく男子生徒の一つ席を空けた隣に座り、読みかけの本を開いた。今読んでいる本は、保育園に通う息子を持ったOLが家事や育児に奮闘する物語で、職場の悩みやママ友関係の悩みを抱え、家族と衝突することもあるけれど、父と母と子で精一杯家族を大切にし合って暮らしていくという、家族愛がテーマになっている。


栞は恋愛やミステリー、ホラー、ヒューマンドラマ、ファンタジーと、ジャンルを問わず基本的に小説を読む。最近は人の心の成長にフォーカスを当てた物語を中心に日々小説を読み漁っている。


ちらりと男子生徒の読んでいる本を盗み見ると、それはつい先日栞が読んだ今泣けると話題の恋愛小説だった。確かに良い作品だったが、栞はその本を読んでも泣くことはなかった。小説を読んで心を動かされることはあるが、感情移入をすることはなく、どこか物語は物語と割り切っているところがある。現実はそう甘くなく、みんなが幸せになれることなど妄想に過ぎないと思っているふしが栞にはある。


それでも物語を読むのは楽しい。物語の一つ一つに世界があり、その中に登場人物の価値観が散りばめられ、作者の想いがその後ろに隠されている。現実で人との関わりが少ない栞でも、人がどんなことを考えているのか、何を常識だと思っているのか、生きる上で何を大切にしているのかを知ることができる。そうやって栞は読書に没頭しては、洗練された物語とは異なる現実の残酷さを知ることになる。


区切りの良いところで一度本を読むのを中断し、大きく伸びをした後、立ち上がって校庭を眺めた。野球部が泥まみれになりながら練習をしている。野球に全力で打ち込むことができる彼らが栞は羨ましかった。きっと彼らは自分が何のために生まれてきたのか、何をすれば良いのかなどと考えたことはないのだろう。


野球部を見ていても気分が晴れないので、栞は読書を再開しようと席に座ろうとした時、図書室にすすり泣く声が小さく響いていた。栞が声の主を思わずじっと見つめていると、視線に気づいた男子生徒がくしゃくしゃの顔で栞に笑いかけた。


「これ、読んだ方がいいですよ」


「あ、読みました、この前」


栞は突然のことでたどたどしい返事をしてしまった。


「そうなんですね。いやあ、愛って素晴らしいですね」


思春期ど真ん中の高校生が、愛は素晴らしいなどと普通は言えるものではない。栞はこの男子生徒は変わり者だと判断し、それ以上関わることを避けて、そのまま座って読書を再開した。


しかし男子生徒のすすり泣きは結局下校時間まで続き、栞は全然読書がはかどらなかった。少し苛立ちを感じながら図書室を後にし、下駄箱で靴を履いていると再びあの男子生徒が栞の前に現れ、あっと声を上げた。


「二年生だったんだ。俺も二年。三組の堀北ほりきた勇樹ゆうき


「あ、一組の花木栞です」


堀北につられて自己紹介をしてしまったことを後悔した栞は、さようならと言って早足で立ち去った。ただでさえ人と関わることが苦手な栞は、特に変な人には関わりたくなかった。明日は図書室に居ませんように、という誰に対するものかわからない願いは当然どこにも届かず、翌日も堀北は昨日と同じ席に座っていた。

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