#21 阿鼻嬌喚

 いや、気のせいじゃない。本当に聞こえる。

 声がするのは、孤高姫が借りている部屋。寝言にしては嬌声きょうせいが過ぎる。

 宿の壁の薄さもアレだが……まるで一人エッチでもしているかのような……ハッとして魔力身分証を開く。


『マリーローラン 肉体:58/58 精神:55/59:色欲』


 状態異常!

 しかも精神も減っている……魔法を使ったということか? 宿の中に夜襲?

 慌ててブーツを履き、取り急ぎ『最低限の盾』と『最低限の剣』を持って部屋を出る。

 その間、魔力身分証で反対側の部屋に寝ているはずのチョウヒさんたちを確認するが、そちらは特に状態異常にはかかっていない。

 部屋を出て孤高姫の部屋の扉に手をかける……鍵がかかっている。


「孤高姫! 大丈夫ですか! 誰かに襲われてるんですか!」


 同時にパーティ内通知を個別で送る。


「……んっ……ひ、ひとり……あっ……んんん……」


 パーティ内通知ではなく肉声で、声が近づいてくる。たどたどしい足音と共に。

 扉の向こう側にぶつかる音。そして鍵が回り、開いた扉の隙間から伸びた白い手が俺の襟をつかんで中へと引き込んだ。

 部屋は暗い。

 孤高姫のものと思われる荒い息遣いがすぐ近くに。


「……かけ、て……白……んっ……はや、く……」


 白?

 頭が真っ白になりかけている俺に、しなだれかかるように身を擦り寄せてきているのが感触でわかるハリのある柔らかさ。

 そして彼女の脚が絡みついてくる俺の右膝がじわりと湿り気を帯びる。

 思わず反応してしまった俺の股間に彼女の手が伸びて、離れて、再び俺の襟をぐっとつかんだ。


「……がっ、まん……できなくっ、なる……ハァアア……ァはや、く……白、の……かいふ……んっ……く……」


 鼻にかかる艶やかな声、チョウヒさんとはまた違った甘い体臭。

 情報量がある意味過剰すぎて脳が回転しない――としたら――海苔を俺の「性欲」に貼る。

 剣と盾とを傍らへと置き、しがみつく孤高姫の肩を両手でつかんで俺から引き剥がす。

 手のひらの感触から素肌だと分かるが動揺せずに済む。

 白の、回復、と言っているよな?

 俺は孤高姫に白魔術を使えることを伝えていない……が、あの襲撃を受けた夜、俺やチョウヒさんたちが水場で血を洗い流すとき、見張りをしてくれていたのは孤高姫だ。あの時の俺は上半身は裸になっていた……いや、体内の魔石が輝くのは、魔力階位に変動があったときだけ……だとすると、チョウヒさんを呼んでこいってことか。


「チョウヒさんを呼んでく」


 俺の唇が塞がれる……この感触、唇か。


「……んあっ、だ、め……いますっ、んっ、ぐ……ノリヲの、白いの……お願、いぃんっ」


 孤高姫の腰が再び俺に擦り付けられる。先程より強く、早く――俺はさっきよりも強い力で孤高姫を引き剥がし、自分の襟元から指を差し込み、魔点――魔石の宿る場所へと触れる。


『<属性生成>』

『<無属性生成>』

『<属性付与>』

『<属性回復>』

『<魔石封印>』


 自分の魔点に触れると、使える魔法がメニュー表示される。

 <属性回復>を選び、孤高姫を対象にかけた。


『マリーローラン 肉体:58/58 精神:55/59:色欲』


 消えない? 間違ったか?


「……助かる……くっ……もう、一度……お願い、する……くぅ」


 孤高姫の声に冷静さが戻ってくる。

 言われた通りにもう一度、<属性回復>をかける。一回あたり精神を4も消費するのか。

 ふっと体が軽くなる。

 孤高姫が自ら離れたのだ。


「済まない。まだ灯りはつけないでくれ」


 衣擦れの音。服を着ているのだろうか……ふと手をついた自分の膝の濡れ具合に気付く。

 孤高姫は貴族の娘だ。事故とはいえ、これは……俺、また罪に問われたりしないか?


「チョウヒたちは無事なのか?」


 いつもの冷静な孤高姫の声に戻っている。

 再度、魔力身分証を確認するが、孤高姫もあちら三人も状態異常の表示はない。


「魔力身分証の表示はずっと何もないままだ」


「そうか。チョウヒも白魔術が使えるからな……ああ、ノリヲが白魔術を使えることは、実は知っていた。これは本当は公にできないことなのだが、助けていただいたし、ノリヲの信用を失いたくないから伝えておく。魔力身分証を見ることができる相手の魔力階位を知ることができる魔法具というものがあり、私はそれを所持している」


 なるほど。俺は海苔を剥がしたから見えているが、このシステムを構築した誰かは、この情報についてセキュリティを強化しているってことだな。魔法具を作ったやつは、そのセキュリティに詳しい奴だろうな。


「教えてくれてありがとう。魔法を使える者は殺して魔石を奪われると教わったのでね……それよりも、回復をかけるのに手間取って済まない。まだ魔法を使うことに慣れていないんだ」


「いや、感謝する……あの状況で押し倒されなかっただけでも……本当に感謝する。チョウヒは良い伴侶を見つけたのだな。正直、羨ましい」


 褒められることに慣れてないから、お世辞のうまい返し方がわからない。

 小さく「ありがとうございます」を付け加え、さっき放った武器を拾う。


「待て、一人では行くな。私も行く」


 衣擦れの音が金属が擦れる音や、革ベルトを絞る音へと変わる。


「あり得ないことだが聞いてほしい。さっきの肉体系状態異常『色欲』は、魔力階位8に相当する。ノリヲの白魔術の魔力階位は5なので、<属性回復>が二回必要だったのはそういう理由だ……そしてそれほどの強い状態異常を接触もなしに付与できる存在は、魔王しかいない」


「ま、魔王?」


 確か二体出現しているんだっけ……では、この近くに? こんな王都まで三日とかからず行ける場所に?


「ノリヲはチョウヒたちを呼んできてくれ。ここを脱出する。三体目の報告は私がしておく」


「わ、わかりま……三体目?」


 思わず聞き返してしまった。

 そのとき薄暗さに慣れた俺の目に、孤高姫と思われるシルエットのちょうど顔のあたりに海苔が見えた。

 反射的にその海苔を剥がす。


「あ……ああ、うん……こ、これは、ノリヲのことを信頼しているから話すけど、絶対に……チョウヒにさえも他言無用でお願いする」


 そう前置きして、孤高姫は話し出す。

 大貴族と中貴族だけが参加できる貴族ギルドにおいては魔王の情報が巷より詳しく流されていて、民衆の混乱の引き金となるのを避けるため、それは小貴族以下には伝えてはいけないことになっていること。魔王に関する情報は国が管理するレベルであること。

 第一の魔王として、カラリエーフストヴァ王国で『暴食』が出現したこと。

 第二の魔王は、このオウコク王国内に出現したらしいが、まだ詳細はわかっていない……しかし、恐らくは『怠惰』であるはずだということ。

 今、かかった状態異常が『色欲』なので、第三の魔王としてカウントしたこと。

 その情報を、孤高姫の父である衛兵本局局長ジアエンソ・ニヤカーが入手し、本来は小貴族扱いであり知らせてはいけないはずの孤高姫に密かに教えたこと。

 なので、報告についても王宮へ直接報告するわけにはいかず、彼女の家名ギルドから父ジアエンソを通して報告したいということ。

 あと、二人きりのときは孤高姫ではなくマリーと呼んでほしいということ……ん?


 いつの間にか妙に距離が近くなっている……マリーは俺の手を取り、強く、だが優しく握りしめる。


「……本当に、羨ましいなチョウヒが。ノリヲが私の伴侶ならば、何も隠さずに済むのに」


 唐突で不自然なモテは喜びにはつながらない。

 もう一度マリーの魔力身分証を確認するが、状態異常の気配はない。

 演技を疑うが、特に別の海苔も見当たらない。


「ノリヲさん、無事ですかっ!」


 パーティ内通知が来ると同時に、廊下にチョウヒさんの声が響く。


「行きましょう」


 マリーの手を放して剣と盾を構え、俺は廊下へと戻る。


「チョウヒさん、大丈夫です! こちらは無事です」


 不意に廊下が明るくなる。角灯ランタンを持ったダットとチョウヒさんとが俺の部屋から飛び出して来たのだ。


「ノリヲさん!」


 二人が俺にしがみつこうとするのを慌てて止める。俺の膝はまだ濡れているから……盾を心持ち下げ、染みを隠すように持つ。


「急いで鎧を着てくる。チョウヒさんたちは外へ出る準備もう終わってる?」


「うん。モーパッが出発できるようにしろって言ったから」


「ノリヲ! 外では暴動が起きている。乗り物が心配だ。自分らは先に戦竜のところへ行っている」


 農業拠点では、運搬に使用する馬や恐竜などのための大型合同厩舎がある。

 魔王出現が宣言されている今、拠点間移動をする者は少なく、厩舎に一番近いこの宿も俺たちしかいない。

 マリーも準備を済ませ廊下へと出てきて、チョウヒさんたちと合流した。


「わかった。すぐに追いかける」


 部屋へ戻り、鎧を着込み……体を拭くためにタライに用意されていた水を、濡れた箇所に付けて絞ること数回。

 装備を確認して背負い、階段を降りてゆく。

 人の気配のない食堂。

 ここからは外へ出ずに厩舎へと続く渡り廊下もあるのだが、俺は表通りに面した入口へと向かう――子供の声が、聞こえたから。

 扉をわずかに開き、外を覗く。

 そこは壮絶な光景だった。


 『色欲』という状態異常は、せいぜい乱交パーティを引き起こす――その程度に考えていた。

 しかしそこに見える光景は、描写するのもはばかられるほどの、度を越した狂気。

 まだ性器が残っている男は、穴とか隙間とか呼べる場所に対して股間を激しく打ち付けている。それ以外の人間は、自分の穴という穴に、何かを挿れようとしている――それが、椅子の脚だろうが、剣の穂先であろうが、もう既に事切れていると思われる死体の一部であろうが。

 地球人ガイドに記載されていた過去の魔王の状態異常の報告を思い出して背筋が凍る。


 そんな異常な状況の中に一人だけ、無傷の、だが全裸の少年が佇んでいた。


「ママぁ」


 その少年の声だった。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 殺人者になったと思ったら第三の魔王出現とか……しかもその状態異常『色欲』が字面より酷く凶悪。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。

 俺は「彼女を守れる」レベルに到底達していないことを痛感している。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 真チョウヒさんファンクラブの中に、ダットも応援するクラブという内部派閥が生まれたらしい。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 海苔を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。現在はドバッグ家を放逐され、貴族ではない。


・モーパッ

 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。二十五歳らしい。

 三年前までは赤いあぎとの二つ名を持つ冒険者として活躍していた。とっても頼もしい。


孤高姫ここうひめ

 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。十九歳。

 コウへの復讐が目的のようだが、今回の依頼への同行を申し出てくれた。二人きりのときはマリーと呼ぶように言われた。


・モノミユ

 タレポという種類の鳥で、人が騎乗できる。ダチョウのようなフォルムで空は飛べないが、走ると早い。

 体の大きさはダチョウより二回りくらい大きい。砂漠が多い地域では移動手段として馬より優れているらしい。


・謎の少年

 農業拠点フシミにおいて、魔王の状態異常『色欲』により宿周辺が地獄の惨状となった中、全裸で泣いている少年。

 どうやら母を探しているようだが……。

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