#22 シャレにならない天啓

「どこなのぉ? ママぁ?」


 少年がまたぐずった声で母を呼ぶ……これ、日本語か?

 意を決して通りへと出る。

 周囲の淫惨たる背景の一部と化した人々は今繋がっている者や物相手に振る腰の速度を緩めることもなく、絶頂の雄叫びを上げては動作を再開しまた雄叫びを上げて……つまり、俺や少年に構うことなく悪夢の中に浸っている。

 道端に散らばっている脱ぎ捨てられた服をいくつか拾うと、少年に対して手招きした。


「少年、俺も日本人だ。こっちは安全だ」


 小さな、だけど少年には聞こえるだろうくらいのボリュームで声をかけると、少年は泣きはらした目でこちらを見て……駆けてきた。

 少年に服を渡し、食堂の扉をそっと閉める。


「長い分は袖まくりをするんだ」


 少年は素直にうなずき、着れそうな服を身にまとい始める。

 ダットよりももう少し若い。小学生の高学年か中学年くらいか。俯く顔に目立つ睫毛の長さ、通った鼻筋。女の子と見紛う可愛らしさ――あんなイカれた状態異常に冒された連中の真っ只中で、よくも無事だったのが不思議に思えるほどの。


「着替えました」


 落ちそうになっている大人物のズボンを腰のあたりでぎゅっと両手で押さえている少年。

 余っている服を紐状に裂き、ベルト代わりに腰を縛ってやる。


「キツくないか? 歩けるか?」


 ぶかぶかの服を着心地悪そうに歩く少年の、ズボンの裾が歩くたびにずり落ちてくる。

 これで転んでも大変だ。いったん脱いでもらってくるぶしまでのサイズで裾を切り落とし、それも紐状にする。ズボンを履き直した少年の汚れた裸足に巻き付け、簡易の靴代わりにする。


「ありがとうございます」


 少年が再び食堂内を歩き始めると、予想外に大きな足音が聞こえた……入り口からだった。

 振り向いたそこには、視点の定まらぬ笑顔を浮かべた半裸の巨漢。ゲンチの言葉で「穴」を意味する語をブツブツと繰り返している。

 少年を慌てて机の陰に隠すと、手近な椅子を投げつける――が、ものともしない。

 モーパッくらいの筋肉があれば……って、そうか、魔法でなら増やせるんだっけ。


 <属性生成>加護4筋力ナシナシちょーきんりょく4


 凄いな。近くにあった長机が軽々と持ち上がる。

 半裸巨漢をドアの外へと押し出し、急いでドアを閉めようとしたが、向こうも必死に隙間に指を差し込んでくる。

 この腕力ならば指などお構いなしに扉を閉められそうではあるが、この人も状態異常にかかっているだけで、そこまでするのは可哀想だ。

 かといってこの人を回復してあげようにも、俺の精神はそこまで潤沢に残っているわけではない。長机の脚を何度か床に打ち付けて床板をへこませると、そこに引っ掛けるようにして長机を配置。それを何度か繰り返して入り口へバリケードを作る。

 その間に半裸巨漢は、わずかなドアの隙間に興奮したのかその隙間へ腰を打ち付け始めた。

 呆然としている少年の視線を入り口から逸らし、厩舎へと続く渡り廊下を指差す。


「あっちに馬や恐竜が居る。それに乗ってこの街を脱出する」


「恐竜?」


 召喚されたばかりなのかな?


「えっと、今は時間がないので手短に説明すると、ここは地球とは違う異世界なんだ。まるでマンガやゲームみたいな」


「僕、マンガもゲームもママに禁止されているから」


 おっと。慎重に言葉を選ばないといけないな。


「……えーと、俺もほんのちょっと前に、わけも分からずこの世界へ召喚されてしまった地球――日本人でね、ノリヲって呼んでくれ。君がここに来た時、魔法陣……ってわかるかな?」


「魔法陣は、奇数マスの魔法陣ならば書く方法知っていますけど、そういうのではなかったです。近くに、お腹の出た知らないおじさんが居て、笑顔でべたべた触ってきて気持ち悪かったです……あ、僕は梨人リビトって言います。果物の梨に、人って書いてリビトって読みます。よろしくお願いいたします、ノリヲさん」


 利発で礼儀正しい子だな……そして聞いた感じだとその召喚者は地球人を召喚したときの規約を守る気ゼロっぽいな。


「そうか。リビト君か。ここを出たら地球人がいっぱいいる場所に連れて行ってあげよう。でも今はとにかく無事に逃げることを考えなきゃだ」


「はい、ノリヲさん!」


 大人しくついてくる。

 今は早く合流して……そんな思いで、厩舎への通用口近くまでたどり着いたとき、扉が一つが吹っ飛んだ。

 筋力加護魔法の効果時間がまだ残っていたから、飛んできた扉をなんとか押し留める。

 割れた扉の隙間から赤い……鎧。


「モーパッ?」


「ノリヲか、すまない。遅れをとった」


 遅れをってモーパッが?

 モーパッはあのゴツい魔獣の牙のような武器を抜くと、厩舎の中へと駆け戻る。

 こちらの通用口は、恐竜厩舎へつながる方……何が起きてるんだ?


「リビト君。厩舎の中はまだ安全じゃないようだ。ここで隠れていて……だけど、食堂とか、あっちの動物用厩舎の方から誰か来たらこの中に逃げてきて」


「わかりました!」


 俺も『最低限の剣』と『最低限の盾』とを構えて恐竜厩舎の中へと突っ込んでゆく。

 ニッさんが繋がれていた場所は――無事。その手前側に震えているダットと、ダットを抱きしめるチョウヒさん。二人は無事か――そして。

 恐竜厩舎の向こう側の入り口の方で、モーパッとマリーが誰かと戦っていた。

 あれは……ビジュアル系っぽい小太りの格好……って、コウ?

 モーパッたち二人がかりの猛攻を余裕でしのいでいるように見える。あんなに強い奴だったのか?


「ようやく来たな、庶民ノリヲ! 会いたかったぞ!」


 まっすぐに俺の方へと向かってくる。

 待て待て待て。あんな強いモーパッたちが二人がかりでも倒しきれないってのに、俺がどうしろと?


「お前のせいで僕は貴族ではなくなった! その礼を言いたくてだな!」


 モーパッもマリーも幾度となく攻撃を繰り出すが、俺にも見えない速度なのか技なのか力なのかわからないが、とにかく全く怯んでいる様子もないし、傷もついてない……いや、コウが使っていた剣が折れた!

 ……って、折れた剣で尚も二人の攻撃を凌いでいる。

 これはヤバイ……だが、俺が死んだら、勇者証の勇者の祈りBeave Prayerでチョウヒさんとダットとニッさん、モーパッまでは無事に生還できるけど……別パーティのマリーは適用されるのだろうか。

 それにリビト。このままここに置いて行くわけにはいかない。


「俺を、殺すつもりか?」


 俺の声、震えていて情けない。


「殺す? 死ぬ覚悟をしているのか? それなら殺したらつまらないなぁ。僕は、お前の嫌がることをするって考えると妙に体が熱くなるんだ!」


 悍ましい告白の間、俺はコウののりしろを探り続ける。モーパッとマリーの猛攻が、かろうじてコウの足をその場に留めさせる。

 「器用」はダメか。「筋力」もダメ。「敏捷」も「頑丈」もステータスはダメなのか――とにかくこいつの驚異的な攻撃力と防御力を封じなくてはと――じゃあ「天啓」は――これもダメか。

 俺やチョウヒさんの天啓には海苔が貼ってあったよな? チョウヒさんの天啓から海苔を剥がす。


 『天啓:【全力鑑定】』


 試しに海苔を貼ろうとする――ダメだ。

 まさか一度剥がしたらダメな海苔? と思ったが、【全力鑑定】そのものになら貼れた――いやいやチョウヒさんの天啓を封じたらダメだろ。

 一文字だけ貼ってた状態に戻――うわ、二人の足止めもものともせず、コウが再びこちらへ歩き出した。


 『天啓:【全■鑑定】』


「くくくっ。赤いあぎとだろうが孤高姫だろうが、僕の天啓の前には子供同然だなっ!」


 そんなにすごい天啓なのか――天啓そのものならば封じられても、天啓という大枠ではダメっぽい。コウの天啓の名前が分かりさえすれば。


「コウの天啓は【死亡吸引】って名前です!」


 チョウヒさんが叫ぶ。グッジョブだ!

 コウの天啓【死亡吸引】に急いで海苔を貼る――いけた!


「なっ、お前今っ!」


 コウはチョウヒさんに向かって走り出し――その踏み出した足が宙に舞う。

 モーパッが両手に構えたあの牙のような刃の武器で切り裂いたのだ、と、俺が理解したときにはもう、折れた剣を持っていたコウの右手も飛び、コウの左目をマリーの剣が刺し貫いた……が、コウは片足で飛び退り、マリーの剣先が離れる。


「何か使っています! 肉体の減り方が不自然でした!」


 チョウヒさんの声と同時にマリーが俺の近くへと移動しコウとの間に割って入る。モーパッはチョウヒさんたちをかばう位置へと移動する。

 コウは片手片足で器用に通用口の方へと逃げ出す――まずい。あっちにはリビトが居る!


「待てっ! コウ!」


 コウが立ち止まり、俺を睨む――ここで何か俺に手があれば活躍できるのだが、ちょうどいいのりしろが思いつかない。


「【夢見少女】<閃光の聖騎士>」


 マリーの声がした、と俺が思考した時にはもう、黄色い光をまとったマリーが、コウの首をねていた。


「ノリヲが隙を作ってくれたから間に合ったよ!」


 嬉しそうな声でマリーが戻ってくる。

 いかん。チョウヒさんが冒険者ギルドで俺とマリーが一緒に入っていったときと同じ目をしている。


「いや、チョウヒさんがコウの気を引いてくれたから」


「呼び捨てでいい」


「え?」


「私も皆と同じようにチョウヒって呼ばれていい。そして私もこれからはノリヲって呼ぶから」


 う、うん。


「わかった、チョウヒ……チョウヒのおかげで」


「おい。痴話喧嘩は後にしてさっさとここを脱出しよう。ダット、ニッはもう出れるか?」


 モーパッが場をしきってくれて助かった。


「大丈夫!」


「あ、ちょっと待って。さっき地球人の子供を一人、保護したんだ。話を聞いた感じ、召喚者は状態異常にかかっておかしくなっちゃったっぽい。そこの通用口の陰に隠れるように言ってあるから連れてくる」


「待ってノリヲ。地球人の子供? 状態異常は大丈夫だったの?」


 マリーの声から感情が消える……いや、警戒している?

 なぜ警戒を?






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 海苔を貼れる法則性がまだイマイチつかみきれていない。もっと試行錯誤をしなくては。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。

 今日からチョウヒと呼び捨てにするよう言われてしまった。まだ言い慣れないが、慣れていかないとな。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 真チョウヒさんファンクラブの中に、ダットも応援するクラブという内部派閥が生まれたらしい。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 海苔を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。そして俺たちの目の前に、圧倒的な強さと共に再び現れた。


・モーパッ

 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。二十五歳らしい。

 三年前までは赤いあぎとの二つ名を持つ冒険者として活躍していた。とっても頼もしい。


孤高姫ここうひめ

 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。十九歳。

 目的だったコウへの復讐を果たせたようだ。チョウヒさんが対抗して空気が微妙になるのでもうちょっと距離を置きたい。


・モノミユ

 タレポという種類の鳥で、人が騎乗できる。ダチョウのようなフォルムで空は飛べないが、走ると早い。

 体の大きさはダチョウより二回りくらい大きい。砂漠が多い地域では移動手段として馬より優れているらしい。


梨人リビト

 農業拠点フシミにおいて、魔王の状態異常『色欲』により宿周辺が地獄の惨状となった中、全裸で泣いていた美少年。

 日本人。召喚されて間もないようで、ゲンチの言葉も話せない感じ。だが、マリーは警戒しているのか?

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