#20 眠れぬ夜

 『最低限の剣』の先端を襲撃犯のみぞおち付近に当てている。モーパッが教えてくれた場所。ここから斜め上に突き上げろと。

 襲撃犯の着ていた革鎧は既にモーパッが引っ剥がしている。

 呼吸を止め、剣先をぐっと押し込む……だけなのだが、剣を通じて伝わる相手の腹の感触が、精神的にとても硬く感じる。

 ふと相手の呼吸運動を剣先に感じ、一歩後退る。

 ため息。


 向こうの方ではチョウヒさんとダットが大きく肩を震わせながら抱き合っているのがちらりと見える……もう、刺し終えたのか。

 初体験が終わってないのは、あと俺だけ。


「あまり時間をかけない方がいい」


 モーパッの言葉に襲撃犯が頷く。これが受け入れいてる目、というやつだろうか。

 情けない。

 海苔があれば何でもできると思っていた。だが実際には海苔は引き算だ。自分にとっての不都合を覆い隠すだけ。

 能力値が増えるわけでもなければ、勇気や覚悟が湧くわけでもない。

 俺自身が持っていないものは、海苔では永遠に手に入らない。

 結局、俺は自分の「恐怖」と「罪悪感」とに海苔を貼り、初めて人を殺した。

 だけど、いつまでも手のひらに残る肉に刃を突き立てた感触には、海苔を貼らずに耐えた……いや、これっぽっちのことで「耐えた」なんて言えないか。


 情けない気持ちのまま、負け犬の気分のまま、水場でざっと血を洗い流す。

 血の汚れが薄くなった服を固く絞って身につけると、夜風の寒さがやけに身にしみる。その寒さと、かなり冷たい晩秋の水とが、初体験の記憶を少しでも上書きしてくれていそうで、ありがたかった。


 モーパッの持っている『風孕む外套』は、精神消費でマントの内側に風を起こす魔法具だ。

 体をちゃんと覆った上で風を起こせば風はマント内で循環するし、精神を余計に消費すれば温風にも変わる。

 俺はあえて冷たい乾燥に身を包みながら、「罪悪感」の海苔をいったん剥がしてみた。


 心がすぐには痛みださないことに驚く。俺はクズ人間なのか……いや、そうじゃない。

 じいちゃんの葬式のときと同じだ。

 まだ戸惑っている。

 それまでの当たり前が失くなっていることに、ちゃんと向き合えなくて。

 人を殺すということがどういうことか、まだ心の奥底では理解できていない……殺した奴の顔を思い出す。襲撃犯の被っていた兜はそのままだったから目しか見えてなかったけど。

 怯えと、怒りとに満ちた目。

 あの目で誰かを優しく見つめたことがあったのだろうか。誰かを愛したことが、誰かを守りたいと思ったことが、あったのだろうか。

 襲撃犯の、会ったこともない家族や恋人や友人たちを思い浮かべてしまう……自分と重ねて……重ねて?

 俺と、襲撃犯を?

 自分から殺しに来た奴らが?

 いや。俺はそんなことしない……奴らを否定することで、変な言い方だが少し心が落ち着いた。

 そして服の方も乾いたようだ。外していた革鎧を着込む。


 ゲンチでは正当防衛が法的に認められている。

 正当防衛の証拠は同身分の場合「相手から先に攻撃してきた」ことが証明できればいいらしく、目撃証言や天啓による襲撃・反撃状況の再現などを提出し、嘘を見抜く系の天啓を持つ「判断官」という職業の人たち複数でそれぞれの真偽を確かめ、最終的に治安省が有罪・無罪を確定する。

 だが壁の外側は、魔獣がうろついていて犯罪の証拠を集めるのが困難なため、ほぼ治外法権に近いらしい。

 自分の身は自分で守るか、守れるだけの護衛を雇うしかないというのが現状だ。


「ノリヲさん、出ました」


 チョウヒさんが全身から雫を滴らせながら歩いてくる。

 メイド服は薄手ではないのだが、それでもチョウヒさんの体のラインを際立たせる程度には貼り付いている。

 俺はマナーとして目を逸らしつつ、モーパッの『風孕む外套』を渡す……その手を、チョウヒさんがぎゅっと握った。


「……私、初めて人を殺しました」


 チョウヒさんの手は震えている。

 貴族は子がある程度成長したら一族や護衛を連れて狩りに出かけ、子に経験を積ませるということだが、チョウヒさんは狩りに行ける年齢になる前に両親を亡くし、以来ずっと壁の内側で過ごしてきた。


「……俺もだよ」


 水の冷たさなのか心理的なものなのかはわからない彼女の手の震えに、俺も両手を重ねて温めるよう覆う。


「良かった。一人じゃなくて」


 チョウヒさんが俺をじっと見つめる……ごめん、チョウヒさん。俺は海苔を使ってちゃんと向き合わずに殺人体験をクリアしました。


「ノリヲ! 装備し終えたらちょっと来てくれ」


 モーパッの呼び声をこれ幸いと、俺はチョウヒさんから離れた。


「こいつら冒険者じゃない。おおかたタイリクカンダンドウ団の連中だ」


 タイリクカンダンドウ団……サクヤの三大犯罪組織の一つ。麻薬と暴力を扱うんだっけ。


「その連中が、壁の外で人を襲うことってけっこう多いのか?」


「こいつらなら、ちょくちょくあるね。見な、装備がショボイだろ。馬車も含めて全部奪ったものばかりだろう。入団希望者や所属したての新人の度胸と実力を確かめるために、襲わせるんだよ」


 ここでも変な話だがホッとする。

 俺がポストモ団のレダたちと仲良さげにしているところを目撃されて、それで襲撃されたという可能性も考えていたから。

 ……襲われたのに、人を殺したのに、自分が原因でないとわかっただけでホッとしている自分がイヤになる。


「生き返ったらしつこく追ってくる場合もある。だから生き返らせるのが無駄になるように死体を欠損させる……時間がないときは頭部だけ潰すんだが、ここは広いので馬車に乗せて焼くのが楽だろう」


 広さを気にするのは周囲の森への延焼防止のため。

 血が飛ぶからと俺やダットに離れるように指示したモーパッは、器用に死体を次々と馬車の中へと蹴り込んだ。


「交代しよう」


 ビショビショの孤高姫が戻ってきて、モーパッは入れ違いに水場へ。

 孤高姫は移動死体山積みの馬車に火を点けた後、ちょいちょい向きを変える……なるほど。あの火で装備を乾かしているのか。


 馬車焚き火が終わる前にモーパッも戻ってきて、同様に服を乾かしている。

 魔法具は便利だが、その便利さに頼り過ぎると精神を消費し過ぎ、肝心なときに使いたい精神が足りなくなる恐れもあるから使用を控えるのだとモーパッは教えてくれた。

 勉強になる。ブランクがあるとはいえさすが二つ名を持つ冒険者なだけのことはある。




 馬車焚き火が下火になる頃、ニッさんの大きなゲップが響く。

 襲撃者の乗ってきた馬車はどちらも二頭立てだったため、一番良さげな馬を一頭確保して残りはニッさんのディナーとなったのだ。


「思ったよりも時間を取られたが、まあいい経験ができたってとこかな」


 モーパッに言われてハッとして懐中時計を見ると、もう深夜を過ぎている。


「へぇ。時計、持っているのね」


 孤高姫に横から覗き込まれると、チョウヒさんやダットまで覗き込みにくる。エマから貰った懐中時計を……なんだこの緊張感。


「う、うん」


 声が上ずる。

 装備を整えるための資金は、チョウヒさんからではなく、給料の前借り的にトラネキサム様からいただいたお金から。

 チョウヒさんとダットには宮廷職に就いたことと旅の支度金をいただいたことは話してあるが、その額までは伝えていないので、買ったといえば済むのだが、この程度のことで嘘をつくのも気が引ける。


「すまない。出発前にちょっと用を足してくる」


 トイレを理由にその場を離れ、森の中へ。

 あまり離れ過ぎると、血の臭いや盛大な焚き火につられてやってきた何かに襲われる可能性があるとからと、あまり奥へは踏み込まずに尿意を吐き出した。

 そして戻る前、個別パーティ内通知を送る――「選別」を選んで。

 実は南大門を出る前、チョウヒさんとダット、そして俺を「選別」してある。

 チョウヒさんたちにだけ情報を送りたいとき、もしくはモーパッが冒険初心者の俺たちに向けて何かを伝えたいときのために。


『俺が治安省で牢に入れられたとき、向かいの牢に入っていたのが実はポストモ団のボスだった。そのせいで今日の午後、冒険の準備中、ポストモ団の連中に変に疑われて事情を聞かれたんだ。もちろんすぐに誤解だってわかってもらえたよ。心配かけたくなかったのと、あのときは出発準備でバタバタしていたのとで言い出すタイミングを逃しちゃったんだ。ごめんね。この懐中時計は、俺を疑ったことに対するお詫びって言っていた。もしも問題があるようだったら、棄ててもいい。今まで黙っていて本当にすまない』


 少し早口で小声だが、精神1点分で伝えたいことは喋り切ることができた。

 チョウヒさんたちも軽く頷き、時計についてはそれでおしまい。




 出発した日の発生イベントの多さに比べると拍子抜けするくらいあっという間に二日が過ぎた。

 途中、魔獣との遭遇がなかったのはニッさんのおかげだろうとモーパッの分析。

 追っ手の類もその後現れず、それどころか魔王が出現しているからか街道では誰とも遭うことなく、俺たちは無事に街道上の次の町フシミへと着いた。

 その間、変わったことといえば、チョウヒさんが俺にしがみつかなくなったこと……これは懐中時計の件で嫌われたとかじゃなく、ただ単に風呂に入れていないから自粛してたっぽい。


 フシミは町といっても、分類的には農業拠点というやつらしく、小さめの町とそこそこの規模の農地とが巨大な壁で囲われている。 ゲンチには魔獣が跋扈ばっこする以上、壁に囲まれていない農地はほとんどないという。

 住人の大半が農民で、次に多いのが衛兵……彼らは、交代で付近の街道の見回りや町へ近づく魔獣の撃退などをしている。

 宿屋と鍛冶屋、魔法具店は充実しているが、それ以外の物資は乏しいようだ。

 それでも神経をすり減らさずに睡眠が取れるというそれだけで、とてもありがたみを感じる。


 『魔法封印文書』を届ける最初の目的地、ヒトコトまでは農業拠点をさらに一つ経由して六日。

 今日はぐっすり寝ておかなきゃいけないのに、目が冴えて眠れない。

 なんか隣の部屋から甘い声が聞こえてくる気がして。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 ……殺人者になってしまったよ……価値観の違いに頭がまだ追いつかない。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。

 俺は「彼女を守れる」レベルに到底達していないことを痛感している。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 真チョウヒさんファンクラブの中に、ダットも応援するクラブという内部派閥が生まれたらしい。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 海苔を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。現在はドバッグ家を放逐され、貴族ではない。


・モーパッ

 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。二十五歳らしい。

 三年前までは赤いあぎとの二つ名を持つ冒険者として活躍していた。とっても頼もしい。


孤高姫ここうひめ

 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。十九歳だって。

 コウへの復讐が目的のようだが、今回の依頼への同行を申し出てくれた。モーパッ同様にとっても頼もしい。


・モノミユ

 タレポという種類の鳥で、人が騎乗できる。ダチョウのようなフォルムで空は飛べないが、走ると早い。

 体の大きさはダチョウより二回りくらい大きい。砂漠が多い地域では移動手段として馬より優れているらしい。

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