#24 魔王の影
マリーの話を要約すると、魔王が現れるときには必ず、その時期に召喚される地球人の一人に魔王の呪いが降りかかる。その不幸な地球人を「魔王の影」と呼ぶらしい。
魔王を倒すと「魔王の影」にかかった呪いも解かれるらしいが、それまでの間、魔王の呪いにより強大な力を天啓に宿してしまった「魔王の影」は、本人のためにも周囲の人たちのためにも、安全な場所に隔離しなくてはならないと。
「魔王出現に連動して発生する特別な状態異常は七種類。『色欲』はその一つなの。それがあの街に発生したということは、魔王が出現したということであり、それは同時に魔王の影の出現をも意味するの。だから出現と近いタイミングで召喚された地球人は全員調べる必要があって……魔力身分証がなくて調べられないのであれば、せめて一緒には連れ歩かないのが安全のためで……」
マリーの声はだんだん小さくなってゆく。
なるほど。地球人ギルドで天啓を確認されたのって、そういう理由だったのか。
あれ?
でもそれなら魔王の呪いの状態異常は、王都サクヤに発生してたってことか? それとも?
「魔王の出現場所と、魔王の影の召喚場所は近いってことか?」
マリーの唇が言葉を飲み込んで閉じる。
何か焦っているようにも見えるが、今は
「絶対に、他の人には言わないでくれる? ……地球人ギルドの人たちにも」
ちょ、ちょっと待ってそれは重い。
「そんな重要なことは、地球人である俺には言ってはならないのでは?」
ここは牽制しておく。
チョウヒさんに言われたのならばともかく、マリーは……若くて可愛くはあるが、そこまで深い仲ではない。
感謝はあるが、俺のためにそこまでさせるほどの親しさではないから。
「……だって、そうじゃなきゃ私のこと……信用してくれないでしょ?」
チョロインとかいうレベルじゃない。この不自然なモテ。
アマツさんのときもそう感じたし、それを言ったらそもそもチョウヒさんの好意だって、見た目もパッとしないこんなオッサンに向けられるべきものでもない。
念のためマリーの魔力身分証を確認するが、状態異常の表示はない。
「俺は地球人だ。地球人に黙っていなきゃいけない情報を渡されても、それが地球人にとっての利益不利益に関係するものであれば、同じ地球人仲間のためにそれを共有したいと考える。だからその約束はできない。俺からはその前提を伝えておくから、話すか話さないかはマリーが決めてほしい」
ゲンチに召喚されている地球人は俺だけじゃない。
地球人全体に関わるかもしれない情報の秘匿を俺の一存で決めるわけにはいかない。
それにこの異常ともいえるモテ自体も、何かの罠かもという不信感が拭えない。
突然、マリーが俺の袖をつかんだ。
「私、キスされたら、頭がぼーっとなってうっかり重要なこと言っちゃうかもなんだけど」
そう来たか……いやいや、それが本当だとしても、嫁入り前の貴族の娘に、しかもチョウヒさんという婚約者が居る状態で、そんなことできるわけないだろう。
「なるほど。では、その重要なことを聞けるかもしれない人は、少なくとも婚約者の居る俺ではないということだな」
「え?」
え、じゃない。
「ということは、交渉は終わりってことかな。俺たちは孤高姫を雇う財力はないし、リビトに関しても、もらった情報だけではあんな小さな子を危険な場所に放置する理由にはなり得ない」
「待って。あのね、天啓はね、本人にその気がなくとも、天啓に対して誤った解釈してしまうだけで自分や他者を傷つけてしまうことはよくあるの。しかも魔王の影の天啓には必ず【支配】という語が入っているらしいから、それだけはちゃんと確認して……もしも、あの子が魔王の影だとしたら……ノリヲに何かあったら……」
純粋に好意的な心配から、極秘な情報を流してくれることは本当にありがたいと思いはする。ただ、俺はある意味独り身ではないから、どちらかと言えば困る。
「俺は、チョウヒさんと婚約している。チョウヒさんのことが大切だからだ。申し訳ないが、俺のその気持も大切にしてほしい」
本当はチョウヒさんに対しても、こんなオッサンじゃなく真っ当な人が現れるまでの護衛みたいなつもりでは居るのだが、そういう話をしたら話がこんがらがるだけだし、今はちょっと強めにこのくらい言っておこう。
「わかった。報酬はいい。だからそばに居てもいいって言って」
おいおい何の痴話喧嘩だ。
「俺はマリーにそこまでしてもらえるほどの人間じゃない。すごい努力して孤高姫と二つ名をもらえるまでになったんだろう? 安売りするなよ」
「でも!」
マリーが俺にしがみつく。
「あのときノリヲに状態異常を回復してもらえなければ、私は手近にあった棒状のモノ……恐らくあの状況ならばこの剣を、自らに挿し入れて出血多量で死んでいた。貴族以前に女として人前にとてもさらせない恥ずかしい姿で。ノリヲは私の命と貞操と名誉との全てを守ってくれたの。だから恩返しをさせて欲しい」
マリーの言葉に嘘は感じられなかった。それに納得感もある。
俺の袖をつかむマリーの手を外して一歩下がる。だがその手は離さず、ちゃんとした握手を交わす。
「マリーの命を守ったことへの対価として、とりあえずこの旅の間は護衛をお願いする。ただ貞操と名誉については、その事情を他の人に説明することがマリーに恥をかかせることになりそうだから、あのときのことで俺を脅さないでくれればそれでチャラでいい。あとリビトのことは……地球人で、そしてまだ子供で、できる限りのことはしてあげたい。しばらくは俺が保護者としてついているから、いきなり監禁みたいなのはやめてあげてほしい」
「感謝します。リビトについても了解です」
リビトには早急に魔力身分証を手に入れてもらう方向性について一致したので、ようやく皆の所へ戻る。
宿屋で皆と合流する前のことについて、細かい所はボカしつつ俺がマリーのピンチを救ったことを伝え、その礼として格安で旅への同行を快諾してくれたと説明する。マリーは無料でいいと言ったが、それだとマリーがどれほどピンチだったかを細かく説明しなきゃいけなくなりそうなので、状況説明と報酬ともに軽めに表現した。
そして改めて次の農業拠点マンゾクに向けて出発する。
フシミからマンゾクまでつながる街道は、フシミから逃げてきた人たちで大渋滞。
それなのに、赤い
中にはどちらかだけでも護衛に雇いたいという貴族も居たが、マリーがうまくなだめてくれて、先を急ぐ。
それでも、渋滞にはかなりの時間を取られた。
日が傾きかけてきたが、今日はきっと目標の半分くらいしか進めていないと思う。いまだに街道にはちらほらと馬車や恐竜車が目につく。
このあたりまで逃げてこれている人たちにはもう徒歩はいない。
そんな中で二組ほどが、暗くなる前にと休憩場所を探している俺たちに近づいてきた。モーパッや孤高姫のファンらしい。
もしも夜営するならば、食料を分けるから自分たちも同じ場所で休んでいいかと問われる。夜中には出発する予定だと伝えると、それまででも構わないと答える。
おかげで、夕飯はやけに豪勢なものになった。
食料を提供してくれたのは、魔法省役人であるキンコウタイ家の皆さんと、銀行ギルドのフシミ支店長であるシャインロクジュウ家の皆さん。
当主の方はどちらも中貴族で、キンコウタイ家はご主人に奥方、お子さんが三人、メイド二人に御者一人、護衛が二人、トリケラトプスの牽く恐竜車。シャインロクジュウ家は奥方と、奥方の弟君、お子さんは四人でメイド三人に家庭教師一人、護衛が御者も兼ねていてトータル四人で馬車二台。お子さん方の年齢はダットやリビトよりもちょっと低め。
全員の名前を一応聞きはしたのだが、とてもじゃないが覚えきれない。貴族に対しての呼びかけは庶民と異なり、「ご主人」とか「奥方」とかのようにあえて名前ではなく役職名の方で呼ぶというマナーのおかげで、なんとか乗り切れたけど。
さて夕飯は……準備まで全部向こうもちだった。
粉に水を加えて練り、薄めに切ったハムを巻き込んで焼いたハムパンに、パプリカとラブンツェルのサラダにはビネガードレッシング。カボチャをマッシュしたニョッキ入りのカボチャスープ、デザートには青りんご。
オウコク王国の人たちは黒目黒髪が多く、地名も含め日本っぽさをけっこう感じるのに、食事はそうでもないのだな。まあ、異世界で五平餅とか芋煮とか出てきても雰囲気壊れそうな気がしなくもないけど。
食事中の会話はよく弾む。
お二家族とも、子供が小さいうちは緑の多い場所で育てたいと、あえて農業拠点への転勤を希望してきたらしい。
最初の魔王出現の報が出た時から既に、家族総出で移動できるよう馬車などの準備をしていたのが功を奏して、今回の素早い脱出が可能となったのだと、このような状況においても笑顔を見せてくれた。
そんな感じで夕飯は美味しくいただいた。魔王が三体も出ている割には比較的和気あいあいとしていた。
完全に暗くなる前にメイドさんたちが食器などの片付けを始める。
淡いピンク色の夕焼けを眺めながら、少しだけぼんやりし始めた頃、それは突如として訪れた。
キンコウタイ家の幼い娘を抱いていたメイドの一人が、突然、胸をはだけたのだ。
授乳だろうか。ゲンチではそういう光景は普通なのかなとちょっと気まずく目を逸したのだが、他の人たちの表情がおかしい。
メイドの挙動に眉をしかめる者、驚愕の表情の者、また、恍惚の笑顔を浮かべたあの護衛、いきなりズボンのベルトを外し始め……え、ちょっと待て。ガチでおかしくなってる?
「まだ正気な者は<属性回復>を使える者を指せっ!」
マリーの声が、暮れかけた空の下に響いた。
● 主な登場人物
・俺(
ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。
異様なモテラッシュを素直に喜べず、ハラハラしている。魔王の影の手がかりがようやく手に入った。
・チョウヒ・ゴクシ
かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。
今はチョウヒさんを最優先に考えたい。
・ダット
ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。
フシミの街であの惨状を見て以来、すっかり怖がりになった……というか、休憩のたびに俺にしがみつきに来る。
・ニッ
ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。
ニッさんの「揺れ」の
・モーパッ
真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。二十五歳らしい。
三年前までは赤い
・
本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。十九歳。
もう少し距離を取りたいのだが、彼女の持つ情報はもっと引き出したくはある。
・モノミユ
タレポという種類の鳥で、人が騎乗できる。ダチョウのようなフォルムで空は飛べないが、走ると早い。
体の大きさはダチョウより二回りくらい大きい。砂漠が多い地域では移動手段として馬より優れているらしい。
・
農業拠点フシミにおいて、魔王の状態異常『色欲』により宿周辺が地獄の惨状となった中、全裸で泣いていた美少年。
日本人。召喚されて間もないようで、ゲンチの言葉も話せない感じ。とりあえず第一目標は魔力身分証の入手。
・キンコウタイ家の皆さん
魔法省役人で中貴族でもあるご主人。奥方、お子さんが三人、メイド二人に御者一人、護衛が二人。
・シャインロクジュウ家の皆さん。
銀行ギルドのフシミ支店長であり、中貴族でもあるご主人。奥方と、奥方の弟君、お子さんは四人でメイド三人に家庭教師一人、護衛が御者も兼ねていてトータル四人で馬車二台。
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